耳に触れる冷たい感触を追えば、優しくもあり力強くもある大きな手で、小指を握られた。
遠くに吊り下げられたペンダントライトの弱い明かりが、広く暗いリビングルームを心地好く照らしている。「おかえりなさい」と告げたのはいいが、瞼も身体も重く、ソファーから上体を起こすことさえ難しい。

「一君、一体いつから此処で寝てるの?」
「…お昼、」
「学校は?」
「早退した…。」

テーブルには薬と食べかけのサンドイッチと小銭が乱雑に置かれている。佐々木は斎藤の小指を握ったまま、ラグに転がったペットボトルを拾い上げ、飲みかけの水を全て喉に通した。

「連絡してくれたら迎えに行ったのに」
「迷惑かなって、思って…」

ソファーに深く腰を掛け、佐々木は煙草に火をつける。ほんのりZippoオイルの匂いがして、またすぐに消えた。消えないのは指先の冷たさだけであったが、熱くなってしまった身体にはそれがいい。

「ゆっくり、風邪治るまで泊まっていけばいいよ」
「うん、…薬は飲んだから、明日には少し良くなってると、思う…」
「冷蔵庫に何もなくてごめんね、何か買って来ようか?」
「…いい、何もいらない」

佐々木の手首を無意識に掴み、自身は何を言おうとしたのだろうか、心を探ってみるが答えは中々見つからない。さっき見つけたくせに、どうして肝心の言葉が出てこないのだろう。佐々木がふかした煙を眺めながら、唾を飲み込んだ。
そっと唇に触れたものを咥え、ゆっくり吸い込むと、喉奥にキュウ、と痛みが滲み渡る。煙草の煙を弱く吐き出す前に、また唇に温かいものが触れた。互いの口から漏れだす煙が、まるで融け合うように消えていく。焼失を繰り返し、匂いの存在と温もりの感情、時が止まれば何を必要としていたのかすぐに確信はついた。しかし時を止めることは出来ず巡ることしか出来ないことが儚いことだと、泣けてしまうことだと、斎藤はぼんやり想う。

「佐々木さん、いま、何時?」
「ん、真夜中だよ」

右手にはめている腕時計を見せてくれたが、あまりよく見えなかった。2時33分は必ず過ぎているだろう。

「夜になれば冷えるね、外は寒かったよ。帰ってきたらいつものように独りだと思ってたから…。一君あったかいね、おいで」

ソファーから引きずり下ろされるように、斎藤は佐々木の腕の中へ引きずり込まれた。こういう時、何を言ったら良いのか分からなくなるのも、気のきいた一言が思い浮かばないのも、きっと好きな人だから恥ずかしい気持ちがあって、全く素直になれないのも全て自身の悪い癖、見透かされているのは彼の良き才能。

「寂しかった、ずっとこうしてもらいたかった」
「おやすみ、一君」
「…おやすみなさい。」

掠れた声はもう既に飲み込まれている。


end











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