「あァー…眠い…」

ざばぁと大きな音をたてながら、桶が傾くと共に斎藤の髪からは湯が滴る。
とてつもなく睡魔から襲われているらしく、先程から終始「眠い眠い」と一人で呟くばかり。

そんな斎藤に対し、平助は手拭いを頭の上に乗せ、丁度いい湯加減に気持ち良く酔っている。
「ったく…一人で入れってんだ、ガキ…」
斎藤が嫌味っぽく言い出すのも無理は無かった。

「機嫌直してよ、朝からのお風呂気持ちいいでしょ?」
「アホ、夜勤明けの俺を無理矢理入れて何が気持ちいいでしょ、だ」
「だってェ、山崎さんが朝イチでお風呂沸かしてくれたんだもん。一人で入るの勿体無くてさぁ」
「だからって何故に俺なんだ」
「一がいいもん」

二人の会話からして、夜勤明けの斎藤を平助が無理矢理お風呂に誘ってしまったらしい。
疲れ果てている三番隊隊長には最大な大打撃であった。それでも文句を言いながら付き合ってくれる斎藤が、平助はとても大好きだと実感している。

ちゃぷんと顎まで湯に浸りながら、平助は嬉しそうに斎藤を見た。
「お風呂から上がったらお布団敷いてあげる」
言うと、あからさまに嫌な顔を向けたが"嫌"とは言わない。いつも無愛想な顔が顰めっ面に変わっただけで、それ以上もそれ以下もなかった。

「ご機嫌だな」
「そ、そう?」
「朝から風呂入るとか、どこから見てもご機嫌な奴だが?」
「そんなご機嫌な奴に付き合ってくれる一が一番ご機嫌な奴だよ」
「俺はお前といる時は大概不機嫌だ」

ピシャリと言われ、平助は肩をすくませる。濡れた髪から覗く眼が優しい事は知っているが、中々気持ちは上がらない。膝を抱え、終いには俯いてしまった。指先が指先をギュッと握る。
(あれ、何で…)
押し潰されるように、カコン…と桶は響いた。五月晴れのような空が、窓から入り込んで水面を映す。煙管を燻らした時のように、湯気が景色を包んでいた。揺れる波とジワリと増える湯の量を、皮膚で覚えるほど肩が震える。

急に黙り込んでしまった平助を、湯にゆっくりと浸かりながら斎藤は何も言わず見つめた。
ふと、眼を流したつもりだったのだが、平助の背中に切り傷のような古傷を見つけてしまったらしく、思わず手を伸ばしていた。

「平助、お前背中に…」
「触らないで!」
「……。」
「ごめん…今、一の顔見れないや」

さっきまで楽しくケラケラ笑っていたのが嘘のように、彼はコロコロと表情が変わる。こういうことが良くあると、斎藤は自ら知っているつもりだったが目の前にいる彼は、当然弱い。
(だから、ガキ)
そう片付けてしまってはいけないような気がした。

「へいすけ」
「……先、上がって」
「随分自分勝手だな」
「ごめんね…」

射し込んだ陽の光が濡れた項を照らす。ツゥと傷に垂れていく滴を、斎藤は黙って追い詰めていた。

「誰からつけられた傷なんだ?」

ピクリと肩が揺れる。伝わった振動が恐れを為し、か細い水音など遠く彼方の月である。

「何で、そんなこと聞くの…?」
「別に深い意味などない。聞きたかった、それだけだ」
「言いたくないって…言ったら?」
「言うまでずっと、黙ったままお前の項を見ているよ」
「なっ…!」

今更視線に気付いたのか、平助は顔を真っ赤にして振り返った。水面が大きく揺れ、水飛沫は浴槽から勢いよく流れ出す。
端に腰をかけ腕を組む斎藤の身体が目に入らないわけもなく、無駄のない綺麗な身体に平助は見惚れてしまっていた。
(このまま、このままいっちゃったらどうなるんだろ、ああどうしよう耳まで赤くなってるよ絶対)
焦りとは裏腹に、斎藤はどうするわけでもない。外から聞こえる道場の床を踏み込む音は、最早砂のようだった。


ちゃぷん、水が跳ねる。

「……お母さん」

言って平助はギュッと眼を固く閉ざした。
視線はもう外している。自分が何を掴んでいるのか分からないぐらい、考える余裕もない。

「そうか、」
「……うん。」
「じゃあ俺は先に上がる」

ざばざばと酷く波がたつと、既に背中を向けられていた。
「ま、待ってよ!行かないで!」
咄嗟に、平助は斎藤の腕を両手でガシリと掴むなり、渾身の力を出して引っ張っていた。

「何すっ…」

斎藤の抵抗も虚しく、風呂場には大きな音が響きわたる。真横に倒れたせいか、腰に巻いていた手拭いがプカプカと浮いていた。

「先に上がれと言ったり待てと言ったり…お前は俺に殺されたいのか…」

前髪をかきあげながら恨めしそうに平助を睨みつける。
「聞きたいの、それだけ?」
けれども平然と、むしろ何でもないように彼は驚いて聞いてくるのだ。

「何も、思わないの?」
「何がだ」
「この傷の、事とか…理由とか…」
「言っただろう、俺は誰からつけられた傷なのか知りたかっただけだと」
「そう、だけど」

俯いても何も始まらない事は良く知り得ている。俯いて思う感情だって嘆かわしいとは知っている。
何も掴めない事だって。

「僕がどんな出だとか、どんな風に育っただとか、…汚いとか、何も思わない…?想像しない?」
「するか、阿呆」
「そう…」
「思うとすれば、」

瞳が動いた。眉を歪めているのが分かる。どのような言葉を並べられるのか、平助は知っているように不安がる。
頬に、触れたいと、触れて何をしてあげればいいのかと、そればかりが斎藤の脳内を巡った。やはり、触れれば温かいのだ――。


「この背中の傷が、誰かに斬られた刀傷じゃないって知れたから、良かったって思ってる」


間近にある平助の大きな目が丸くなった。黒くもない色は焦点さえ分からず開いたままだ。
頭をくしゃくしゃ撫でてやると、ゆるり下を向いてしまった。

「お前は憎まれるような奴ではない」
「……憎まれてたよ、母親に」
「けど、憎む奴でもない」
「…うん、憎めなかった。蹴られても叩かれても、大好きだった…」
「平助、俺はお前が死んでなくて良かったって、今思ってる」

顔を上げようとしない。返事もない。いつも笑いかけてくれる此の青年が、無表情になっていること事態妙な気分だ。
それでも斎藤は黙って平助自身を見つめ、震える肩に手を重ねる。

「何か言え、気持ち悪いだろう」
「だって…」
「お前のお得意な津藩主藤堂和泉守のご落胤だって嘘、胸を張って言ってみろ」
「それ嘘じゃないってば!」
「平助はムキになってる方が子供っぽくて似合ってるよ」
「同じ歳じゃん…」

それでも、心から温まったような気がした。
(慰めでもなくて元気づけでもなくて、)
「おい、何故泣く」
「…嬉しかったから」

寄り添って斎藤の背中に手を伸ばす。
「本当のこと、僕も知らないんだ…」
それが悲しいことなのか寂しいことなのか、斎藤には分からなかった。

「だからご落胤って嘘をつくのか」
「違ァう!そっちじゃないって!……そっちじゃ、なくて」
「知らないならそれでいい、それだけだろう?」
「…うん。」
「のぼせた、俺は上がるからな」
「有難う…」

ぎこちない言葉を、斎藤は聞き流す。少し眩んでしまった事だって、長風呂のせいにしてしまえばいい。そうすれば、平助の言葉にだって照れる必要はなかったのだ。

「平助、お前もさっさと上がれ」
「えっ、」
「布団を敷いてくれるのだろう?」
「ちょっと待ってよ!」
「待たん」

颯爽と風呂場から去る斎藤に、平助はわたわたと後を追う。
脱衣場でぎゃあぎゃあ言い合う予想がついたのか、転がっていた桶は笑うようにカタンと動いた。

浴槽のお湯もクスクスと揺れ笑い、平助の泣き顔を映した水面は、綺麗に跡形もない。
「平助…その、何だ、…お前といる時はそんなに不機嫌でも…ない」
「それ、ずっと気にしてくれてたの?一ってば優しいね」
「…うるさい」

ただ、二人の笑い声を静かに聞いている。

end


リクエスト有難う御座いました!
内容は何でも…ということでしたので風呂に入る二人を書かせて頂きました´`*一ちゃんの裸体に平助は鼻血だと思います!一ちゃんもあんな風にそっけないけど、平助のこと大切にしてたりします。


100923











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