「へえ、お前はあいつを犯してしまいたいと思っているんだ」

――夢を探られた。
毎晩こうだ、こいつは俺の夢に入り込んで薄ら笑いを浮かべる。夢魔に等しいそれを操るように、赤い眼の男は窓辺に座り聖書を読んでいた。

「それに触るな、それは神に赦された者だけが触っていいものだ」
「うるさいなぁ、神から天罰を受けたお前に言われたくないよ。まあ正確には雷蔵に、だけど」
「…っ、黙れ!」

ベッド横にあったランプを投げると、それは無惨にも粉々に散らばる。
卑しい笑みを浮かべる奴は、片手で撫でるように窓を開けると、読んでいた聖書を床にボトリと落とした。

「お前が雷蔵を楽にしてやればいいのに、中途半端な欲望は破滅に向かうよ」

男は笑ってそのまま後ろへと落ちて行く。殺してやろうと思ったが、その姿はとうに消えていた。
銀の鉛が入った銃を右手に構えつつ、窓の外を見下ろすと、雷蔵が使用している部屋に目が止まる。その小さな部屋は塔の最上階にあるのだが、外に面している煉瓦の短い橋を渡らないと、雷蔵の部屋には行けない。教会といえど、お城のような造りをしている。
(…どこから入ってきやがったんだ)
窓の縁に手を置き、尻尾を振っているのは灰色の綺麗な狼だ。

「あいつ…!」

銃を構え威嚇するように撃つと、キャウンと驚いたような声を上げ、そのまま高い塔を飛び降りて行った。
それからそのまま雷蔵の部屋を見つめていると、明かりが消えたので複雑な気持ちで窓を閉じる。途端、久々知の言葉を思い出し、それからは全く眠れなかった。



「鉢屋さま、疲れてらっしゃるのですか?」

翌朝、グラスにミルクを注ぎながら雷蔵が言う。朝から雷蔵の心配は心地良いが、朝食をとるために食堂のアンティークなテーブルを囲う顔触れには嫌気がさすものだ。
教会に足を踏み入れる者を、何人足りとも拒めはしない。

「神父は疲れる職業なんだよな」
ソーセージを銀のフォークで刺しながら、ワイングラスに雷蔵特製トマトジュースを入れて飲むヴァンパイアに、
「雷蔵が心配で眠れなかったんじゃない?」
昨夜雷蔵の部屋を窓から覗き込み、尻尾を振っていた狼男。…この厄介者たちと共に食卓を囲っているのだ、この古い大きな教会で。

雷蔵はこいつらがヴァンパイアで、狼男だということを全く知らない。狼男はともかく、ヴァンパイアが雷蔵の貞操を狙っているなんて、もってのほか。
――そして、この俺が雷蔵を好きになってしまい、そのせいで神から天罰が下り、雷蔵の身体が毎晩性交を欲してしまうという最悪な事態に陥っていることも、当たり前に知らないのである。
溜め息をつくと、久々知はソーセージを口に放り込みながら、ニヤリと口端を上げた。

「雷蔵は昨日、ぐっすり眠れたの?」
「う、うん…」
すぐに口端を下げ、心配そうな赤い目を向け雷蔵に聞く。すると、それまでラズベリーソースがかかったパンをバクバクと食べていた竹谷も、思い出したように口を開いた。
「昨日の雷蔵は良かったなぁ、夢中になってるところとか」
思わず、自分の手からナイフが飛んだ。

「鉢屋さま…!?いきなりハチにナイフを投げ付けるなんて酷いです…!」
「違う…!こいつが卑しいんだ、雷蔵のっ…!」

"雷蔵の自慰を覗き見しやがって…!"なんて、口が裂けても言えやしない。
「…っ、」
言葉が出て来なくなった俺は椅子から立ち上がり、その場を後にするしかなかった。雷蔵が俺を呼び止める声が響く。
高い天井のステンドグラスから淡い光が差した向こうで、久々知は表情豊かに笑っていた。



――
「どうしてこんなことになったんだ…!」

自室へ戻り、壁を思い切り殴った。壁に掛けてある十字架が揺れる。拳から流れた血を、初めて汚らわしいと感じた。
後ろからクスリと含んだ声が聞こえたと思えば、またあいつだ…。

「人間って嫌だねぇ、自分が犯した罪を後悔するんだもの」
「…黙れ」
「欲が深すぎるんだよ、お前らは何でも欲しがる。だから神というものをあてがって自身を制するんだろう?」

窓辺で足を組み、首に提げたロザリオにキスをした。
「一日に一度性交しないと身体が性交を欲する、なんて良い天罰だろう」
愉快な顔で見据えられる。

雷蔵が自慰をしていると、そう耳打ちをしたのは久々知だった。
神に身を捧げたのにも関わらず、俺は雷蔵を愛してしまった。そして天罰を下されたあの嵐の夜、雷蔵が火照った顔で自慰をするのを見てしまったのだ。

「辛そうに、雷蔵は毎晩自慰をしているよ。お前が相手をしてやれば良いだけの話なのに、お前は雷蔵を助けてやらないんだな」
「雷蔵は…貞操を誓ったシスターだ。性交なんてすれば、雷蔵も俺も神から見放され互いに破滅する…!」
「ばぁーか、もう破滅に向かってんだよ。雷蔵を愛してしまったお前も、自慰をしないと欲に押し潰されてしまう雷蔵も」

提げたロザリオを引き千切って捨てると、十字架を踏みつけた。パキンと音がして、ロザリオは跡形も分からない程に崩れている。
入って来る風が、異様に生暖かい。黒い髪をなびかせながら、久々知は外を見下ろした。

「いいのかい、あそこ。狼男さんと雷蔵が、仲睦まじく庭で散歩しているよ」
言った言葉に反応を示さず睨み付けると、面白くないと久々知は漏らした。
もう一度視線を下におろすと、何を考えているのか分からない顔つきで俺を見る。

「あいつ、狼になって雷蔵に撫でてもらうことしか考えてないんだ。性交なんて考えてないんだろうなぁ、お前と違って」

ガァンと鳴る酷い音と共に、立ち込める煙は肉を焼く。自らが撃ったというのに僅かに指は固まった。
コトリと血にまみれた銀の鉛は、軽率に床を転がる。久々知の腕からは、どす黒い血が流れ出た。

「ほら、そういう情けをかける所すべて、吐き気がする。殺すなら心臓を狙え。神父なんてろくなもんじゃない」

消えた後に蝙蝠のような翼だけが残る。触れると、灰になって消えてしまった。
一雨来そうな空を見上げると、光さえ差して来ないステンドグラスの下は、水底のように濁っていた。


(いつからだろう、自分が神に身を捧げようと身を固めたのは。)
塔の冷たい螺旋階段を下りながら、ロザリオだけを握り締める。あいつが言っていたように、人間は欲深いのかも知れない。
(いや、違う)
欲深くてそれを制せない奴はヴァンパイアだ。あいつらは卑しくてズル賢い。欲望のためなら何だって――。
(胸騒ぎがする)
一心に考えると雷蔵の身が急に心配になり、俺は教会の祭壇へ既に駆け出していた。

「雷蔵!」

勢いよく扉を開けると、赤い絨毯が引かれてある先の教壇に、久々知は座っていた。

「遅いね、やっと気付いたのかい?頭の悪い神父様だなぁ」

舌舐めずりをして軽快に話し掛けてくる。神の罰など、恐れもしない真っ直ぐな眼を向けて。

「…お前だな、神を唆して天罰を雷蔵に向けたのは」
「ああまたお前は、そうやって人のせいにするのかい?」
「雷蔵を愛してしまった罪は私の罪だ。神は罪を犯した人間にしか天罰を与えない。…お前が、お前が仕組んだとしか思えない」
「御名答。だけどもう遅いね」
「な、に…?」

甲高い笑い声が教会を包む。柱に彫られた天使たちが、ただ真下を見つめ悲しそうな顔をしていた。
エルサレムが墜落していったような、そんな感覚が足元を巣食っていく。

「処女を貫く快感も、股から垂れる血も全て頂いてやったよ」

男は喉を鳴らした。

「お前が神がどうのこうのとグズグズしているから悪いんだ。そうしている間に、この教壇で雷蔵と性交してしまったもの」
「貴様っ…いい加減な事を言うな…!」
「本当さ」

しゃらんと雷蔵の首に提げてあったロザリオを教壇の上におくと、ニタリと笑った。
薄暗い教会の中で眼が煌々と光り、伸びた牙を唸らせる。

「ああでも、あまりにも可哀想だから俺と身体を交える時は夢魔で記憶を消しておいてあげる。じゃないと、彼女自殺しちゃうでしょ?雷蔵には純潔を装った可愛いシスターであって欲しいし」
「嘘だ…っ!」
「嘘だと思うなら、このロザリオを雷蔵に届けたフリをして見てみろよ。ベッドに生々しい染みを作って横たわっているから」

懐から銃を取り出した瞬間、それは弾かれた。カラカラと長椅子が並ぶ下へと回りながら消えていく。
丸腰と言わんばかりに、間合いを詰めた久々知は俺の首を強く掴んだ。

「あまりヴァンパイアに逆らわない方がいい、お前は弱い弱い人間なんだから」
「…悪魔の使者、こっちの方が似合ってるんじゃないのか」
「殺されたい?」
「神父の俺を殺せるのか?」
「ううん、殺さない」

言ってすぐに数十メートルの高さにある柱へと、舞うように昇った。
伸びた爪で、ラファエルの像を首ごと切り裂き、ゴロンと堕とす。割れた石の欠片が、自身の頬をかすめ血が垂れた。

「今は夢魔に蝕まれているけれど、いつか雷蔵は俺を求めてくるよ。そしてお前が破滅するのを見届ける。…俺はね、楽しみたいんだ」

姿を消したと思えば、またヒラリと蝙蝠のような漆黒の翼が落ちてきた。それは吸い込まれそうな程の闇を持っている。
隣で泣いているロザリオを拾い上げると、教会の大きな十字架を見上げた。


「破滅など、してやるものか…」


跪いてロザリオを握り締める。
手のひらから血が零れるまで誓い、神が慈善と慈悲に支配されぬよう存在全てから祈った。

(嫌な雨だ、…本当に)

自分の目から流れる熱い水滴が、悔しさを原因としていること事態、虚しさを覚える。
「人は後悔をするたびに神に誓う弱い弱い、生き物だ。…だからこそ、」


ザアザアと打ち付ける大粒の雨は、教会を黒く塗り替えてしまっていた。


end


リクエスト有難う御座いました!
あの、日記でぽろっと語った時はラブコメディとか言ってましたが、凄く暗くなっちゃいましたね…;スミマセン;
話が長すぎるので、完結までには至らなかったのですが…これはまた文か日記の方で続きを語りたいですご免なさい;(何だか本当に長編になりそう…)
一応、日記で語ってた通り、鉢屋の天罰が雷蔵に…ということで。しかしそこで久々知が雷蔵を頂くという結果にしました。もっと鉢屋に苦しんでもらおうと思って…(笑)
ではでは、本当にリクエスト有難う御座いました!投下した中途半端ネタに再び熱を燃やさせて頂いたことに超絶感謝しております!


100815











×