夏の、何かの祭の日だった。
別に余所様の土地の祭になど興味はさらさらないので、人が多く出歩いているなぁといった印象だけが頭の中にある。その雰囲気に呑まれ、人々は太陽が沈み影が伸び始める夕刻にぶらりぶらり、別段涼しくもない風を浴びて歩くのだ。皆同じ方向に行ったり来たり、行き交ったり擦れ違ったり、何をするだの何を見たいだの、曖昧な理由を引っ提げて。

「風車はねェ、参拝土産にもらったことあるよ。綺麗な色だったな、五色のね、」

風車というものは元々脆いものだと思っていたが、わりと丈夫に出来た代物だった。左頬に突き刺した風車の柄は、折れる事なく右の顎下から突き出ている。それを手前に引くと子供の柔らかい頬は竹骨にいとも簡単に引き裂かれていた。雑な切れ目は肉が剥き出しになり、ぐちゃぐちゃになった塊が盛りあがっているため、まるで咲き誇った花が口元に飾られているようである。

ギイイイ、と啼いたのは痛いからなのか舌も一緒に裂かれて痛い痛いと喋れなくなったからなのかは分からないが、引っくり返った虫みたいに、動きをばったばった、繰り返し繰り返し虫みたいに、そこまで啼かないでいいだろうに、やはり啼くのだなぁ滑稽だなぁと、込み上げてきた笑いを終末には噴き出してしまっていた。

更に腕を踏みつけて小さな赤黒く腫れた短い指を反対方向にぽきん、べき、ぱき、と小さく可愛らしい音を奏でながら折り曲げていく。十本の指すべては同じ方向には向いていない。素晴らしいほどの十人十色、とでも言うべきか。

「折り紙みたいに綺麗な折り目は付かないね、だって掌は折り紙じゃないもんね。掌と指は折り紙を折るためのものだもんね。でもこの手、ちょっと形が鶴みたい」

しかしそうするたびに醜い地を這うような声を空に向かって懸命に、いや、必死に出すので少し鬱陶しく感じ、刀を鞘ごと腰紐から抜くと、子供の頭を目掛けて思いきり叩き付けた。めき、と木の枝を踏んづけたような簡単な音がした。
それから痙攣する身体を足で押さえ、刀でぐるりぐるり細い腕、肘周りの肉を切ると、肘の関節ごと通常曲がらない反対方向へと押しやる。それはそれはバキンと単調な音を出すと、いとも簡単に腕は取れた。同様に、片方の腕。そして両膝も同様、丁寧、粗雑の間ぐらいにサラサラと施す。垂れている白い糸は神経なのか腱なのか。

「凄いね、小さな子供でもそんな大きい、狂ったような醜い声が出せるんだ、驚いた。そうだよね、さっきお前、僕たちのこと指さして壬生狼壬生狼、身ボロって楽しそうに嘲笑ってたもんね。人のこと指差して笑うなんて、まったくどういう神経してるんだろ。あ、この垂れてる白いのが神経か、頭の神経も白いのかなぁ。白痴の神経だね、頭おかしいんだね。頭おかしいから楽しそうに人のこと笑うのかな?でもその楽しい声より今の声の方が大きかったから…うん、最期は満点だね!」

負けじと自身も満点の笑顔を作った。が、その達磨擬きと変わり果てた幼い人間が背負っていた赤子が、今度はわんわん泣き出したものであるから一瞬で真顔になってしまった。今の笑顔を作った意味が全く無駄になってしまったのである。
無言で達磨擬きの変わり果てた幼い人間らしきものを川へ蹴り捨てると、引き千切った両腕両脚を、まるで遠くの錦鯉に餌を与えるよう投げ捨てた。残されたのは小さな赤子だけである。

「兄弟かな?」

汚い物を摘むように着物襟を掴み持ち上げると、手足をじたばた動かして未だ未だわんわん泣くのである。その赤子がいつ生まれたのか男の子なのか女の子なのかいつ頃歩き出すのかいつ頃拙い言葉を喋り出すのか名は何というのかどんな風にこれから成長していくのか等、まるで息を吸ったり吐いたり自然に行う呼吸の一環のようにどうでもいいことなのである、もうすぐ終わるものなんかに興味は無いただでさえ継続するものにも興味はないのに。

「泣き顔、不細工すぎ。きったない」

うわんうわんうわんうわんうわ、の途中で川の中へ入れた。げぷげぷ口から泡を上げ、一度は少し浮かんで来たが、もうおやすみなさいといった風に川の底石を枕にして眠ってしまった。

「五月蝿かったなぁ、一個はギーギーへんてこな秋虫みたいに鳴くし、もう一個は小さくて可愛ければ何でも許されると思ってわあわあ赤ちゃんみたいに泣くし。そんなに五月蝿いとせっかくの一年に一度の夏祭り、連れて行ってもらえないよ、大人しくお留守番させられちゃうんだからね」

何も無かったかのように静寂は出来事を丸飲みし、風に吹かれた枯れ葉は知らぬ顔をしてカラカラ笑って転がっていく。転がる枯れ葉と一緒に下駄を鳴らしながら川沿いを歩いた。高さが非対称の石段をゆっくり登って祭りの人混みの中に戻ると、橋を渡り終える前に肩を掴まれた。

「捕まえた。お前どこ行ってたんだよ、探しただろーが」
「僕も左之さん探してたんだよ」

ちらりと橋の上から川を見下ろすと、ああ彼処にあれを投げたな、あれは其処に放ってあれは沈めたな、浮いてきてないよな、流れてしまったよな、とかを精々焦りもしない心と頭の中で黙々考えるのだ。

「あれ、お前帯に差してた風車落としたの?」
「ううん、さっきの子供に刺してあげた」
「へぇお前優しいね。しかし俺たちそんなに身ボロかなぁ」
「うん、まあ立派な武士ではないね、見た目不逞浪士」
「だが心は立派な武士なんだけどな」
「残念、心は見えません」

死んだ人間が吐く吐息のような風ではない、夜だと云うのに、生きた人間が吐く吐息の、それでいて後少しで死ぬる人間が吐く吐息のような生温かい風が吹いたり止んだり。
その風に鼻唄を乗せてみるが唄の内容は知らない。
(そんなものだ、知らないものばかり。見えているようで見えないものばかり。現実に蓋をして思い込みを描いたり騙したり、成る程これは気分が良いきっかけなのだ)

「あれ、川にいっぱい風車流れてらァ。見てみ、平助」
「違うよ左之さん、あれはてのひらだよ」
「んん?手はあんな変な形してねェだろ。うわ、川も夕焼けが映って綺麗な色だなァ、きらきらだ、あれだな、しみじみ感じ入るものがあるな」
「…左之さん風景を眺めて感慨深いって感じること出来たんだね」
「ばっか、お前、俺だってそういう時もあるわ」

とっくに日没した黒い川を平助は微笑みながら覗き込んだ。

end











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