糸屋格子から漏れ出る灯りを背に、掲げられた提灯の真下で蹲ったまま、自身の足元はとうに見飽きた。白い息をゆっくり吐きながら、だらしなく垂れた刀の下げ緒を指に巻き付けたり弾いてみたり。時には両指先に吐息を吹きかけ、温かくもない両手を重ねて春を演じる。

「ちょうちょ、」

石畳の小路に現れたのは蝶々でも何でもない、得体の知れない影絵だった。思ったより出来が悪い作品に、斎藤は眉を顰め一生懸命に考える。

「んん、…鳥、……蟹?」

鳥にしては不恰好、蟹にしては蜘蛛のざま。何をしてもその繰り返し、一向に華やかさには程遠い。そればかりか、またじわじわ指先は冷たくなって骨が軋む。これはいけないと、拳を握ったり開いたりを花が咲く如く真似てみた。
すると頭上から息を噴き出すと共に、堪え切れなかった笑い声が零れ落ちて来たのだった。

「斎藤、おまえ手影絵へたくそだな」

いつから眺めていたのだろうか、土方は押し殺しもせずに腹を抱えて思いっきり笑った。笑われた斎藤は忽ち頬が熱くなって、もう指先の冷たさなど小さいことは忘れている。一頻り笑った色男は斎藤の隣にしゃがみ込むと、器用に両手を絡めたのだった。

「これ、なぁンだ」
「……土瓶!」
「当たり。…じゃあこれは?」
「う、兎」

鳥も蟹も蝸牛も犬も小路に浮かび、寂しかった夜は賑やかな集まりに衣替え。其れを観る斎藤の目も硝子玉のようにころころと色を変えていく。土方は其の硝子玉のような目で無邪気に笑う斎藤を堪らなく愛しいと感じた。
斎藤を見つめれば見つめる程、提灯の真下、静かな小路の舞台上で役を演じたまま動かなくなってしまった手は何を思って動かないのか。化けない影絵と何にも成らない土方の手を交互に眺め、斎藤は足元の舞台上に片手を滑り込ませて左右対称の手影絵を作る。どことなく満足そうだ。

「んふふ、ねこ、…猫ふたつ」
「…馬鹿、こりゃ狐だろうが。狐二匹だろ」
「きつね…?」

小指と人差し指で作った長い耳を伸ばしたり折り曲げたり。手首を動かせば影絵もゆらゆら揺らめいて、心情と言わんばかりに深く困惑している。その夢魔を喰らうよう、耳も目も口も何もかも分からないまま頭から丸ごと、ばくり、と化け狐は猫のような物を食べてしまったのだ。
ぐちゃぐちゃに重なり合った影絵は蠢いている。

「あーあ、食べられちまった」

土方は残念そうに棒読みの台詞を吐き捨て、斎藤の冷たい指と指の間に自身の指を入れ込んだ。凍てつく冷たさと芯を溶かす温かさはどちらが強いのか。
入れ込んだ指先で手の甲を撫でてやると、くすぐったいのか恥ずかしいのか斎藤は目を伏せてしまった。そんな斎藤を揶揄うように、土方は着物衿を引っ張り肩を抱き寄せて顔を覗き込んだ。

「唇も冷えてンじゃねェか」
「…ん。」
「お偉い方サンとの会食、長引くから先に帰れっつったのに…。何で寒ィ中律儀に待ってんだよ」
「怖くて、暗い中迷子になるのが怖くて寂しくて。だから一緒に帰りたかったです」

腕を掴んできた手は力強く、土方の骨がみしりと唸った。肩に掛けていた羽織は酷く握り潰され、深い皺が刻まれている。口角を上げながら白い息を吐き続ける斎藤の白い歯がやけに鋭利に見えた。待たせて悪かった、と土方が謝ると斎藤は口を窄めた。畏怖を覚えた真っ黒な瞳だけが煌々と動いていた。
かといって手を繋いで歩き出せば、朗らかに笑って下駄をカラコロ鳴らして歩く。夜空を舞う死にそうな蛾に夢中になっては、カラコロカラコロ、ガラゴロガランガランと楽しそうに鳴らすのだ。このような夜更けに彼はどうしたものか。嗜めても変わらない下駄の音は三味線を引き連れて歩いているようなものだ。
土方は石畳が続く小路を避けるよう、細い暗い誰もいない路地へと斎藤を連れ込んだ。

「あのなァ斎藤、お前わざとやってンだろ。下駄は夜にガラガラ鳴らして歩くもんじゃねェ」
「……抱っこ、」
「はァ?」
「下駄鳴っちゃいます、うまく歩けないので、叱らないで」

下手くそな冗談にしては甘えている。土方の足に自身の片足を巻きつかせて抱き着いたまま、斎藤は離れようとしなかった。首に絡まる腕さえ離れない。これには参ってしまったが、これには離す道理もない。冷たい土方の指先に斎藤は肩を大きく震わせたが、もうそれは最初の始め事で今は違う意味合いに肩を小さく震わせている。
ジャリ、と下駄は土を轢き殺した。が、もう一方の片足も持ち上げられると、下駄は簡単に討ち捨てられ来た道小路という名の往来へと転がって往ってしまったのだった。

「あ、下駄、下駄が、走って行った」
「今はどうでもいいだろ、お前が誘って来たんだからコッチに集中しろ」
「帰れなくなっちゃ、います、よ」
「どのみち帰れねェだろうがァ、終わるまで此処からは」
「うう、うん、はい。帰れないの嬉しい、ずっと、帰れないの嬉しい。抱っこ好き、欲しい、歳三さんの、もっと、」

真っ黒な瞳だった筈が暗闇では黄金に澱む。

「気持ちい、です、歳三さんの、挿し込まれるのも押し込まれてるのぜんぶ気持ちい、歳三さん、歳三さん、好き、気持ちい、ねェ?」

欲に塗れて楽しんでいる時ほど以上に楽しい物はない。名を何度も呼ばれるのは満更でもない。斎藤の表情も身体も声もいつどこで味わっても土方は飽きなかった。さあどうすればもっと自分に溺れるか卑しく考えてしまうほど溺れているな、という考えが悦楽のあまり考えても一緒だという考えに辿り着いたと考えに考えた時、まさにその考えた時、だ。

どすん、と脇腹に重たい衝撃が走り、土方は少しだけ酩酊したように両足が前後へと動いた。するとどうだろう、ぢぐぢぐと鈍い痛みが身体を侵食していく。斎藤の背中を左手で支えながら、右脇腹に触れてみるが、どうにもそこには間違いなく鋭利な物が生えているのだ。すぐさま引っこ抜くと其れは自身の刀の内側に備付けていた小柄だった血塗れだった赤黒く光っていた。
(ああ意味が分からない。)
斎藤は土方の首に掴まり仰け反りながら笑っている。

「おいお前、笑いごとじゃねェだろ…、何やってンだア」
「挿し込まれるの気持ちい、から。歳三さんにも、どうぞって、刺しちゃった」
「挿し込まれて気持ちいいのはおめェだけだろうが馬鹿野郎がァ」

眉間に皺を寄せ痛みに興奮に高揚に息を乱す土方の脇腹を斎藤は優しく撫でた。指先がぬるぬるしているのは流れている血のせいだ。臓物を傷付けないよう、なるべく外側へ浅く前後に深く刺したのだが、それでもこんなに血は流れるものなのだと斎藤は感じていた。反省とは別物である。

お気楽に斎藤は口笛を吹きながら、土方の顔前に両手を並べ狐の手影絵を作ってみせた。にこりと笑った。

「んふふ、猫、ふたつ!」
「だァから…、そりャ狐二匹つったろが、」
「うふ、鬼、おにがふたつ、二匹」
「……可愛いなァ畜生がァ」


(イカれてンなア、俺もお前も、)


end











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