「面会を頼みたいんですけど」

一般病院とは何処と無く雰囲気が違っている此処には、まだ指を折る程しか訪れていない。
今日は何度目か知らないが、エレベーターにたどり着くまで暗い廊下を歩いた。
前を歩く看護師のポケットからは鍵の音がひっきりなしに聴こえる。ジャラヂャラと勿体ぶっているかのような、そんな存在感を表す音は、妙に具合が悪くなるものでもあった。

(鍵、鍵、鍵。管理されているんだ。何だか人間らしくもない。自由がない、でも…)
おかしくなったら人間ではないのかも知れない。とりあえず人間とは何であるのか解らない、だから僕は人間が嫌いである。

そしてガチャリと、それこそ鍵で管理された所に入れば、太陽の光が注ぐ、とても明るいホールに彼はいた。
案内してくれた看護師に礼をすると、目の前の彼は虚ろな目をするだけで常に無表情を司る。
途端、何を話していいのか分からなくなってしまった。


「病棟、移ったの?」
「…うん」
「元気?」
「死にたい、孫兵もそう思ってる?」
「ううん、思ってない」
「嘘、ばっかり」

作兵衛は人間。人間だから感情が豊富なのは確かなのだけれど、今の作兵衛は作兵衛ではなく燃やしかけた人形の赤黒い顔をしている。

「作兵衛、笑ってる?」
「皆が笑うよ」
「みんな?」
「今も死ねと笑われてる、だから死にたい」

爪を噛んでいた。噛みすぎて親指の皮は剥げていたが、爪は小さく付いていたので何となく安心をしてしまった。
これが無くなっちゃえば異常なのだろうが、作兵衛は一般社会からして見れば、爪を噛まなくても爪を食べなくても異常なんだって。僕も変わり者で異常と罵られるけれど、作兵衛はもっと異常らしい。

「何で作兵衛こんなになったんだろ」
「だって、皆が、だからこんなことに…」
「皆って誰?」
「声が高い女の人とか、声が低い女の人とか声が低い男の人や女の人や、声が高い子供の声、してる人」

短い爪を左腕に食い込ませながら、ガリガリと肉を抉ったりする。
最初は驚いたがもう慣れてしまった。この病棟と鍵には相変わらずなれないけれど、そして院内を巡る悲鳴にもだけれど、作兵衛は、友達だと思うからどうでもよかった、狂っても。

(君が隔離室に入ったって拘束されたって自傷したって死んだって、病んだって。閉鎖病棟に移ったって何故なのか理解出来ない君も僕は好きらしいから)

「毎日来たいけれど、忙しいんだ」
「そうやって孫兵は嘘をついて、本当は来たくないくせに、見栄はって…」
「ううん、来たくないわけじゃない」
「…そう」

また悲鳴が聞こえた。けれど、作兵衛はそうではなかった。ガタガタと肩を揺らしながら耳を塞いで、どうしたのと問いかけてもブツブツ何かを言っている。
少しだけ意地悪をしたくなったのは、そんな作兵衛を目に入れてから。クスリと笑いたくなったのも病気を知らなかったのも気持ちを知らなかったのも全ては笑って見たかった。

「ねえ、作兵衛がここに入院してること、食満センパイに言ったら笑ってたよ」

声をかけられたのは、これが最後で、そのまま面会も出来なくなったのが今日の日付である。
作兵衛が喋って奇声を発して看護師たちに引きずられて行ったのを見て、僕は何となく寂しくなった。

(あれ、違う)
「そんなに被害妄想激しいから幻聴だって聞こえるようになるし、頭だっておかしくなって病気になるんだよ」

最後にかけた言葉はそれだったと思う。
作兵衛が隔離室から出てこれた日付の面会時には、ちゃんと謝らなければ。

「また来るね」

僕は鍵の掛かったドアの向こうにあるロック式のエレベーターで一階に下りた。

end











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