名も知らぬ花が首から落ちた。花弁は散ってしまった。蝶は、舌打ちをした。 目の前の男は白い息を吐きながらも、赤い息を吐き続ける青年を睨むが、黒い下駄は霜を踏み潰しながら悲鳴を叫んだ。 「お前、…自分が何を言ってるのか理解できているんだろうな?」 「やだな、阿部さんこそ自分がおっしゃってる意味、ちゃんと分かってるんですか?」 透き通った無垢な笑顔を見せる青年を、男は酷く嫌っていた。現に今、男は青年を殺したいがために此処へ足を運んでいる。 しかし、冗談好きの青年は男を嬉々として歓迎したのだ。 これは慶応三年、師走十八日のお話である。 「狂ったのか、」 「狂っちゃいませんよ。だって、阿部さんにしか頼めないんです」 "新撰組"にいた頃から、一番隊隊長である沖田のことはよく分からなかった。 (分かりたくもなかったのだ、このような殺人鬼についてなど、) 季節外れに鳴いた不如帰がグチャグチャと羽ばたいては落ちていく。 「阿部さんが僕を殺しにせっかく此方へ来てくれたのだから、お茶でもお入れしましょうか?」 「遠慮する。毒を飲まされてはかなわんからな」 「いやだなぁ、私は阿部さんを殺したいとは思ってないですよ」 「では、俺がお前を殺すと言ったら?」 「私は殺されないんです。だって最後の余力を使って先に阿部さんを殺しちゃいますから」 「結局殺すのではないか」 「でも殺されない私の身にもなって下さい。それこそ刃の下で死ねない私は殺されてしまうのと同じです。」 縁側に座り、膝に鞠を乗せた沖田は、甘い饅頭を口いっぱいに頬張った。 演ずるようで演じてはいない、結ばれた帯の縦結びが、「縁起でもないの」と話しかける。 ならば、沖田の話す笑い話など、比喩するものも何も、糸の絡まる鞠とは近寄りがたく、程遠い。 「近藤先生は伏見街道を馬に乗って通ります。阿部さんは先回りをして待機しておいて下さい。街道までの近道、分かりますよね?」 「……もし、」 「なんです?」 「お前の言うことが罠だったとしたら、」 「阿部さんは疑い深いのですね」 「いつぞやに油小路で"大事な師"を殺されたのでね」 「だから御互い様にしましょう。それに罠だなんて、滅びしか待ち受けていない私たちが今更仕掛けるとでも?」 「……。」 青白い顔で笑う沖田は、熱いお茶を自身の足先へとかけた。親指はたちまち真っ赤になり、妙な紫色に染まりゆく。下駄の鼻緒が触れれば、ズルリと皮は剥けるであろう。 「近藤は、お前が唯一尊敬する"師"ではなかったのか」 聞くと、狂い色のその瞳はぐるぐると空色を映し、果てには黒い木を映して止まった。 「尊敬してますよ、大好きなんです。だから置いて行かれるのは困るのです」 「…馬鹿馬鹿しい考え方だな、沖田君」 溜め息は喪服のような黒を溶かし、紫明に再来を諭す。 忌み嫌っていた筈の沖田を、阿部は初めて感情を持ち始めた童幼のように、可哀想だと感じた。そして自身より酷く、沖田も童幼であると思っている。 気に入らなければ潰す、気に入らなければ殺す、そして無知であり、そういった泥遊びなのである。 「近藤先生を殺して下さいね」 その先に何を望むのか、何を引き込むのか、傲慢なほどの樟葉であるのか、―――。 「お前の頼み事に動揺して殺し損ねそうだ」 「別にいいですよ、死ななかったとしても…」 「一生刀を振るえなくして…いっそのこと新政府軍に捕まって殺されるようにしてあげよう」 「はい、お願いしますね」 沖田は重い腰を上げた。 ひらひらと手を振った。 「では、私はこれで…。伏見へ行かなければなりませんので」 「俺は"沖田総司を殺しにきた"のだが?」 「うーん…じゃあ一足先に伏見へ発ったため、私はいなかった事にして下さい」 「調子がいい奴だ」 膝から黄色い鞠がてんてん、と跳び跳ねるように泥沼へと沈む。 「あ、そうだ…。阿部さん、私の墓参りに来てくださいね。墓前で誰が死んだとか、誰が殺されたとか、誰が自害をしただとか、色々聞きたいのです。土方さんの死体だとか、どこで死んだのだとか…。ああそれから、私の"親友"の生きざまの報告もお願いしますね、約束です」 「そんな約束、忘れてしまうだろうよ」 聞いているのかいないのか、沖田は一度も振り返る事はなく、棺桶へ急ぐようにゆらゆら歩く。 左手には赤い不如帰を握り締めたままだった。 この青年を見たのは、これが最期である。 end ← ×
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