耳鳴りのように喚く砲弾の音は、真夏終わりの蝉をも焦がした。 鼻をつく火薬の臭いが、腰に差した自身の黒い刀を橙色に変える。滲んだ血が指先にて垂れるのだが、痛みすら無い傷は死地を望む。 間隔を刻む樋爪は、意識を遠退かせてくれもせず、砂利を踏んでは底から赤に蝕まれるように――。 月も見えぬ空に気を取られていると、草鞋の切れた紐が足に絡み、山口は片膝をついてしまった。 「斎藤…!」 土方は手綱を引き、すぐに馬から飛び下りると、俯く山口の肩に触れる。 少し痩せたようにも感じる肩は、弾丸を掠めたのか赤黒く着物だけが裂けていた。 「紐が千切れただけですから、大丈夫です」 ぎゅっと結び直して土方に顔を向けるが、真剣な眼差しは妙に奥深く、何かが心に突き刺さる。 「大丈夫なわけあるか…!」 お前はいつから休養を取っていないんだ、そう気迫染みた顔で言われ、思わず黙って考え込むが検討すら何もつかなかった。 (屍を踏んで、その、屍の骨がベキンと折れた。) それだけしか印象になく、だが其れはどうでも良い。 「斎藤、馬に乗れ」 「…いいえ」 「これは命令だ」 身体がビクンと跳ねる。 (どうして、) 同じ眼差し同じ口調で告げられた内偵の任務、あの日は何も省みず頷けていた。裏切りと引き換えに下唇も噛まず、真っ直ぐに前を見据えていた。だが、今の視線の先は堕ちた闇だ。 「聞いてんのか斎藤」 「……。」 「もういい!無理矢理にでもテメェは俺が連れていく!」 土方の短い黒髪が揺れる。洋装の内ポケットで泣く銀色の時計も、哀愁を残すようにシャランと揺れた。時計の針は心臓と共に良く動き、針の速さと心臓の鼓動を束ねるが、其れは決して伴わない。 血の何とも言えない臭いが指先を取り巻く。 「副長、手が痛いです」 引き摺られるように立たされた山口は、弱々しく呟いた。黒い袴からどす黒い土がパラパラと落ちていく。何気無く刀の鞘を目に入れると、暗闇でも傷だらけだという事がよく分かるぐらいであった。 柄には、黒くなった血が隙間なく入り込んでいる。 「だったら言う事をきけ!意味分からねぇ意地なんか張ンじゃねェ!」 「副長…痛い……」 生温い黒い滴が土方の手をつたい落ちると、枯葉として存在する生きたものにザワザワ、暁を欲している。 (胸が苦しかった、いつだってそうだった) 「…お前、怪我してたのか?そうならそうと、何で早く言わねぇんだ」 「迷惑かけたくなくて…」 「ばか…、早く止血しねぇと…!」 自身の白い襟巻きに手をかけた土方だったが、その手を青白い手が止めた。もう生唾を飲む余裕すら、此処には無い。 「斎藤…?」 「北は寒いですから、この襟巻きはアナタに必要です。だって、土方さんは寒がりでしょう?」 やんわり笑って返すと、力の抜けた土方の手中から赤い手を取り出した。 だらんと身体の真横に下ろすと、熱いものが中指を裂くように逝く。もう二度と使えなくなるのだと、山口はあやふやな錯覚を覚えてしまっていた。 「何言ってやがる…!俺はお前も連れて行くつもりだ!北へ行って…援軍をもらってそれから…それから此の戦にだって負けねえような、」 「安富さんに、土方さんの側近をお願いしました」 凛とした空虚の中、澄んだ夜空が一際眩しい。煌々と満月に照らされた輪郭が、雲隠れを消している。星は、もう既に全て呑み込まれている。 「長岡藩は陥落、そして三春藩の降伏で二本松藩も…と報告を聞きました」 「ああ、敵に恭順した藩も少なくねぇ…。」 「…何のための奥羽越列藩同盟なんだって、会津と庄内を救うために結束したんじゃないのかって…、そればかりをずっと思っていました」 鈴虫が、静かに鳴く。山口はふと溜め息を吐き、拳を固く握った。 「薩長軍の北上を許してしまった以上、もうじき此処も火の手が回ります」 「っ…だから、…だから何だってんだよ…!」 「私は米沢へは向かいません」 「な…っ!?」 「大鳥さんたちと北へ行って下さい」 ヒウと哀しき音を立て、湿るような風が結目を解く。咫尺も拒めずに視界は沈黙(しじま)を通すばかり。 酷く鞠窮してム(ござ)いますことを。 「俺に、死地を探し求めろとでも言いてぇのか」 「いいえ」 「じゃあ、何だ…」 「ああ戦争は終わったんだって、思って欲しいだけなんです」 「ッ!?」 赤黒く裂かれた箇所に指を入れ、そのまま引き千切るように袖を破いた。足元に落とした其れを山口は軽く踏み潰すと、もう一度だけ土方に笑みを向ける。それが何を意味し、何を言うべきかは理解していた筈であったが――、最早何も不可能に打ち通されていては無論にも甚だしい。 「猪苗代城から上がる炎を背に歩くと、失う事の惨めさが怖かった。…もう、背を向けたくない」 「…斎藤、お前」 「早く行って下さい。会津は私が守ります――」 弓を射るような眼をしていた。あわよくば夜半であるのにも関わらず、不面目かも知れない。 よんどころの無いまま、失って萎れそうなのは咲かない紺青の蕾と言ふ。 馬上の土方を見上げ、山口は面影を些か探していた。 (初めて会ったのはいつだっただろう、今はもう二度と会わない、これで、おしまい) 途端、頭に土方の温かい手が滑るように触れる。 「前髪、伸びたな。少し鬱陶しい」 「…すみません」 「あんな顔、見せんなよ」 「え?」 「俺が勝ち戦で終わらしてやる。そうしたら真っ先に江戸へ帰っからよ、おめぇも江戸へ帰るんだ」 「…はい、分かりました」 「俺は北に居るから、斎藤より帰りは遅ェぞ。だからちゃんと待ってろよ、帰ったらお前の大酒に付き合ってやる」 「…ふふ、"下戸の副長"が?」 クスクスと山口が口に手を当てて笑うと、土方は頬を赤らめながら照れ臭そうに微笑んだ。 互いに霞む視界を実感している事は間違いない。唯(タダ)溢れないだけである。 「斎藤」 右手で手綱を握り締めたが、左手だけはスゥと山口の前へと差し出された。 (お願いだから、言うことを――) 「俺と一緒に来い」 逸らす事の出来ぬ眼色が存在している。覚悟とは別離された残留さが、濃く差し迫るばかりで、模倣するように去りとて手放してくれはしない。 (お願いだから、一緒に) ――差し出された手はそのまま。山口は、土方の手を掴みはしなかった。 「最期に…、言いたいことは?」 そこに何を孕んでいたのか、誰も知りはしない。 「今落城せんとするを見て志を捨て去るは誠の義にあらず――、さよなら、"歳三さん"」 朧月だと記憶する。もしかしたら、初めて出会った時も其のような夜だったのかもしれない。 手綱を引きながら樋爪が響く中、土方は数間先を見詰めて無言のまま走る。 (無茶な約束に頷きやがって…なのにあいつは、死ぬ眼をしやがった。俺には生きろと言う眼を向けた癖に――。易々死ねねェじゃねぇかよ、クソガキ) 守れるものならば約束を守ろうと。 立ち上がる灰色の煙へ、山口は自身の手と刀の柄を結びつけて歩く。 (俺は死ぬ、今日か明日か明後日か。あの人の足枷になるぐらいなら――。ああ、約束は破ります。土方さんと一緒に飲んだのはいつが最後だっただろう) 守れないならば約束を守ると首縦に振り。 哀しく朧月だけが先の孤独を呟いた。 二度と会えぬ――、それだけを。 end 壱様リクエスト有難う御座いました! 会津と函館に別れる二人の話ということで、楽しく書かせて頂きました´`* 細かく言うと、会津に残ろうとする一ちゃんを無理矢理にでも馬に乗せて連れて行きたかった土方さんと、無理矢理馬に乗せられるのを分かってて怪我を大袈裟に痛がり拒んだ一ちゃん。みたいな感じで始めてみました´` この二人はお互い分かってるからこそ辛いなーと…。うう、別れは切ないですね; 一ちゃん主軸のリクエスト、いつも有難う御座います。嬉しいです´`*今回もリクエストして下さり誠に有難う御座いました! 100922 ← ×
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