夕暮れの冷たい風が机の上の開かれた本をめくった。たった今7ページ目をめくったわけだが、この本の所有者がこの本の7ページ目を読んだのか読んでいないのかは不明だ。題名は「走れメロス」と書いていた。



「トモミちゃんお待たせ。ゴミ捨てに行った途中で鉢屋先輩見つけちゃってさ、ついつい話かけてお喋りしてたら遅くなったの、ごめんなさい」

教室のドアが開かれると、本は0ページに戻っていた。しかし教室の床に転がっているマスカラやアイライナーはコロコロと転がり、これを机の上の本に例えるならば21ページは当然ながらめくっている。

「トモミちゃん、これどうしたの」
「ううん、何でもないのよ」
「何でもないワケないじゃない、こんなキチガイみたいなことして」
「化粧ポーチ落としちゃったの、それだけ」
「…落としただけでこんな教室の四方に広がらないわ」
「じゃあ、キチガイでいい」

ふいと窓辺に手をかけてグラウンドを見る彼女は、待たせられた事に怒っているのか寂しくて怒っているのか拗ねているのか、さては何も思っていないのか。

「トモミちゃん、もしかして怒ってるの?」

気になったのか気に障ったのか、彼女は彼女に聞いた。彼女は気が強かった。聞けば返される、それだけを信じて疑っていないのである。ブレザーのポケットからは携帯のストラップが少しばかり覗いていた。
それは彼女の元へ歩き始めると共にガチャガチャ揺れる。先程まで机の影になって分からなかったグラウンドを見つめる彼女の足元の横には、綺麗に上履きが揃えてあり御丁寧にちょこんと遺書らしきものも載せてあった。

「これ…」

自殺自殺と言葉にするが、"自殺者"を目前にすると言葉に詰まってしまうのが子供である。ユキは23.5センチの上履きを見つめたまま今度は彼女の顔を見つめた。はて、無表情である。

「もしかして、そこから飛び降りようとしてたの?」
「"してたわ"、」
「…どうして?」
「けど辞めた。学校で自殺するなんてくだらないと思ったから」
「学校でって…自殺すること事態くだらないわ!冗談も大概にして!」
「あら、ユキちゃんこそ冗談は大概にして。私がどこで自殺しようとユキちゃんには関係ない事よ」

カーテンがふわふわと舞っていた。せっかく閉めた窓が台無しだと泣いている。

「トモミちゃんどうしちゃったの…?何かあったの?あったなら相談ぐらいして、私たち友達なのよ?」

セーターの裾を掴む。言って唾を飲み込んだ。目映くもない夕日が何でもない1日の終わりを示すが、こちら側は何かの終わりを示していた。
彼女は笑う。
彼女の微笑みは冷たく鎖色の錆しか映さない。そしてそれは白いガーゼに強く濃く跡を遺して行く。


「ユキちゃんの"友達"て、なに?」


上履きも何も履いていない黒いCHANELの靴下のまま、転がっている自身のマスカラを踏みつけた。
雑に軽く蹴るとヘレナルビンスタインのマスカラは机の脚に当たりユキの足元に辿り着く。まるでせがまれているようだ。

「私ね、友達って化粧品みたいだと思うの。装うのよ、綺麗にね」

ビボのペンシルライナーを手に取るなり、机にトモダチと抉るように書く。それはユキの気に入っている窓側の、ユキ自身の席だった。

「トモミちゃん…本当にどうしちゃったの…いつもの優しいトモミちゃんに戻ってよ、変なこと言わないトモミちゃんに」
「死んで欲しくないの?"友達"だから?」
「当たり前じゃない…!トモミちゃんは私の一番大切な友達よ」

彼女は頷く。遺書を踏んだ。蹴飛ばして上履きを履く。散らばっていたRMKのチークを化粧ポーチに直すと、彼女はポケットから大事そうに何かを取り出した。それをユキに見せると、ユキの席にゆっくりと座った。


カチ、カチ


「私の思う"友達"はね、"友達"のために死ねちゃうのが"本当の友達"なの」


カチ、カチ、カチ


「はい、ユキちゃん。ちゃんと私の目の前で死んで見せて。だって私たち、本当の友達でしょ?」


彼女は机の上の開かれていた本を読み始める。彼女の指先が確実に頁を捲っていく。
意思的に意図的に、

渡されたカッターは、ユキの右手を決して放しはしないのだ。
震える右手を震える視線で見下ろすと、カッターは首を引き裂けと言っていた。彼女は幸せそうな顔で本を読んでいた。


震えは病む事を知ら無い。

end











×