「櫛が好いているね、三郎の髪」 右手に髪を束ねながら左手で櫛を上下に動かした。筆を持つのも箸を持つのも人を不器用に殺めるのも右手を使う僕が、唯一髪を解かすのは左手である。 こうやって人の髪を結ったことはないから、人を殺してしまう時みたいに不器用だけれど三郎は喜んでくれている。 「結ってくれるのは嬉しいけれど、また絡み合ったらほどけてしまうなあ」 鏡の中の鉢屋三郎は艶やかに笑う。僕が触れている三郎とも目が合うけれど、そういう時は大体首を斬られてしまうような体勢に入っている。左手に握った櫛はいつの間にか離れて行っちゃっている。 (別に見つからないわけじゃない、たまに布団に潜り込んでしまったら見つけ難いだけ) 「ねえ、手を合わせようよ」 「今、三郎の髪を結ってる最中だから、駄目」 「そんなつまらない事を言うんじゃない、さあ早くその櫛を放して」 「駄目、駄目だってば」 結局弾き飛ばされた櫛は思ったよりも大きい音を立て、部屋の隅に消えた。 でもあの櫛はすぐ見つかるよ、だって赤いのだもの。女の子みたいに、真っ赤。僕は不器用だから嫌だなあと、弱々しく急に繋がらないことを思ってしまった。 「雷蔵、そんなに嫌だった…?」 「嫌じゃない、嫌じゃないよ」 「だって、泣いてる」 「僕が…?」 三郎は僕が好き過ぎて愛しているという、僕は三郎が大好き過ぎて嫌だとも思う。困るとも思う。こう考えてはいつも答えが見つからないから、僕は変わりに三郎の手を握ったりしていたのに。 「櫛…」 「櫛?」 「あんな赤い櫛、三郎に似合わない、壊れちゃえばいいのに、あんな櫛いらない、見たくない」 くノ一の子からもらったと、三郎は櫛を右手にくるくる回しながら嬉しそうにそう言っていた。 三郎の髪を結うたびに胸がチクチクしたのも、今日で裂けて終わってしまいそう。 「僕は僕が嫌だなって思うの、ごめんなさい三郎」 「うん、」 手を合わせているものだから、涙さえ拭くことが出来なかった。今が昼間なのか夕方なのか朝なのか夜なのか、どうしても涙の中にあると分からない。 「ねえ雷蔵、あの赤い櫛壊れちゃったよ、一緒に買いに行ってくれる?」 そしてまた俺の髪を結ってね、と三郎は微笑んで着物の襟を正した。 僕もくしゃくしゃになった前髪を戻しながら上体を起こしたけれど、三郎が部屋の隅に弾いた赤い櫛は壊れてもいない。 「馬鹿だね、三郎は」 「だって、俺は雷蔵が大好きだからさあ」 (櫛と僕の右手は、三郎を好く。) end ← ×
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