どうでも良いと感じることが増えたのは、些細な出来事からであった。
感情的にも感傷的にも何もかも全て手放していると感じたのは?やけに死体が綺麗であるとか汚いであるとか、何も思わずに触れて冷たいと感じなくなったのは?
(ああ思い出せないわけなどない)



「孫兵、手から血が出てる」

知らなかったふりをした、知っていた、どちらも嘘である。きっと無関心になっている自分自身が見栄を張った結果なのだ。沁みる傷口は塞がれた。あっという間に血も消えて無くなった。作兵衛は手先が昔から器用であった、誰よりも。

「さくべぇは修理が上手いんだね、すごいね」
「物みてーな言い方すんなよ、お前は生身の人間だろ」

欠陥するものは全て物体でしかない。何を考えているのか分からない。自分は間違えてなどいないはずだ。

「人間ってなに?」
「なにって・・・、お前、ちょっとおかしい質問するんだな」
「教えてもらいたいんだよ、自分が何なのか作兵衛って誰なのか、どういうこと考えているのか」

時折、人間で無ければ良かったと思う時がある。感情はどうしても邪魔だと思うことがある。一度は喜びもするが二度は悲しみもする、三度目は絶望する。そうすれば最初から持っているものは全て消し去るべきだと思うこともある。果たして、是は。

「僕が死んだら悲しむ?笑う?どうする?」
「悲しいに決まってるだろ、そんなの」
「作兵衛は誰が死んでも泣くんだね、悲しいと思えるんだね」
「孫兵は悲しくねぇのかよ、好きな人が死んだら。お前が尊敬してる竹谷先輩とか、大事に思ってる級友とかが死んじまったら・・・」

確かに記憶というものには残るだろう。今、目の前で悲しそうな顔をしている作兵衛の顔もくっきりと輪郭を描くように目の中に映っている。

「俺は孫兵が死んだら悲しいよ」

(聞くたびに、このように物事を浅ましく恨むようになったのは、)
嘆いているわけではない。辛いわけでもない。寂しいわけでもない、優しくしてもらいたいわけでもない。

「有難う、でも僕は作兵衛が死んだって誰が死んだって泣かないよ、悲しくないから。それほど皆のこと大事に思ってないよ、ごめんね」

冷たくなってきた風が頬を擦るが、皮膚は温かいまま今日も終わる。終わったとしても個体の終わりは告げられないまま続いて行く。どうすれば良いのかと嘆いたって誰も助けてくれないことは前から知っている。そう、知っていたのだ。偽善だということも全て知り尽くしていた。

「もうどうだっていいんだ、疲れたから」

(そうだ、こういうの何ていうんだろう、生きることに興味がないっていうのかな)
溜息をつく。
誰かが死んでも、自分が死んでもこういった感じなのだろう。



(厭きてしまった。)

end











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