はじまりは雨の午後


「…雪村?」

見覚えのある後ろ姿に声をかけると、
彼女はゆっくりと此方へ振り向いた。

「斎藤先輩」

俺だと認識した彼女は、微笑んで軽く会釈をする。
学園内で会ったのだから、別段不思議なことではないが
一般の生徒はとっくに下校している時間だ。
当の俺は風紀委員の仕事があったゆえ、まだ下校せずにいる。
だが、彼女は確か委員会や部活などには入っていないはず。

「まだ帰っていなかったのか」

そう言うと、彼女は僅かに困った顔をした。
けして早く帰るよう責めたわけではないのだが、
…どうにも俺の言い方は勘違いされやすいらしく、
もしかしたら彼女を困らせてしまったのかもしれない。

一人、軽い自己嫌悪に陥る俺を呼び戻したのも
また彼女の言葉だった。

「その…実は、傘を持っていなくて」


外は、確かに酷い雨だった。









「すみません…家の方向が違うのに、わざわざ」
「気にするな。放ってはおけん」

突然の雨で彼女は傘を持ってきていなかったらしく、
雨の勢いが弱くなるまで学校で待とうと思っていたようだ。
雨の勢いは一向に治まる気配がなかったゆえ、
結局、俺は彼女を自宅まで送ることにした。
勿論最初は頑なに遠慮し続けていた彼女も、
それならばと無理矢理傘を押し付けて帰ろうとすると、慌てて頷いた。

あのまま放っておけば、明日には同じ風紀委員である
彼女の双子の兄に愚痴愚痴と文句を言われることだろう。
それに、俺自身放っておけないというのも本音だ。


「……」

激しい雨の音で遮られる静寂の中。
けして雄弁ではない自分。
そしてやはり遠慮がちなのか、口数の少ない彼女。

確かに無理もないことだ。
彼女の兄と同じ委員会、ということぐらいしか接点のない俺たちは
実は二人で会話するという機会があまりなかった。
ゆえに人当たりのいい彼女でも、
やはり気まずいと思っているのではないだろうか。

とりあえず何か話題を振るべきか…
そう思案して、ふと彼女の視線に気付いた。
俺をじっと見ている。

「雪村?どうした」
「い、いえ!な、何でもないですっ。
あ、私の家すぐそこなので!」

慌てて視線を逸らした彼女は、確かにすぐそこにある家を指差した。
そして俺の方に体を向けると、丁寧に辞儀をする。

「本当に、有難うございました。
今まであまりお話したことありませんでしたけど…
今日は少しでもお話出来て、嬉しかったです」


少しはにかんで綺麗に微笑む彼女。
俺は、何故かその笑顔から目を逸らせなかった。






――それが、すべてのはじまり。




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