鉢屋の頬を押し返した雷蔵の手は、温かかった。



「なあ、酔っぱらったふり、やめろよ」
単刀直入に久々知は言う。迷惑だと言わんばかりに。いや、彼はそう言っているのかもしれない。案の定眉がつり上がっているのだ、そうに違いないと鉢屋は確信してしまった。

「…お前い組。」
「ああ?」
「い組は大人しくイイコちゃんしてろよ、ろ組の宴会事情に入ってくんな」
「俺だって入りたくないっての!」

腰に手を当てて少しだけ声を張り上げた。対する鉢屋はと言うと、暗い自室で膝を抱えている。
蝋燭すらついていない其処は、今にも崩れそうな廃屋のようであった。文机に乱雑に置かれた数冊の本が、何を言うでも無しに佇んでいる。
寂しい部屋とは正反対に、長い廊下を奥に進んだ角部屋からは、楽しそうな声がひっきりなしに響いていた。時々竹谷の叫び声が耳に入り、ろ組の宴会はまだまだだと言うことを知らされる。

「帰れ兵助」
「お前なあ…どうするんだよ」
「出ていけばいい」
「ああそう、じゃあ明日の朝まで雷蔵は俺が」
「待て兵助…!」
「…ホント三郎は鬱陶しい」

溜め息をつかれてしまった。そのまま見下げると、いつもは威張る奴が弱々しく俯いているのだ、久々知は珍しいのかどうかは知らないが、唇を緩める程度にクスリと笑ってしまった。

「…雷蔵、怒ってた?」
「泣きそうだった」
「は!?ちょ、何で!?」
「どうせ三郎絡みだろ、宴会で何したんだよ」
「……キスしようとした、未遂だけど」
「正確には阻止されました、だろ?」
「はい、そうです兵助くんの言うとおり」

はあああ、と深い溜め息をついて鉢屋は暗い床に寝転がる。
雷蔵に似せた色の髪に指先が触れると、やはり恋しくなるのは当たり前だ。指先を僅かに動かして感触を確かめる。
(似せてるけど、何か違う。雷蔵を触りたい)
うだつが上がらなさそうに低い声を出してみた。

「したかったんだ、雷蔵と」
「…どうせ宴会のノリで皆とした後、雷蔵に抱きついたんだろ」
「兵助くん勘良すぎですね」
「ばーか」

ギシギシと誰かが通っていった廊下の軋みを目で追う。相変わらず久々知は厳しい顔で鉢屋を睨んでいるし、その綺麗な黒髪は変わらない。
「なんつーか、お前が雷蔵に変装してくれたら、俺は今ちゃんとキスできるのになぁ」
「ほうらまたそんなこと言う、だから嫌われるんだよ」
「うるせー」
「ちゃんと雷蔵に謝りに行けよ?」
「…兵助の部屋遠い。こっから行くまでにムード的なもん全部冷めるわ」
雷蔵に会うためだけに借りた読む筈のない本を蹴り、鉢屋はゆっくりと立ち上がった。おかげで月は見えなくなったが、足取りは少し軽い。それを誰のおかげかという事を、決して考えないのが鉢屋三郎である。

「いいよ、俺の部屋使って」
「さんきゅ、豆腐」
「豆腐は余計だ」

片手をヒラヒラと上げたまま部屋を出ると、思った以上に廊下が軋む。
振り向いて奥を見ると、聞き慣れた仲間の声がした。それを背にして雷蔵がいる久々知の部屋へと一歩ずつ踏み出すのだが、どうにも速さは落ちるばかり。
(そういや俺、組の皆っつーか、当たり前に竹谷にもチューしちゃったんだっけ)
我ながら恐ろしいと思ったようだ。三郎は身震いを覚えながら廊下を進む。

(あれ、何で雷蔵は拒否してあの後怒ったんだっけ…?あれ、あれ…?)

廊下を走ってしまった後は妙に簡単なものであった。



「雷蔵!」

久々知の部屋を開けると同時に、鉢屋は雷蔵の名前を呼んだ。すると、ぱちくりと大きな目を見開いた本人が驚いたような顔をしている。
喧嘩をしてしまった翌朝のような顔をしていた。動悸が押し寄せるが、もうそんなものは必要ない。

「…兵助が、こっちに寝ていいって」
「じゃあ僕、部屋に戻るから…」
「俺と雷蔵はこっち…!」
「え?」

すぅと空気を取り入れる。空気に触れた唇と前歯が冷たい。目を瞑る暇はない、ひっきりなしに追う視線が耐えられず、鉢屋はそのまま滑るように雷蔵の肩を掴んでしまった。

「ごめん、雷蔵とキスしたかっただけなんだ」

それから勢いよく頭を下げる。足元がこんなにも、鮮明に頭に入るとは思いもしなかったようだ。

「酔っぱらったふりして皆とじゃれておけば、怪しまれずに雷蔵にキス出来るかなって、…思って」
「だから皆としてたの?」
「…うん、でも頬っぺたにだよ、唇じゃない」
「頬っぺたでもキスはキスでしょ」
「はい、…すみません」

恐る恐る顔を上げると、愛しい雷蔵の髪が頬にふわりと触れた。
(ああ、何で、)


「僕の方こそごめんね、僕ね、皆とじゃれあう三郎を見るの、辛かったみたい」


(何で気づかなかったんだろう、遠い遠いって思ってて、豆腐の部屋はあからさまに遠いけど、雷蔵はいつでも隣で笑っていてくれたじゃないか、馬鹿だ馬鹿)

「俺、雷蔵が大好きなんだ。もう雰囲気装って雷蔵にキスしたくない。だから、だからさ、…今度は俺からもう一回唇にキスしてもいい?」


こくんと頷いた雷蔵の額が自分の額に当たり、脳髄が揺れてしまった。
唇を離さなければ一回の枠内にとどめてもらおう、何だか長いキスになりそうだ、そう丁寧に鉢屋は考えている。

宴会で盛り上がる声など、もう二人には聞こえはしない。
どこかで、風鈴だけが唯鳴っていた。


end


リクエスト有難う御座いました!
キス魔になったことで芽生えた鉢雷愛でした´`*鉢雷はいつでも幸せに…!友情出演は久々知でした!


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