自惚れていないと自分に自信が持てなくなった、そうしないと自分自身を保てなくなってしまったのは、一体何時からであっただろう。 「三木ちゃん、聞いてたぁ?」 目の前で眼をぱちくりさせながら、喜八郎が首を捻っている。さっそく手を伸ばしてくる喜八郎の腕を強く掴むと、そのまま机へと捩じ伏せた。 開かれていた本の頁がぐしゃり、歪む。 「今なにしようとした」 「え〜?三木ちゃんの前髪引っ張ろうとしたぁ」 「ふざけるな阿呆」 「だって三木ちゃんが悪いから仕方ないよ、僕の話を聞かない三木ちゃんが悪いもの、悪い悪い子」 確かに喜八郎の話を真面目に聞いたことは無かった。何も、真面目に聞いたことはない。聞いても意味がない。そんなことは本人には分からない。それでよかった。 西陽の傾きといったら、目も当てられぬ。朝顔の花は枯れていた。 「喜八郎、もう一人にしてくれ。訳も解らぬ話をして楽しいか。私は今苛々しているから、もうどっかに行って欲しい。お前の話を聞いても笑えないよ」 「じゃあ泣いてたの?」 「泣くなど、ありえない」 「嘘、泣いてるよ」 「泣く暇など、ありはしないだろうよ」 「泣いてるじゃない三木ちゃん、可哀想。心が泣いてるよ三木ちゃんの、心」 ぢくぢく痛む原因を、喜八郎は指差した。あっけらかんとした顔で、灰色の眼を向け、笑いもせず眉一つ動かさず喜八郎は言った。 「自分が泣いてるの、分からないの?」 ガラガラ崩れ行くものがある。積み重ねてきたものが割れて砂のように。 蝕むそれは蘿のようにグルグルと螺旋している。出口が見えない。気付けば足元さえ死んでいる。 「うるさい喜八郎…。お前なんかに分かるわけないだろ」 「三木ちゃんなんかに分からないよ、いつも話を聞いてくれない僕の気持ちのことなんか」 「辻褄の合わん話はするな、放っておいてくれ」 「三木ちゃんは何でそんなに一番になりたがるの?どうして?どうして僕の話聞いてくれないの?何を見てるの?自信って必ずないといけないの?勝ち続けていかなくちゃ駄目なの?負けたら終わり?逃げたら駄目なの?」 殺されそうなぐらい、間合いは容易く狭かった。 喜八郎には疲れている自分自身がよくよく映っている。困惑した表情で、悲しく独りで泣く姿の自分自身だけが。 「どうせ死んで無くなるのに一番になったって一緒でしょ?地位名誉なんてどうせ死んだら忘れ去られるんだから一緒でしょ?自分自身を讃える人がいたとしても、そいつが死んじゃえば一緒でしょ?」 朝顔が歯をカチカチと鳴らしていた。 喜八郎は相変わらず笑いもしないで外ばかりを見ている。自分自身は不安気に空ばかりを見ていた。 「ねぇねぇ三木ちゃん、あのねぇ」 左の人差し指で三つの物体を紹介すると、数えるように唾を飲み込んだ。 「どんなに頑張ったって死んだらあの土と雲と枯れ葉と同じ存在なんだよ、無理しても意味ないよ、三木ちゃんは三木ちゃんらしく生きればいいんだよ」 珍しく喜八郎がふんわりと笑った。透き通っていて、誰も真似することの出来ない綺麗な笑顔だと思った。 「三木、泣いてるの?」 「阿呆ゥ、前に聞いたお前の話が面白すぎて涙が出ただけだ」 「思い出し笑い?」 「ああ、」 日没がこんなにも眩しいとは、 (全く、損をしていた) 「三木、やっと笑ったね」 「お前の話がおかしいからだろうが」 雲の流れはよく分からなかったが、自身の足下から流れたものはよく見える。偽るべきものも少なからずあるが、今はこうしていたいのだと多分思っている。 (いや、全く損な性格であったのだと、そう思わずにはいられない。) 枯れ葉が流暢に喋る様はいと可笑しかろう。 end ← ×
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