涙を流したい時に上手く涙は流れず、涙を流したくない時には勝手に不恰好に流れ出る。ずる賢い。暗く長い夜に考えたくもない先や後のことを考えて怖くなるが、然し短く明るい昼間にも後や後、考えても致し方のない先のことを考える。終わりが近い人だけが知っている。頭が混ぜたようにぐちゃぐちゃなのか、心が崩れたようにぐちゃぐちゃなのか。どうしたら良いものか。一切分からず消えてしまいたいと思っても決して綺麗には消えないこと人間は汚く終わるということ。

「死ぬことは怖くなんかなかったのに、最近は本当に死ぬから死ぬことが怖いのなんのって。元気に笑って私の大好きな友人の隣に居座ってるあなたが憎たらしいと思うことがある」

沖田は天井を見つめたまま呟いた。
布団の枕元は赤黒い染みを作っていたし、屑籠が置かれた畳の下にも黒い染みを作っていた。口元を手で拭ったのだろうか、右手の甲には渇いた赤色がべっとりと付着している。

「憎たらしい、ほんとに憎たらしい。返して、連れてきてって何度も何度も言っているのに。別にあなたに会いたいわけじゃない、なのになんで、毎日毎日あなたが会いに来るの、大嫌い」

沖田の吐き出した言葉を繰り返しながら、久米部は白い息を吐き曇り空を眺めた。あの雲は大きく灰色が強い。あの雲は長く連なっている、そして厚い。こんなふうに雲を察しながら空を長く眺めたのは久しぶりだった。時間が勿体ないと酷く感じた。くだらないとは思わなかった。

「俺は沖田先生のこと大嫌いではないです。だって、色んな表情を見せてくれるから。」

冷たい冷たい風が吹く。あっという間に指先と頬は冷たくなる。それで死んでしまう、とは思わない。

「だって沖田先生、もうすぐ死ぬんやろ?それ自分で分かってるんやろ?死ぬこと受け入れとんのかなって思うてたけど、やっぱり受け入れられてへんやんなぁ。ふふ、そこんとこの気持ちの荒れ具合、見るん楽しかってん」

曇り空に似合わず、久米部はからからと楽しそうに笑った。

「ああ怒らんといて。沖田先生のこと褒めとるんよ、綺麗やって。人間希望もなく絶望感じとる時の顔って、ほんま綺麗なんや。だからあんたはそのまんま、好きな人には会わんで死んだ方がええ。その方がええ顔見れるしな、それも今日で最期やけど、残念。でも今すっごくあんたええ顔しとる、はは、最期の最期にありがとさん」

それから、ああそうだ、と思い出したように手を叩き、久米部は懐から淡い色の紙袋を取り出した。それを逆さにすると、色とりどりの飴玉が畳の上を喜ばしそうに転がって行く。

「沖田先生、甘いもの好きやったやろぉ?何が好きなんかは知らんけど、甘い飴ちゃんでも食べ?口に入れるんは十までやで。廿も入れたら喉に詰まって死んでまうからなぁ」

転がった飴玉を見つめたまま、沖田は涙を溢し続けるだけで何も言わなかった。転がった飴玉にも手を伸ばそうとはしなかった。動かなかった。その表情を何と表したら良いものか、それはそれはこの世を怨み恨み、死んで逝った異形の者の顔そのものであった。その表情を真正面から眺め、久米部の心は忽ち洗われたように穏やかになっていく。

「死にとうないのに死ななあかんし、世の中上手く行かんもんやなぁ、可笑しいなぁ」

頷きながら一室の障子を閉めたのか、閉めずに出てきたものか、最期に細い声で最低、と呟かれたのか、久米部はとっくに忘れている。そんなことなど、全くどうでも良いからだ。
(さよなら言うの忘れた、)
その事さえ、もう忘れている。




雪が散らついているのかと思えば、それは花びらでもなく頭の中の残響だということを疎ましいと理解すべきだったか。

「沖田さん誰にも会いとうないって。特に斎藤せんせぇには自分の弱っとる姿は見せたくないんやて。」
「そう…。」
「最期に飴玉有難うって言うてはったよ。ちゃんとさよならって代わりにお別れしてきたから。なぁ、だから斎藤せんせぇ、そんな顔せんといて」
「そっか、ごめん、ごめんね久米部。…少しだけ胸貸して、少しだけ、」
「ん、ええよ。我慢せんと泣いて」

自分の胸に顔を伏せて震えながら綺麗に泣く斎藤の頭を撫で、首を撫で、背中を何度も撫で、腰に手を添え抱き寄せた。

(泣きじゃくる斎藤せんせぇ、可愛らし。もうだぁれにも渡さん)

耳元へ囁くよう、久米部は生温かい舌を耳孔に挿入し斎藤の中を舐め上げた。


end











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