向河岸の火へ手跡を見澄ますと、遂に千もの刃は肉体を切り裂いた。
腹にぐっと突き立てられた刃が、頑迷頑迷、いとおかし。跳梁に任せ過ぎ去るは、投げ込まれた幾片もの鮮やかな滅紫。



(何れ、此は)
目を開けると見慣れた部屋の天井、そして見慣れた青年の顔が同時に目に入った。
胸の高鳴る動悸が果ての行く末を、未だに見てしまっている。目に浮かんだ情景が脳内で酷く歪んだ。

「魘されていましたよ…?」

心配そうに、青年は土方の頬に触れる。
ひやりと冷たい指が、更に現実へと引き戻した。伸ばされた腕は、漣のように青白い。

「斎藤、か…」

影もない、花影もない。
灯りの届かぬ奥座敷は、古色蒼然として心労を躍らせるばかりである。
髪をかき上げると、しゃら、と握雪音だけが花鳥の描かれた襖に響き、欄間に捕らわれ露と成る。

「お水、持ってきますね」
「……行くな、お前は謹慎中の身だろうが」
「…ですが、」
「夢魔など、見ていない」

汗が流れたせいか、首筋に髪の毛が絡まっていた。
その黒糸を鬱陶しそうに扱う指先が、砌のように生暖かい。湿った身体を浮かせるように寝返りをうつと、滲んだ汗に淀んだ空気が触れた。

「土方さん…」

そっと渇いた皮膚が重なり合う。床で名を囁かれる事が、こんなにも終を駆り立てるとは――。
恬として顧みることなど出来ず、損なうように偏屈さを排斥する。

「…あの、」
「何度も同じことを言うンじゃねェ、虫酸が走る」
「……ごめんなさい…、でも、」
「俺に逆らうな…!」

心の影に突き刺さる冷たさは、酷く正体が無い。荒みぬ想いに取り付かれ、杜撰な明暗は水泡に帰す。
随喜の涙など、ありはしない。心胆を寒からしめ、捧げる身体八腑は偈を発し、ゆすりかけるのである。

斎藤は怪訝そうな表情を浮かべ、布団に横たわった。互いに合わせた背中が寂しく泣いている。
(こんなにも、土方さんが怒ったことなんて今までに一度も無かった…。)
好き合っていた、つもりだった。しかし、その原因を自分が作り上げてしまったということを、斎藤はよく知っている。
――心を離してしまったのは、自分自身であったのだ。


「土方さん、怒っていますか…?」


返って来ない返事が痛々しく耳の奥を浸潤する。
考え込むように背を丸めると、布団から畳へと頭が滑り落ちた。
渇いた汗が身体を冷たく蝕んでいる。伝えたい事が、うまく出てこない。

「ごめんなさい…」

声が震える。
交わる蟠りが、落胆をうねりくねった。心悲しも忌避すべき意味である。
心情が籠められた言葉を、斎藤は取り繕うように弱々しく呟いてしまった。

「どうか、殺して下さい」

あえかに希望とも云う願いを込めたものの、吐く息も吸う息も整わないまま、斎藤は乱暴に扱われた。
肩に食い込んだ爪が赤い痕を作る。無理矢理仰向けにさせられたおかげで、自分の顔を覗く土方の顔が、ぼんやりと霞んでいた。

「土方さん、苦しい」
「…お前が望んだんだろうが、」

絡まる長い指は、斎藤の細く白い首を強く締め上げる。グ、と喉が鳴り、飲み込んだ唾液が厭らしく蠢いた。
息を止められ引き付けを起こす感覚に溺れ、このまま殺されるのも良いと斎藤は嫣然と微笑む。
薄れる意識の中、痺れる手を土方の手へそっと添えた。

「……怒ってもらえて、嬉しかったです…自分の存在が、分かりました」

急に離された手は行き場を無くし、添えられた斎藤の手を払っていた。
苦悶を浮かべ咳き込み続ける斎藤を前に、押さえることの出来なかった熱が、喪失と対に溢れ出る。
失う事の愚かさを、失う事の恐ろしさを、土方は誰よりも知っている筈だった。

「…俺を馬鹿にするのも大概にしろ……」
「いいえ、楽しかったです…。だから最期に、"花札"で私と一緒に遊んで欲しいです…。」
「ふざけるな…っ!」

勢いよく振り下げられた拳が、斎藤の頭上で止まる。その震える拳を、斎藤は目を眇めて苦笑した。

「少しだけ、自由になりたかったのです。」
「じゃあ出て行けばいいだろうが…!二度と戻ってくるな!消え失せろ…!」
「……嫌です。貴方は行くなと仰いました」

依存など、しているつもりはなかった。
腹立たしさが込み上げ、無理強いをするように何度情をぶつけたのかは分からない。何も言わずに耐える斎藤の顔は、とても綺麗であったことを覚えている。欲情なのか欲念なのか――、疲れ果てて眠る青年の頭をそっと撫でた。




松に鶴、菊に盃、なんて夢見のいい幻であったかと、鹿は言う。
欄間から遂に朝陽が漏れると、眩い光に斎藤は顔を顰めた。掛けられた黒い着物が、するりと肩を露にさせる。明るくなった部屋に並べてあったのは、色とりどりの"花札"であった。

「……これ、」
「一緒にしてェんだろ?」
「はい、したいです…」

気怠さを残した短冊が遊戯を招く。憐れみを楽しんでいる。
東の空にたなびく雲は、救わぬ笑覧として不浄を避けていたのだろうか。

「土方さん、…私が勝ったら、私を自由にして下さい」
「もし、負けたらどうする」
「その時は貴方の奥底に一生沈みます……。」



知らざあ言って聞かせやしょう、そう嘲って正体を明かすべく知らぬ顔は嗤うのだ。狷介孤高と奥深い禅門を侍らせて、白を切ってもいられまい。

「貴方のこと、慕っておりました。さようなら」

甘噛みされた芳情は、愛惜する名を出せませぬ。
悔ゆともなからん束縛が、覚めぬうちに貪っている。


洞ヶ峠は微光の切なさを唄っていた。


end


>>壱様
リクエスト有難う御座いました!
わああああ!壱様すごくお久しぶりです!元気でしたか!?
リクエストを下さった事に深く感謝を致します…!こんなサイトを覚えていて下さり本当に有難う御座います…!
このサイトの開設当時から壱様にはたくさんお世話になりました。そしてたくさん励まされ、新撰組語りはとても熱く楽しいものでした(*´∇`*)笑
壱様は私にとって思い出のありすぎる特別な存在です(照)お暇があれば壱様の近況とか一ちゃん語りとか是非是非して下さい!いっぱいお話したいです´v`*

…と、感動の再開すぎて涙の域なのですが…気を取り直して!笑
例の一ちゃん謹慎処分後、土方と過ごす謹慎期間…という何とも最高すぎるリクエストを書かせて頂きました…!

ずっと前に謹慎期間の話をメインに上げた時、伊東と島原に滞在したのは土方の命で…という話だったので、今回は土方から一ちゃんの心が離れて行った上での反抗的な島原滞在…。と捉えて書きました。
構ってくれない土方をわざと怒らせて気を引く一ちゃん…。でも本当にどことなく一ちゃんの気は伊東たちに行ってしまっているというか…。
べったりと引っ付いている土方と一ちゃんもいいなと思ったのですが、離れて行く二人もいいなと思いまして…。今回は互いが情緒不安定に陥ったような、切ない感じにしてみました;

一ちゃんが花札に負けたのか、勝ったのか、…これはご想像にお任せ致します。
そしてリクエスト文、ご希望に添えられず誠に申し訳ありませんでしたと謝っておきます…!すみません…!
それでも読んで頂けますと幸いです。

それでは…!
(壱様がお元気そうで安心しました´`*)


130308











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