三郎は躊躇う様子もなく、文机に向かい合い、居座る二枚の紙に文字を書いた。三郎の字は立派で、僕は三郎の書く字が何より好きであったし、羨ましいとも思っていた。
しかし、二枚の紙に書いた字は、それはそれは歪なものになっていたのである。

「なぁ、雷蔵」

三郎が喋る。僕を見る表情も言葉も、どことなく歪な色を醸し出している。冷たい空気を僕は吸った。
紙も僕を見ているため、僕は緊張しながら息を吐いた。書かれた文字は単純だ。

「生きると死ぬのはどちらが難しい?どちらが簡単?」

二枚の紙を僕に見せると、三郎は僕の癖を真似るように小首を傾げる。
左手に持つ紙には死。右手に持つ紙には生。残念なことに墨を筆に多く含ませたせいか、黒い線が下に手を伸ばしていた。

「それ、僕に聞くの?」
「だって分からないんだ。雷蔵はどう思う?分からないから怖くて怖くて眠れない。助けて。」
「僕には何が怖いのか分からないよ」
「答えが分からないから怖い。雷蔵の隣にいられないのが怖い。だから眠れない。それだけ」
「別に答えなんて考えなければいいと思うんだけど…」

それを言っては駄目だと思ったが、それを言わなければ駄目だと思った。三郎は小首を傾げたまま、動かなくなってしまった。

「三郎、死んだら僕の影になればいいじゃない。いつでも一緒にいれるよ」
「それは光栄」

せっかく立派な字を書いたのに、ぐしゃりと紙を丸めて三郎は笑った。手には一切墨すら付いていない。三郎は転がった筆さえ拾えない。

「死んだことなんて考えない方がいいよ、考えたって考えたって辿り着かないだろうし、そちらの世に不眠なんてあるはずないもの」

納得する僕は独り言が多い。きっと、僕が眠れていないだけなのだ。転がった筆を拾って、僕は生きる方が難しいのだという事を実感してしまった。

生ぬるい風が吹いた。


end











×