「でね、親友やめたの」

やけに大きく尖った氷がグラスの中でカランカラン唸って割れた。下に敷かれたコルクのコースターが丸々と泣いていた。
トモミは溜め息を吐き、苛々とした表情で煙草に火を付ける。銀のステンレス灰皿には煙草が墓標のように立っている。
(口紅がついたやつはトモミちゃん、口紅がついてないやつは鉢屋。ひぃふぅ、みぃ…──。おや、この子たち吸いすぎではないか、)
伊作は十だけ数え、後は数えない事にした。

「私はユキちゃんといっぱい遊びたいのに、ユキちゃん子供いるから早く家に帰らなきゃって言うし、毎回遊ぶの夕方までなの。夕方からじゃん、楽しいのは。つまんない」
「女は結婚したら友情終わりっつったじゃん、俺」
「ユキちゃんは親友だから違うって思ったんだもん。毎日LINE続けてくれたりしたから…」
「は、毎日LINE?うぜー…」
「鉢屋先輩だって不破先輩から毎日LINE来たら嬉しいでしょ」
「当たり前だろが」
「ほら!」

トモミは頬杖をついたまま鉢屋の鼻を摘まんだ。痛い痛いと叫ぶ鉢屋の背中を甲斐甲斐しく伊作は擦り、それで、とトモミに続きを話すよう持っていく。

「私さ、好きな人の一番にならなきゃダメなの。だからユキちゃんが他の人と何処か2人で遊びに行くのも絶対ダメ、ヤキモチやく。LINEも毎日して欲しいし、とにかく私が一番じゃなきゃ嫌なの」
「え、なにそれ凄い分かるよ」
「分かる?さすが伊作先輩。でもね、この間ユキちゃんからもう毎日LINEしないって言われたの。それって私ばかり制限されてておかしいよねって。しかもそれをLINEで長ったらしく言われちゃって」
「制限しなきゃ不安になるのにね?僕たちみたいなのは人間不信だから、その制限守ってくれなきゃさァ、」
「でしょ?どうしたらユキちゃんの一番になれるか考えてさ、とりあえず親友だから心落ち着くかなって思ったんだけど、やっぱり違くて。ユキちゃんとチューとかすれば特別感増して私の嫉妬心落ち着くかなって思ってそれもしてみたんだけど、」
「してみたんだけど…?」
「その長ったらしいLINEの後にまた長ったらしく何でチューしたの?私トモミちゃんの彼氏でもないよね?チューは無いかな、して欲しくなかったとか言われてェ」

トモミの話に鉢屋が腹を抱えてゲラゲラ笑い転げ、机に華麗に膝をぶつけた。氷が溶けてただの水になった液体がグラスの中でゆらんゆらんしている。
居酒屋の個室はいつもの3人の面白く温かい世界が繰り広げられていた。

「つぅかユキちゃんを思う好きはそっちの好きじゃないのにさ。まじそんくらい私も分かってるっつーの。女からチューされんの嫌なら私がチューした時にその場で嫌って言えよって思ったわけ、後から言うなって」
「はは、いるよねー勘違いするやつ。後から言ってくるやつは僕も本当無理だな」
「そ、もう無理、ユキちゃん気持ち悪い。チューぐらいでグダグダ言ってさ、もう本当に無理になっちゃって。顔見るだけで吐きそう。職場一緒とかもうガチで無理だからそろそろ今の仕事やめるー」
「職場一緒とか無いねぇ…。無理になって良かったんじゃないの?ユキちゃん僕たちみたいな友情にちょっと異常な人を理解出来ないみたいだし」
「うーん、そうかも…。嫌いになって良かったかもね、私もきつかったし。ユキちゃんから今までもらった誕生日プレゼントとか手紙とか、全部捨てちゃった。気持ち悪すぎて。もう遊ばないと思うしさ。てゆーかユキちゃんが好きだった芸能人とかアイドルとか、私も好きだったんだけど、ユキちゃんが好きだから私は冷めちゃった。まじでliveとかグッズとか金と時間返して欲しいわー、死ね」

灰皿に煙草を捩じ込み、メニュー表を開いてデザートを頼むトモミの勇ましい表情を見ると、伊作は嬉しくなった。それはトモミの感情全てが分かるからだ。飄々としながらだし巻き玉子を食べ続けている鉢屋だって、トモミの気持ちを一番に分かっている。

「でもトモミちゃん凄いなぁ。僕は色々と思い出捨てられないタイプだから…。」
「えー?だって死んで欲しいやつからもらった物なんて目障りじゃないですか」
「そうなんだけどさ…。」
「伊作先輩はあれかな、思い出と共に病んじゃうタイプかな」
「んん、そうだね。だから僕は大事な人は作らないようにしてるよ。トモミちゃんと鉢屋は最高の理解者だけど、それまでにしてる。親友とか思っちゃうとめんどくさい感情が湧いて来ちゃうからね、迷惑かけるし」
「ふふ、私もです。このままの関係がいい」
「まぁ……俺も伊作先輩とトモミちゃんの意見に賛同すっかな…。」

照れ隠しに鉢屋はメニュー表をパラパラとめくり、また柚子シャーベットを頼んだ。さっきからだし巻き玉子と柚子シャーベットしか食べていない。そして酒と煙草。柚子シャーベット、好きだったっけ?という疑問を抱くほど。
(いや、鉢屋はブラック珈琲が好きだった、)

「鉢屋、食欲ないのかい?」
「ごめんね鉢屋先輩、私が女の嫌な愚痴語ったせい?」
「いやいや、違うって。トモミちゃんの話は面白かったよ、興味深かったしすげー分かる。伊作先輩の共感にも共感出来た。あれなんだよ、最近俺もトモミちゃんみたいないざこざがあって感情乱れてさ、人殺しちゃって。だからあんまり肉とかご飯系食いたくねーなって」

個室の暖簾が上がり、店員が笑顔で追加注文の品を持ってきた。そして空になった皿を重ね、ごゆっくりどうぞと一礼して行く。

「トモミちゃんはいいな、死ねって思うだけで踏みとどまれるから。伊作先輩も自分を追い込むだけで済むじゃん。俺は無理なんだよなぁ、絶対殺して無いものにしちゃうんだよなぁ…」
「でもそれも分からないことはないよ、鉢屋」
「うん、鉢屋先輩の言いたいこと分かる」
「ほんと…?」
「ほんとほんと!僕ね、たまに好きな人の苦痛に歪んだ顔見たいって思うときあるよ」
「あはは、伊作先輩好きそう。私もね、色々ユキちゃんに制限させて、守れなかったら怒ってユキちゃん困らせて、そのユキちゃんが困った顔好きだったな、困った顔で私に謝ってくるユキちゃん、好きだった。だから殺したい気持ち分かる。でも鉢屋先輩はその殺す間際の好きな人の表情何度も見てるんでしょ?凄く素敵だって思う」

ガシャン、と遠くの席で何かが落ちた音がした。飲み会で酔った奴が机から皿でも落としたのだろうか。だとしたら迷惑な話だ。しかし関係のない話だ、見知らぬ人の飲み会など。

「そろそろラストオーダーの時間じゃない?鉢屋先輩今度はメロンシャーベット食べたら?」
「昔ながらのメロンの容器に入ってるやつ?」
「どうだろ…。」
「脳みそ思い出すからやっぱりまた柚子シャーベットでいーわ、」
「じゃあ私も。伊作先輩はなにシャーベット食べる?」
「僕も柚子シャーベット食べようかな。ピンポン押すよ、いい?」

鉢屋はトモミの食べかけのパンを海老のアヒージョに浸けたり、溶けたシャーベットの汁を無意味にスプーンで混ぜたりしていた。白く長い指はさながら匙のようだ。

「で、鉢屋先輩、死体どうしたの」
「うーん、まだ家にある」
「えっ、絶対鉢屋先輩の部屋行かない!もう今度の飲み会は伊作先輩ん家ね」
「トモミちゃん家か僕の家がいいね。…しかし、よくバレないよねぇ鉢屋…、何人目なの」
「んー、忘れましたね。殺しても意外にバレないもんっスよ」
「じゃあ今度ユキちゃん殺してよ、鉢屋先輩。あいつ本ッ当に無理だわ、いらないもん」
「おっけ、今の死体片付けてからね」

渇いた笑いを一つ上げながら、鉢屋は煙草に火をつけた。

「やっぱり鉢屋とトモミちゃんといると楽しいな。大好きだよ、末永く宜しくね」
「えーなになに伊作先輩いきなり!照れるじゃないですかぁ。此方こそですよ、」
「伊作先輩あれっスよね、いきなりセンチメンタルになりますよね」

ラストオーダーのシャーベットが3つ並ぶ。
此れは正常、世間も正常、食す者も正常か。


end











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