「厄介」

そう御呼ばれする事には慣れていた。口元を扇で覆って、目で嗤う。しかしながらその扇で隠れている口元は、もっと大胆に嗤っていやがる。
好きで武士の家柄に生まれたわけでもないのに、形だけの教養、礼儀、士道。どれもこれも子供ながらに死んじまえって感じだった。草履取り一人を連れて外出した時、町民はそんなもん関係なくて朝から晩まで一日を一生懸命に生きる事に忙しそうだったことが、すごく羨ましいと思った事があったっけ。
武士のイイトコなんて、町人を斬り捨てても町奉行に捕まんねぇことだけ。それはそれで楽だけど、とりあえず毎日がクソだと思った。だって、武士の三男なんて用無しと同じだから養子に出されてハイ終わり。嫁に行く女じゃねぇんだからさぁ。

屋敷の外にも出してもらえず、だだっ広いつまんねぇ庭の景色と睨めっこしながら、あの池を泳ぐ鯉を何匹殺したっけぇ?墓参りに行って蝉の頭を何度踏みつけた?

しかし厄介者ながら手先は驚くほど器用だったから、此処まですんなり生きて来られたわけだけど。

鬱憤を晴らすように生い立ちの不服を無垢な少年へ当て付けるように言うと、少年は必ず泣き出す一歩手前のように瞳に涙を溜めた。

「殺した鯉と蝉の気持ちを考えた事があるのですか?」

そうして、少年は必ずそう返してきた。

「ないよ。だって、鯉と蝉に感情なんかあるわけないでしょ」
「ありますよ、きっと」
「あっそ、勝手に言ってなよ」

初夏に蝉は鳴く。
江戸にいる遠い親戚から養子の話が来てから、たまにふらりと江戸へ足を運んだ。その遠い親戚とやらは早く養子に来て家督を継いでもらいたいそうだが、俺はそんなアチラ様の都合イイ話なんかに頷くわけがなく、江戸にある藩邸の道場へと毎年顔を出していた。
別にこの藩邸の道場に腕のイイ奴がいるわけでもなく、此処の道場に何かを見出したわけでもなく…。


(きっと、認めたくはないのだが、十ほど齢の違う此の目の前のガキのせいだと俺は思う。)


「一々感情を考えてると、自分が弱くなる一方だよ」
「それじゃあ貴方は強いんですか?」
「違う違う、君が弱いだけ」

冗談に額を小突いたりして見せたが、齢の割には秀でたガキで俺に無いものを持ってたから気になったのは事実で、何だか一緒にいると不思議な感覚だった。
真夏も過ぎ去る頃に、その少年と来年も江戸へ来る約束をして国へ帰る。その繰り返し。

繰り返して繰り返して繰り返して、何だか色濃いモノになって行って、そうして俺は何かを恐れ江戸へ行かなくなってしまった。

いつもそうだった、気になって追いかけて逃げ行くモノを殺す自分。性に合わない約束。依存などしても所詮どうにもならない。手に入らない。生まれた時から認められない。いいや、殺したモノに感情はある筈だった。だって、もがき苦しむ過程を自身は知っていた。




「やぁ、君。大きくなったね」

少年から青年となっていた『君』に声を掛けると、青年はあの日と変わらない瞳で此方を見る。

「探すの、苦労したよ。君、今はあの道場にいないんだもの。てっきりまだいるものと思ってたよ」
「……。」
「ね、俺のこと覚えてる?昔一緒によく稽古したでしょ?久しぶり。正式に江戸へ養子に来たんだよ、胸糞悪ィ話だけどさー、」
「…約束…は、」
「え、なァに?」

初夏の蝉が鳴く。一丁前に刀を下げたあの日のガキは、俺に似つきもしない黒眼で言う。問われると、頭が痛くなって真っ暗になりそうな気がした。ああ駄目だって、きっと殺したモノもそう死ぬ間際に思ったんだろうか、唱えたんだろうか?

「もしかして君、あんな約束信じてたんだ?俺気分屋だからさぁ、君との約束のためだけに毎年江戸へ行くわけないでしょ」
「……約束、忘れてたってことですか…?」
「忘れてなんかないよ、意図的に行かなかっただけ。一方的に約束破るの好きだから」
「…それだけ…?」

(いいや、感情なんてものは無かったのだ。)

首を捻るように強く掴むと、あっけなく其れは崩れ落ちた。どうしようもない心の底が哀しく泣いている。どうすれば良かったのかなんて、どうでもよかった。


「あの時より弱くなってるんじゃないの、君」
「…貴方が江戸へ来なくなったから、あの道場へ行くのはやめました」
「そんな理由で?馬鹿だね、君って本当にろくでなし」
「貴方の、理由は?」
「ハァ?なんの理由?」
「約束を破った、本当の理由…。」

(守りたかった。何を?何を守りたかった?消えたかったのでは?自分自身を許せなかったのでは?)


「じゃあ君が願うような最低な理由を教えてあげようか?…つまり、夢でさァ、君ってば大胆で俺を何度もイカしてくれたんだよ。女の穴よりいい穴してて、締め具合とかもうそこらへんの売女より最高に気持ち良くてさぁ。俺、夢は正夢にしなきゃ気ィすまない質でね、昔君に話した鯉だの蝉だの、あれも殺した夢を見たから適当に殺しちゃったんだよ、分かる?」


逃げ場所は死んだってある癖に、彼は中々逃げようとはしなかった。
逃げるモノを囲って逃げぬモノを殺す。そういった興味はある。

「こんな淫夢、正夢にしちゃったら大変でしょう?だから君を想って江戸に来るのはやめたんだよ、感謝してもらわなくちゃねぇ」
「貴方は、私に逃げて欲しい…?」
「……生意気だなァ…。久々の逢瀬に正夢にしてあげてもいいよ?」
「……正夢に、できるの?」

絡めた指先はピクリともしない。



「一君、本当に逃げないと最後まで犯しちゃうよ?」
「最低な理由押し付けて、佐々木さんはまた逃げるの…?」



蝉がボトリと、上から落ちた。


end











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