「…雪村?」
見覚えのある後ろ姿に声をかけると、
彼女はゆっくりと此方へ振り向いた。
「斎藤先輩」
俺だと認識した彼女は、微笑んで軽く会釈をする。
学園内で会ったのだから、別段不思議なことではないが
一般の生徒はとっくに下校している時間だ。
当の俺は風紀委員の仕事があったゆえ、まだ下校せずにいる。
だが、彼女は確か委員会や部活などには入っていないはず。
「まだ帰っていなかったのか」
そう言うと、彼女は僅かに困った顔をした。
けして早く帰るよう責めたわけではないのだが、
…どうにも俺の言い方は勘違いされやすいらしく、
もしかしたら彼女を困らせてしまったのかもしれない。
一人、軽い自己嫌悪に陥る俺を呼び戻したのも
また彼女の言葉だった。
「その…実は、傘を持っていなくて」
外は、確かに酷い雨だった。
*
「すみません…家の方向が違うのに、わざわざ」
「気にするな。放ってはおけん」
突然の雨で彼女は傘を持ってきていなかったらしく、
雨の勢いが弱くなるまで学校で待とうと思っていたようだ。
雨の勢いは一向に治まる気配がなかったゆえ、
結局、俺は彼女を自宅まで送ることにした。
勿論最初は頑なに遠慮し続けていた彼女も、
それならばと無理矢理傘を押し付けて帰ろうとすると、慌てて頷いた。
あのまま放っておけば、明日には同じ風紀委員である
彼女の双子の兄に愚痴愚痴と文句を言われることだろう。
それに、俺自身放っておけないというのも本音だ。
「……」
激しい雨の音で遮られる静寂の中。
けして雄弁ではない自分。
そしてやはり遠慮がちなのか、口数の少ない彼女。
確かに無理もないことだ。
彼女の兄と同じ委員会、ということぐらいしか接点のない俺たちは
実は二人で会話するという機会があまりなかった。
ゆえに人当たりのいい彼女でも、
やはり気まずいと思っているのではないだろうか。
とりあえず何か話題を振るべきか…
そう思案して、ふと彼女の視線に気付いた。
俺をじっと見ている。
「雪村?どうした」
「い、いえ!な、何でもないですっ。
あ、私の家すぐそこなので!」
慌てて視線を逸らした彼女は、確かにすぐそこにある家を指差した。
そして俺の方に体を向けると、丁寧に辞儀をする。
「本当に、有難うございました。
今まであまりお話したことありませんでしたけど…
今日は少しでもお話出来て、嬉しかったです」
少しはにかんで綺麗に微笑む彼女。
俺は、何故かその笑顔から目を逸らせなかった。
――それが、すべてのはじまり。
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