「永倉さん」


自身の愛しいと想ふ人は、名を呼ばれると部屋を出て行った。絡めた指先が離れて行ってしまうのは寂しいものだと感じた。
半刻も経っているのかいないのか、先程まで隣に座っていた愛しいと想ふ人がいないのであれば、時間の目処が分からない。どうして良いものか分からなくなっていた。

天気は良い。天晴、晴天とまでは行かぬが。


何気なく部屋を出て廊下を歩いてみると、縁側に原田がいる。何やら真剣に足の爪を見ている。

「原田さん、」
「おう、一ちゃん。」
「なにしてるの」
「ん、爪切り」

小刀を器用に回してみせた。

「切ってあげましょうか、」
「ほんと?」
「よいしょ、と。貸して下さい」

原田の左太ももに身体を乗せると、そのまま原田の長い脚へと手を伸ばす。
まずは右の親指から、丁寧に、

「一ちゃんうまいね、今度から一ちゃんに切ってもらおうかな、爪。」
「いいですよ、」
「わは、一ちゃん猫みたい。なでたーい、抱っこしたーい」
「一緒に寝転がりますか?」

原田の手が背中を撫でた。両腕で身体を抱かれてしまっては、本当に猫のような扱いをされている。
手は温かい。


「おい、」

ほんのりとろけそうだったのに、低い声に遮られてしまっては、眉を顰めるしかなかった。

「お前なにやってんの」

戻ってきた愛しいと想ふ人は怒ったように言うと、手をぐいぐいと引っ張る。おかげで、もう原田の身体の中からは離れてしまっている。もう温かさとはさようならだ。

「勝手にどっか行くなよ、心配しただろ」
「…永倉さんこそ、呼ばれてどっか行っちゃって部屋に戻ってこなかったくせに、なに」
「急いで戻ってきたら、一こそいなくなってたくせに。」

二人を前に、原田は首を傾げた。

「新八ぃー御取込み中すみません、俺いま一ちゃんに足の爪切ってもらってたんだけど…」
「あのなァ、爪ぐらいお前ひとりでちゃんと切れるだろ、人に甘えないの」
「まあそうだけどー、あれれ、新八おこってる?」
「怒ってないわい」

永倉は原田の額を小突くと、愛しい人を連れてその場から離れて行ってしまった。
後ろ髪を引かれる思いとはこのことだと学んだが、後ろを振り返ると、原田は笑顔で手を振っていた。二人は、気まずいのに。

「永倉さん、怒ってるでしょ」
「うるせーな、怒ってるよ」
「やっぱり。」
「何であんなに軽々しく左之の身体にべったりしてンだよ、腹立つ」
「あれは爪を切ってあげようとしたからで、」
「嘘つけ」
「嘘じゃないです」

部屋へ戻ると、碁盤に並べられた碁はそのままの白と黒である。やや白が多いか。
それを横目で見つめた。

「永倉さんの手、冷たい」
「ああそうかよ」
「永倉さんこそ、囲碁ばっかりして。腹立つのはこっちです」

碁は転がっていった。碁盤の上には何もない。黒と白は混ざり合っている。そのようなものだ、心も。


「お前のこと考えると頭いっぱいいっぱいになんだよ、だから囲碁して精神落ち着かせてだなァ…それから、」


既に手は熱い。


「“それから”…?」
「…察してくれ。」
「永倉さん、まだ怒ってるの」
「もう怒ってねぇよ、お前はどうなの」
「怒ってない、うれしい」
「んん、」


愛しい人といても、結局のところ時間の目処は分からない。

end











×