僕の大好きだった鉢屋三郎は、キチガイになったので小さな小さな、太陽の光も届かない檻のような部屋に入れられてしまった。
三郎はキチガイなんかじゃないのに、ただ狂っているだけだったのに。


「三郎、いるんでしょう?」

ギシギシ、荒れた畳を踏みながらゆっくり近付くと、ふんわり糞尿の臭いが強くなり嘔吐しそうだった。
作られたような部屋でしかないそこは、厚い板が幾枚も重ねられており、天井と畳に貫通している光景から、逃げ道は完全に閉ざされている。

「さぶろう…」

そっと板の隙間から名前を呼ぶと、やはり部屋の角には黒い塊があり、糞尿の臭いは絶え間なく浮遊していた。
暗い部屋に目が慣れると、その黒い塊が蠢き、それは三郎だということも分かって僕は安堵する。


「雷蔵、どうしたの?お見舞い?それとも笑いにきた?殺しにきた?」
「違うよ、心配してるからきたんだよ」
「一緒に入りたいの?」
「…入りたく、ない」

ガチャンと音がして、三郎はこちらを向いたが確かに、右腕を手枷で繋がれていたことは間違いがない。

「ここから出たら、まず君を抱きたいなあ」
(その目に、ゾッとして僕は目をそらしてしまった。)
「今も、触れたい、こっちへおいでよ雷蔵」

目がギラギラしているもので、やっぱり僕は三郎が怖い。こんな檻を隔てていても、三郎は絶対的に僕を喰らいそうなんだもの。手枷を紛失してしまうほどに壊して、こちらまできて。



「もう一生出してくれないことは分かっているさ、だから雷蔵に触れたいんじゃあないか、触れたい。抱きたい抱きたい触れたい、おいでこちらへ、抱いてあげよう!」

畳をギチリと鳴らしながら、右腕を引っ張り苦痛すら見せなかった。
逃げた方がいいのかさえも分からなくて思考が分からなくて、どしゃ降りさえも分からなくて、どしゃ降りでは、なかった筈なのに。
(手段選ばない君は手段も無しに笑います。)

「三郎だめだよ、そんなことしたら右腕が千切れちゃうよ、駄目、だめだよ止めて、やめてやめて!」

どこか、心の中のどこかでは思っていた。三郎は僕を抱くと言ったら抱くのだもの、殺すと言ったら殺すのだもの、愛すと言ったら愛してくれていたのだもの。
「では、来てと言ったら来るの、君」
「もちろん」
「嗚呼!三郎!」

ブチン、ブシュ、ボタボタドブン、三郎の腕が腐れた畳に落ちてしまった。
手枷は手首に入り込み紫色に輝いては物体だという事を知らせます。

「ほうら、君の元に来たぞ」
「うん…」
「鍵持ってるんだろう?早く、ここから出たいのだけれど」

痛くないのかと問いたかった、片腕なくなったのに。それなのに三郎はしっかりと二本の脚で厚い板を挟んだ向こうに立っている。僕と同じ対向線。
手枷はしていない、重そうに落ちた三郎の腕にそのままである。手枷を、していない。彼はこの部屋で自由を手に入れてしまった。


「僕のせいではない!」


鍵を持ったまま逃げる僕を三郎の眼はどんな風に映したのでしょうか、寂しかったのでしょうか。
今度会うとしたら、それは妙に違いを感じるのだと予測した。三郎は僕を殺してしまうのだろうか、愛撫だけなら、少しの愛撫だけならいいのに、それならば良かったのに。



「逃げるの、雷蔵。逃がすまいよ、雷蔵。逃げられるまいよ雷蔵」

そう呟くばかりの君が怖くて怖くて怖くて仕方がなかったのです、怖くて怖くて、気味が悪くて、

三郎は知らないでしょ、君の顔、腐ってるんだよ。

end











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