蝉は弱々しく鳴いていたのかもしれないが、生き延びる余力は残っていないだろうと感じた。
死骸を蟋蟀に食べられちまいまして。
(蟻なんか、見なかった)
あいつら、蛙に食われる事しか能がないクセに、夜になると蛩に化けやがる。まあ鳴き声が細々しいこと、由々しきこと。

果て、障子は閉め切ってあるのに、薄暗く満月の気配で万華鏡を覗いたが、黒猫を抱えた三日月である。煩い鳴き声と一緒に嘲笑っておいで、(五月蝿ぇさっさと蛙か大蛇に喰われろ死んでしまえ)


脳天がザワザワする。
漆の万華鏡を部屋の片隅に投げた。黒い影がビクリとし、肩を震わせ俺に聞く。
「さぶろう、僕のこと、好き?」
ぺたり座った床で何かを弄りながら、それが何か分かっている事で背筋がヒンヤリとした部分もあるが、灯りも無き一室で微笑む雷蔵は本当に、俺を悦ばせた。

「好きだよ、愛してる」
「よかったあ」

ぷち、と微かな音がして雷蔵の手中で蛩が鳴き泣き悲鳴。床に散らばる千切れた足と羽は君のせいだったんだ、片付けるのに一刻はかかるよ、早く抱きたいのに。


「雷蔵、蛩なんか殺すにも及ばない。もうやめろよ」
「蛩じゃないよ、蟋蟀だよ。これ食べるの、三郎にもあげるよ、あーんして」
「…ね、雷蔵。ちゃんと聞いておくれ」

ボトリ、堕ちた。前足と後ろ足、更に頭部が都合よく千切られていた為、病んだような一鳴きで死んでしまう其れ。そして泣き出したのは、君。

「どうして、どうして食べてくれないの…僕、一生懸命蟋蟀の皮を剥いたのに、」
「違う、嫌じゃないんだ」
「じゃあどうして」
「分かった、よ」


ムシャリ メキメキ パキリ、
苦くもないが甘くもない。ただ接吻が出来なくなる事だけを怖れ飲み込んでゆく。(今にも這い上がってきそうだ、胃を突き破って)そう思いながら雷蔵の額を優しく撫でた。

「ねえ三郎、僕のこと愛してる?」
「愛してるよ、大好き」
「さぶろお、好き?僕のこと」
「愛してる。」

ホントの事を言えば、ふにゃりと笑顔になるものだから堪らなくなって抱き締めた。シャラリ、床に存在を継続している蛩の残骸が揺れる(僅か蠢き痙攣している奴も何匹か居たが、)君は何匹の抵抗をさら地に放り込んでしまったのだろう。
(何匹と言わず、何回と云うのか、愛着の部分ではない哀願の理由差)


「さぶろ、僕ね、三郎のために蟋蟀をね…」
「蛩なら、君がくれたのを食べたよ」
「違うよ違う、蟋蟀だよ?嘘、うそ、僕さぶろうに蟋蟀あげてないあげてないよ、嘘ばっかり」

首をぶんぶん振って涙を浮かべ、握っていた手を離せと言わんばかりに爪をたてて威嚇する。裂かれた皮膚の隙間から血が流れ出したが、その滴に何も映ってはいない。
俺の体内を支配していただけの一部さ、死を急かしながら刻んでいた鼓動する波をね。

「嘘じゃないよ、ほうら」
舌で弄る雷蔵の口内。
(生暖かくて心地良い)
「ね、解った?蛩はちゃんと食べたんだ」

ビクビクンと動いた床を横目にした。生きていた。自身の胃と食道もカリカリ抉られる。うう、駄目だ駄目、言うことを聞け、唱え唾液を飲み込んだ。
 綺麗に溶け去、る。



だから、もう、雷蔵、狂ったような眼をせずに、鉄格子の向こうにいるような眼もせずに、無拘束に成り下がっておかしくなるなよ、いいから早く抱かせて、ねえ!
「愛してる愛してる、よ」
(幾度目なのか、)

「嘘!さぶろおの嘘つき!嫌!大嫌い!酷いよ僕、さぶろうの事大好きなのにイッ!!!!」
「らいぞう、俺も大好きだって言ってるじゃあないか…ねえ」
(ねえねえ、どうして人間は死ぬと臭いの、物心がついた頃の記憶と、被る意気揚々とした楽しさ。聞き出させたい悪戯と鳴る過程、ふと想い出)


「いやだああァッ!嘘つき嘘つき嘘つき!僕の事嫌いなくせに触らないでッッ」
舌を噛んでしまいそう
舌を咬んでしまいそう



「アアッ黙れよ幾度も言わせるな俺はお前が好きだとさっきからこんなにッ、言ってるんだ胸を苦しくさせながら心臓を突き破られた方がマシだと思いながらもオマエの事を考えて考えて考えてッッ」

(あ、布団も敷いてない。いや、敷いてやらない。無理矢理はいけない。いや、無理矢理にしてやる。痛くしない、嫌!痛く痛くしてやる)
裏腹に思へども、


蟋蟀の千切れた羽がゆっくり舞った。雪みたい、歪むほどの、雪。下らない程の潰れた帛の織女みたく。
「雷蔵、七度犯されて死ぬかい?一緒に」
床に広がった雷蔵の髪が高貴な金箔模様に見えた。

「死ぬのと犯されるのはどっちが痛いの…?」
「どっちも痛い」
「では、僕、逃げるよ」
「俺がこうやって馬乗りになってるから逃げられないさ、犯されるしかないよ」
「…そう。」

袴の紐をシュルリと解いたのに反応すら拙い。その左右に開いた両腕、俺を拒みすらせずに可愛い両目は不思議そうに行為と化する行動を閑(しずか)。気落、気後れした記憶だねえ、涙なんか、忘れたろう。
   (儚すぎる。)


「…さぶろう、僕のこと、好き?」
「愛してるよ、」
「有難う。…あれ、君だれかなあ?誰?」
「君が愛してる人」
「ああそうなの、綺麗な目をしてるんだね」

自害用の小刀、押入れの何処に直してたっけ、ホラ、任務に失敗した時のタメに用意してあったろう。必要ないと数日前決心したばかりなのに、すぐ是だ。探すのに時間がかかるし、面倒だなあ。
(まあ夜明けまでに見つかればよい、切ない、忘れられるのは怖い、きちんと死のう)


「なにしてるの?」
「犯そうとしてるんだよ」
「君は、…ええと」
「"鉢屋三郎"。」
「鉢屋君、どうして、あれ…、何してるの?」
「もう聞くな、殺すぞ」
「…ごめんなさ、い」

一瞬で怯え一瞬で首を傾げた。鉢屋クンなんて、何年ぶりに言うんだ少し恥ずかしい。なんて思える俺は、凄く悲しくなって月明かりさえも狂う程見たくなくなった。
(おっかしいなあ)




「なにしてるの?」
「犯してるんだよ」

蟋蟀と蛩がギチギチと笑うように鳴いている。

 我の、腹の中、で

end

蟋蟀・蛩(コオロギ)
病的雷蔵。












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