「遊ぼう!なんか競争的なやつで」

芹沢がこう言い出したのは、昼飯時も一刻を過ぎた頃だった。生憎、その場に居た人物だけが、芹沢の悪戯な思い付きの犠牲となる。

そしてまた、その勝負に負けたのが平山と斎藤と永倉の計三人。
その反対に、勝利の笑みを浮かべた沖田とお梅が、申し訳なさそうに眉を下げる。ドッカリと胡座をかいて座る筆頭局長の口から出たのは、「負けたから真夏地獄の中を散歩してこい、三人は楽しいぞ」という言葉と笑顔だけだった。芹沢は子供心を忘れない大人、いつぞやに思った事を再び思い出してしまった平山である。



「で!何で山の中に居ンだよハジメェ!」
ガサガサと顔に当たる木の枝と葉をかき分け、あからさまな山の中で永倉は甲高く叫んだ。
叫ばれた男も、枝をかき分けながら不機嫌そうに後ろを歩く永倉へと返す。
「俺に聞くな」
「だいたいテメーのせいだろ、テメーの方向音痴のせいでこうなってんだろーがっ」
「黙って着いてきた永倉さんも永倉さんだ。道を間違えていると知った時から親切に教えてくれりゃよかったんだ」
「それが先に京入りした奴のセリフかよ!」
「遅れて京入りした奴がなに偉そうな事を…」
絶対自分の非を認めない斎藤一と永倉がこうなると、全く終止がつかない。

「あーもう!平山さんコイツに何か言ってやって下さいよ…」
「いや、某が悪いんだ。某が京の町並みを高台から見たいなどと言ったから」
「いやいや平山さんがそう言って、道案内したのはコイツですって」

道とはいえない道を進んでいるのは、永倉の言う通り斎藤のせいであった。
空を見ると、烏が鳴いては日暮れも近いと親切に教えてくれている。否、斎藤の方向音痴の素晴らしさを唄っているようにも見えた。

「しかし、中々楽しい。これは道を間違えた斎藤君に感謝せねばならぬ」
「有難きお言葉…」
「ちょっとちょっと!どんだけなの平山さん!?つぅか道間違え過ぎだろコレェ!」

もう一度烏が鳴いたかと思えば、どこからか聞こえる鐘の音が耳を占領する。
その方向に被さる枝をガサリと掻き分けると、真っ赤に染まる景色が眼を綺麗に支配した。

「永倉君、夕焼けと京の町並みが見えるよ」
「ほら見ろ絶景だろうが、感謝しやがれ」
「うるっせぇな、誰だよさっき道間違ったのを肯定しやがったのは」

言い合いながらも、平山の後ろで和む二人。
町並みが見えたのか、少しの余裕と笑みが溢れる。「この山をおりれば、絶対的に道へ出る」そんな平山の言葉に肩の力が抜けた――その時、
ズリュ、幾ばくか土が崩れる嫌な音がし、斎藤の身体は大きく右へと傾いたのだった。


「はじめ!」


急な傾斜をコロコロと小石が落ちて行く。足を滑らせた斎藤は、永倉にしっかりと掴まれていた。伸びきった腕を痛いとは感じなかったが、こうなればいくら喧嘩ばかりする相手とて、申し訳ない。
助けられた事に照れを感じてしまっているのは、妙に変な気持ちであった。

「お前何やってんだよ…!」
「……っ」

下を見ると引きずり込まれそうな感覚に陥る。それを振り切り、永倉に視線を移すと、いつにもなく必死な顔で額に汗すら浮かべている有り様だ。
大丈夫かと問う平山の声が、何だか遠くに感じてしまっている。

「待ってろ、今引き上げるからな」
「…すまない」
「あ!」
「永倉さん…?」
「どうしようハジメ…俺キノコ掴んでる……」
「ハアア!?!?」

斎藤の危機を咄嗟に受け、飛び出したのはいいが…何を掴んで体重を支えればよいのか分からず、生えていたキノコを無我夢中で掴んでいた永倉。
あれだけ感謝の念を浮かせていた斎藤も、窮地の格好でありながら永倉に苛々が隠せない。危なくも普段の関係に戻りつつある――。

「とにかく、木でもいいから何か掴め!」
「か、片手で移れってか…お前なんつー酷なこと」
「当たり前だ、手放したら俺が死ぬ」
「無理……周りキノコしかない…」

(絶望的だ)
斎藤はそう思った。思うまでの速さと素直さは、一番取り柄があるものだ。
そうしているうちに、二人分の体重はズルズルと音を立てていく。

「はじめ、俺ら下に向かってねぇ?」
「貴様が掴んでるキノコが抜けかけてるんだろーがッ!」
「いやいや頑丈なキノコだと思うよ俺は」
「アホか!キノコが頑丈だったら人類皆キノコ狩りなんかしない!」

キーキー喚く斎藤の手をしっかりと握りながらも、永倉は冷や汗が出た。
瞬間、ズボッと不可解な音がしたと思えば、既に抜けたキノコは空中を舞って夕焼け色に染まっている。これがキノコ狩りならば喜びに満ちていただろうが、生憎命がかかっているのだ。
そして悪夢は始まった。
とりあえず、ズザザザザと大きな音が鳴り響いたのは夢ではない。

「うあああああ!」
「新しいキノコでいいから掴め永倉ァ!」

そんな一大事の賑やかさがピタリと止まったのは、永倉の手が伸びた時だった。
ゆっくり見上げると、そこにはニッコリ微笑む平山が立っている。先程の場所から多少下へ落ちたものの、平山のおかげで難を逃れた永倉と斎藤。
それはそれは、袖で涙を拭う程――。

「かたじけなく思います平山さん、永倉さんのせいで…」
「最初に足を滑らしたのはテメーだろが!」
「まあまあ、二人とも。とりあえず引き上げるから、もう少しの辛抱を」

――やっと安堵を得た。
平山から右腕を掴まれている永倉は神様の温もりを感じていたし、斎藤は平山の背中を見ては絶対救われる安心を持っていた。
それでよかった。

よかったのだが、神様はこの三人にどうしても意地悪を与えたいらしい。
あの芹沢の思い付きお遊びに負けてしまった三人なのだ、平和だけは否めない。これは1日を通して最悪だということを、ちゃんと知っておかねばならない筈だった。


平山が掴んでいた頑丈そうな木の枝が折れるまで、長く時間はかかっていない。
只、パキンと軽い音がしただけ、それだけ。なのにこれだけの爆音のような音と悲鳴が聞こえるとは、全く持って差が激しい。

皆、助かりたい一心で落ちる間際、何かに掴まった。命がいかに大事か、自身に素直な気持ちはこういう時こそ現れるもの。


「「痛い痛い痛い!」」
あからさまに聞こえたのは、紛れもなく平山と永倉の悲鳴であった。
平山の悲鳴の発端は、落ちるとき咄嗟に掴んでしまった永倉に原因がある。永倉は平山の眼帯を掴んでいたのだった。
そんな永倉も悲鳴をあげたのだが、その原因は斎藤にある。赤い布のようなものを斎藤は必死に掴んでいた。それは、どうみても永倉の下半身に繋がっており、尋常でない痛がりからして、下帯のようだ。

「眼がああああ!」
「タマがあああ!」

プルプルと震える平山と永倉の姿を、深く心に焼き付けた斎藤。
だが、どうにも出来ない事に変わりはない。

「はじめっマジで手ェ離せ!潰れる!俺の立派なタマが潰れる!」
「お、落ちろと言うのか貴様!」
「ま、待て早まるな…!そ、某がなんとか二人を助ける…!」

伸びきった眼帯の紐が凄まじい現状を物語っている。痛みに耐えながら右目を薄ら開け、自分が今、何に掴まっているのかを手探りで求めた。
その間も、永倉と斎藤の揉め合い事は計り知れない程の重圧となっていく。

「タマ潰れたらテメェのせいだからな!」
「貴様のタマなど潰れているのも同然だろう!タマと俺の欠損、どちらが一大事だと思ってる!」
「タマの欠損に決まってンだろがああああっ」
「貴様殺す!」
「殺すも何も俺ら死にかかってるだろ!火じゃねえんだよ灯火なんだよ!」

永倉の下帯に力が入れば、今度は自然と平山の眼帯に力が入る。この言い争いが、どれだけ平山を苦しめているのか、肝心なところを二人が知る由もなかった。
眼帯の紐が左目を潰す勢いであったが、平山はその左目すら痛みに耐え、一生懸命現状を見据える。

そして、ギャーギャー騒がしくなってきた中、申し訳なさそうに悲しく、平山がボソリと突然に呟いたのだった…。


「すまない…某、キノコを掴んでいた…」


それから気付いた時には、三人は揃いも揃って道に転がっていた。
平山が握っていたキノコが抜けたのか、平山の眼帯が千切れたのか、落下の真相は定かではない。眼帯は見つからなかったが、平山の右手にはしっかりとキノコが存在していた。永倉は股間を押さえながら踞っていたし、斎藤は空しか見えなかったと豪語する。

つまり、三人は山の斜面を転がり落ちてきたのだ。傷だらけの手足は、生々しく少量の血を滲ませている。
何にせよ、生きていてよかったと心から思う三人なのであった。そして太陽が沈む間に帰宅出来たのも、山の斜面を転がって来たからである。でも、そんな事実に感謝はしたくない。


――
「おう、遅かったな、お前ら散歩はどうだった!楽しかっただろ!」

八木邸へ戻ると、玄関にて迎えてくれた芹沢の笑顔が眩しすぎた事を、決して忘れてはならぬ。
直ぐ様、正気のない三人の顔と姿に、芹沢は不思議そうな顔を向けた。

「おいおい、どこぞの浪士とでもやり合ってきたのか?三人とも何だ、その様は」

帯を無くし博徒にしか見えない姿に、装着している赤い下帯はボロボロの永倉と、遊女でもないのに着物が破れたため、思い切り胸元がはだけている斎藤、そして眼帯を無くし左目を手で押さえ、右手にキノコを持っている平山。

三人は完璧に芹沢の笑いを誘ってしまったのだった。

「芹沢さん、お土産です」
「あん?これ食えねーよ、だってこれ毒キノコだもん」

スッパリとそう言われ、突如泣き出した平山に芹沢は焦りに焦ったとか…。
皆の笑いを誘ったこの事件は、暫くの間、語り継がれるように広まったという。

end












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