涼風に吹かれ、ぷらんぷらんと其れは夏を奏でていた。顔はよく見えなかった、首は伸びていた。地に着かぬ足は蒼白く、その下で下駄が仲良く転がって遊んでいた。

「伊庭さん、もう手を離して頂いても宜しいですか?首を吊る約束事があるので…」

何度目だろうか、山口一が不可解な事を呟くのは。
提灯を握る伊庭の手は、汗で湿っている。

「伊庭さん、あの、手を離して頂けませんか、お願い致します」

振り向くと山口はずっと後ろを向いたまま、何かを見つめている。気味が悪い。ちっとも笑えない。日はとうに暮れている。向こう側に見える灯りが、やけに遠く感じた。

「伊庭さん、伊庭さん、首を吊る約束事があるので手を離して頂いても宜しいでしょうか。ねぇ、伊庭さん伊庭さん、首を吊らなければいけません、私、伊庭さん、手を離して頂いても宜しいでしょうか、首を吊る約束事があるので手を離して頂いても宜しいでしょうか」

ずっと同じ事を繰り返し繰り返し、気味が悪い。繰り返し繰り返し、気味が悪い。ぷらんぷらん揺れて、下駄は転がって遊んでいて、繰り返し繰り返し、気味が悪くて、やはり山口は気味が悪い事を繰り返し繰り返し、伊庭は山口の手を離さないまま歩き続けるが、山口は繰り返し繰り返し同じ事を言う、気味が悪い気味が悪い気味が悪い。

「おいらがお前の手ェ離しちまうと、お前首を吊って死んじまうだろ」

ぶらんぶらん、首吊り死体の横にまた首吊り死体、不可解な事に一方の死体は見事に腐りかけ、右腕の肉はだらんと指先にぶら下がっている。またその先からは無数の蛆虫がぽとぽとぼとぼと、ひっきりなしに落ちてくる。にわか雨のように、気まぐれに落ちてくる。

「伊庭さん、あの、手を離して頂けませんか、伊庭さんの手から蛆虫が私の手に這ってきそうです。人間の腐った臭いも、少し。伊庭さんの手、泥だらけですごく汚い、びっくりしちゃう」
「うるさいな、蛆虫なんて手で払えばいいだろ」
「伊庭さん、どうして人様の墓なんか掘り起こしたのです。どうかしています、木に吊り下げるなんて。もう片方の首吊りさんが可哀想だと思ったのですか、だから隣にもう一方吊り下げてあげようなんて、お優しいけれど惨たらしいです」
「首を吊りたがるお前を、おいらが助けてやったんだから感謝ぐらいしろよ」
「首なんか吊りたがってません、気味が悪い、ほんと、気味が悪い」

振り向くと、山口一は怪訝そうに伊庭を見つめるばかりであった。


end












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