赤い簪をさした女が、お盆を抱え忙しそうに走って行く。昼時のせいか、小料理屋の席は満員だ。

「しかしお前は蕎麦ばっかり、飽きねぇのかよ」
「はひほふぅ、ほははふぁあふぁはふう」
「はいはい、蕎麦を口に入れたまま喋んな」

呆れたように頬杖をつく永倉を睨み付けると、斎藤は再びズルズルと蕎麦を食べ始めた。
こういった斎藤を見るのは久しぶりだ。江戸では稽古の後、よく皆でお昼を食べに町まで繰り出していたのに、京に来てからはそんな暇も無くなっている。
(あの頃が懐かしいなあ)
思い出しては最近、こんなことを思うばかりの永倉だ。

「永倉さん、顔がニヤけてる」
「えっ!」
「気持ち悪い。」
「なっ、ンだと…!」

古い木机が揺れた。熱いお茶が入った湯呑みは、少しだけ縁が欠けている。
ザクリとかき揚げに箸を刺すと、永倉はその湯呑みを口元に持っていった。

「丼もの好きなんですね」
「悪ィかよ」
「いいえ、江戸の頃から変わってないなって思って」
「……。」

店の暖簾が風で動く。窓の格子から外を見ると、やはり江戸とは違う型にハマった景色が広がっていた。
店の中もぐるりと見渡してみるが、耳に入る言葉は全て聞き慣れない。木机に置かれた白い漬物を見ても、安堵は当然生まれなかった。

「もう食べないのか」
「いや、味が薄いんだ。なんつーか、江戸はもっと濃いだろ」
「原田さんはそんなワガママ言いませんよ」
「ワガママじゃねーよ!言っただけだ、俺ァ出されたもんは絶対食べる!」

がむしゃらにご飯を口にかけ込み、流すようにお茶を飲む。大きく喉が鳴ったと思えば、永倉は箸を握りしめたまま真剣に斎藤の方へ顔を向けた。

「左之と…二人で飯食いに行った事、何度かあんのか…?」

辿々しく聞く永倉に、斎藤は目を丸くした。
周りはガヤガヤと煩いのに、流れた沈黙は夜のように暗く長い。聞かれた問いに頭を傾げると、斎藤は記憶を探す。


正午も多少過ぎたであろうか、非番である二人には時間など関係ないようだが、永倉にはあるようだ。終いには痺れを切らし、催促をする。どうやら、そういった事は待てない質らしい。

「なあ、どうなんだよ」
「そういえば、永倉さんとこうやって二人で出掛けるの、初めてだな」
「おい、それ答えになってねぇぜ」

(初めて、誘われた。)
ぶっきらぼうでガサツで、よく突っ掛かって来る永倉と何かを共にするという事は、今までに一度も無かったのだ。皆と交えて行動する事はあったが、二人きりでは全てが初めてである。
(非番が重なった日は初めてじゃないのに)
だから、少しだけ遊んでみたくなったのだ。

「そんなに原田さんと俺が二人きりだとマズいのか?」
「マズいとかそんなんじゃねぇけどよ…」
「ああそう」
「教えてくれたって別にいいだろ」
「…そうだな、真っ赤な鏡台を買ってきてくれたら教えてやってもいい」
「何だよソレ…!」

ガタンと器が大きく揺れた。カランカランと音を立て、箸が床へと落ちる。お盆を持った女が拾ってくれたが、もう替えはいらないと断った。

「なに動揺してる」
「当たり前だろ!お前が変なこと言うから…、鏡台は遊女の贈り物とか、そういう…」
「赤だぞ、赤。少しでも違ったら言わないからな」
「っ、ンなもん買わねーよ!」
「じゃあ言わない」
「それで結構だ…!」

バンと手をつくと、颯爽と永倉は立ち上がる。そこで目が合ったと思えば、くるりと背を向けられた。

「俺を置いて帰るのか?」
「違ぇよ!便所だ!!」

(短気は損気だな、)
斎藤は永倉の豪快な後ろ姿を見て、それを一番に思ったのだった。
けれど斎藤自身、永倉の機嫌を損ねるほど愉快なものは何もない。苛々している顔を見る分だけ、自分の事を気にしている証拠なのだ。
(こういうのも、たまには悪くないだろう。)
そこまで考えて自分自身にふと気付く。

「期待…してる?」

そんなわけではない。そう思いたくて、斎藤は二杯目の蕎麦を頼んだのだが、永倉が戻って来なくなってから既に、半刻が経っていた。



――夕刻にカラスとはよく言ったものだ。
植え付けられたような感覚は染み付いて取れやしない。信じるのも信じないのも、あからさまに試されているようだ。

(本当に置いて帰られたのだろうか、でも…)

昼間とは全く雰囲気の変わった店にいる自分は、全く変わらない。変わると言えば陽の動きぐらいだろう。強い西陽も遠退き、褐色の暖簾は影を伸ばす。
(永倉さん…)
窓の格子にコツンと頭を預け、目を瞑った。
(信じるのが阿呆なのか、そうではないのか)
島原へと行く男たちの足音を聞きながら、斎藤はそればかりを思っていた。しばらく耳を雑音に傾けていると、不馴れな高下駄を鳴らす音が響いてくる。下品で不格好で上品には程遠くて――それから、


「はじめ!」


暖簾の影が、縮まった。代わりに、大きな一つの影が自分の方へ一歩一歩近付いて来る。

「永倉さん、それ…」
「中々赤い鏡台が無くてよ…やっと手に入れたんだ。遅くなって悪ィ、待っただろ」
「あんた、本当に鏡台を買いに行ったのか…?」
「お前が言い出したんだろ。これで、ちゃんと聞かせてもらえるよな」
「…阿呆。」

差し出された真っ赤な鏡台に触れた。今顔を映すと、泣きそうな自分がいることぐらい斎藤は知っている。

「帰ろうぜはじめ」
「…待つ間に蕎麦を4杯食べた」
「はッ!?お前ちゃっかりしてやがんな…!」
「永倉さんの奢りだから気にしてない」
「まあ奢るっつってお前を連れ出したのは俺だけどよ」
「待ちくたびれた」
「あーはいはい、何とでも言いやがれ」

勘定を済ませ通りに出ると、周りの小店は提灯の準備をしていた。
一体どのぐらいの時間を過ごしたのか検討はつくが、永倉が鏡台を探し回った店の数は察しすらつかない。額に浮かぶ汗からして、数件どころではないようだ。

「永倉さん、鏡台いくらしたんだ?」
「ええと、いくらだったっけ…」
「俺が買う。冗談が過ぎた、…すまない」
「冗談でも何でもいいさ、待っててくれて有難な」
「…何を言って、」
「なんつーか、お前が遊女だったら俺はこの鏡台を贈ったと思うし…」

何て事を言うのだと、率直に感じた。
河岸の柳を横目に永倉を見ると、耳まで赤く染めている。何だかこちらまで恥ずかしくなってくる有り様だ。


「永倉さんの食べっぷり、また見たい」
「へ?」
「だからこうやって、今度も誘って下さい。次はずっと一緒に隣で…」
「お、おう、隣で、な」

聞かれた問いに答えたわけでもないが、永倉は満足そうに頷いた。斎藤だって、もう謝られなくたって言われなくたって、全てを分かっている。ただ少し、すれ違った幸せを笑いたいだけなのだ、口に手を当てて。

「鏡台、贈り物としていただきます」

何も変わりはしない相変わらずの笑みで、優しく永倉に微笑んだのだった。

end


千波様、リクエスト有難う御座いました!
ちょっとアホで甘い話ということでしたが、ギャグよりのアホではなくて純愛よりのアホさというか、一ちゃんの冗談に真剣になる永倉の真っ直ぐさがアホと言いますか…そんな感じにしてみました´`*
ギャグをお待ちになっていたのならば、本当に申し訳ございません;


100804











×