凛とした冷たさの中、澄み切った中、上り月なのか下り月なのか鼓星は知っているのだろうが、月影もない星月夜だ、あめつちはそう云ったか。 揺れぬ行灯の火は、大きな影絵を覗く。 「食べられるって、こういう感じなのかな」 天井を仰ぎ、久米部の頭を撫でながら斎藤はぽつりと言った。首筋に伝わる生温かい感触が離れ、抱き直される感覚が身体を巡る。 「食われたら、もっと痛いんやない」 「そうかな」 「あ、斎藤せんせぇ痛かったん」 「ううん、すごく気持ち良かった」 離れぬ影も温かいと言うのか。どうなのだと問えば影は影を伸ばし答えるのだろうか。 「おいしかった?」 「食いもんと斎藤せんせぇ一緒ちゃうで」 「違う、夕べ食べた天ぷら蕎麦」 「なんや、天ぷら蕎麦の話やったん」 「一緒の話。久米部のおいしそうに食べる顔も、一晩中見せてくれた顔も、好き」 微笑む斎藤の頬を撫で、優しく唇に触れた。その唇で自身の名を呼んでくれるだけで良かったのに、もう今はそれ以上を望んでしまっている。 望まずにはいられなくなってしまった事に余韻を残すよう、久米部は眉尻を下げた。まるで心は雪明りだとそらんじる。 「所有印、いっぱい」 割れた鏡台の破片を片手に、斎藤は嬉しそうに久米部の胸の中で自身の首筋を映した。 白い首筋には紅い花が咲いている。 「好きやで、斎藤せんせぇ」 腰から背中を撫で上げると、斎藤の肩に掛けていた久米部の大きな着物は床の漣へと飲まれてしまった。沈みもせず、浮いたまま揺るがず、在るがままにやはり沈む。 部屋の隅へと投げられた鏡の破片は、月さえも映さず二人の影だけを綺麗に遷した。 「過去に囚われて何処にも進めなくて、自分の進みたい場所も居るべき場所も自分が必要とされていない事も、全部分かんない。俺から刀を取れば何も残らないし何も出来ない人を従わせる力もない慕われる理由もない全然強くないだけの唯々、弱い人間なのに。ねえ、あのね、着物脱いじゃったから、懐に短刀なんか入れられないし、持ってない。久米部が付けてくれた所有印、鏡で見て安心したからあんな鏡の破片なんかいらない。もう誰も裏切らないし嘘も付かない、自分が決めた道をちゃんと進むよ。ほんとうに嘘じゃないから、だから、もっと、」 きっと一番言いたかった事は最後の方だった。 「どんな斎藤せんせぇでも俺はええねん」 強く抱き締められた拍子に、何もかも忘れてしまうなど、それはそれは小指を握られると握り返してしまう意味など忘れ去られてしまったかのように艶やかで。 「久米部の真っ直ぐな目、大好きだよ。だって、全部見てくれるから、好き」 あかつきやみまでもうすこし。 end ← ×
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