可変の距離、不変の温もり


(……退屈)

撫子は心の中でそう呟くと、ちいさく溜め息を漏らした。

視線の先にはよく知った幼馴染みの後ろ姿。
撫子は自分より幾分も広いその背中を、恨みがましく見つめていた。
当の理一郎はというと、そんな視線には気付かないまま黙々と机に向かっている。

此処は理一郎の部屋で、彼は大学で出された課題の真っ最中。
以前も似たような状況のときがあったが、
結果的に邪魔をしてしまったので、撫子は今回なかなか強く出られずにいた。

撫子自身はやることがなく、暇をつぶせるものもないので、
ただその背中を大人しく見つめることしか出来ない。

こんなことがある所為か、撫子の心には時々不安が影を落とす。

(家は隣だし、会えないわけじゃないけれど…)

それでも、ふたりきりの時間は貴重なのに。

口から零れてしまいそうな不満を飲み込んで、座っていた彼のベッドに寝転んだ。
ベッドに身体が沈む。僅かな物音では、勿論理一郎は振り返らない。

そんな彼の態度にまた機嫌を損ねる撫子だったが、ふわりと鼻腔を擽った匂いに表情を緩めた。

(…理一郎の、匂い…)

昔から変わらない、よく知ったもの。ひどく安心する。
つい先程までの不貞腐れた感情は何処に行ったのか、撫子はすっかり安堵すると、ベッドへと力の抜けた身体を預けた。

安心感とベッドの心地よさとで、段々と瞼が重みを増してくる。
意識を手放すのに、そう時間はかからなかった。





理一郎の持つペンがぴたりと止まる。

(…今日はこの辺にしておくか)

一段落終えたところで、彼は漸くひとつの違和感に気が付く。
いつものように撫子の介入が入らなかったことだ。
恋人である彼女が構ってほしいと甘えてくるのは、理一郎にとって勿論嬉しいことなのだが。

彼女はまだ理解しきれていないのかもしれない、と理一郎は思った。
彼が、撫子を失っていた9年間を含む長い長い間に、どれだけ彼女を想っていたか。その想いの、重さも深さも。
そして、その想いが通じた今、抑えきれない感情が首を擡げていることも。
彼女が眠っていた間のことを知るはずがないのだから、無理もないといえばその通りだ。

と、そこまで考えて、理一郎は首を軽く横に振った。

すっかり放置されていた彼女は、きっとひどく機嫌を損ねていることだろう。
その機嫌をどう直すか考えながら、振り返る。
不思議なくらいに静かだった理由をすぐに理解することになった。

規則的なリズムで聞こえる微かな寝息。…随分と気持ちよさそうに眠っている。
その様子は、いくら幼馴染みといえど恋人でもある彼の前では、あまりにも無防備すぎて。

(…少しは警戒心を持ったらどうなんだ)

思わず頭を押さえた。
信頼されていることは分かる。単純に嬉しいといえば嬉しい。
だが、果たしてちゃんと男として意識されているのか、複雑な気持ちだ。

以前に一度忠告はしたつもりだったのだが。

軽く溜め息をついて、撫子の隣へと腰を下ろす。
すやすやと眠る彼女の顔をじっと見つめ、理一郎は愛おしそうに目を細めた。

ごく自然な手つきで撫子の頬に触れようと手を伸ばすも、僅かに躊躇ってその手を止める。
今触れてしまえば、掻き集めていた理性が容易に飛んでしまう気がしていた。
そんな…寝込みを襲うような真似はしたくない。
僅かに残る理性で、理一郎は必死に邪心を払おうとする。

そんな理一郎の葛藤を知ってか知らずか、

「…ん……り、いちろ…」

もそりと身動ぎした撫子の寝言に、彼の理性は脆くも崩れ去った。

「…ッおまえは、無防備すぎるんだよ…っ」

言うが早いか否か、理一郎は撫子に覆い被さるようにして距離を縮める。
彼女の顔の横に手をつくと、二人分の体重がかかったベッドがぎしりと軋んだ。

その音と、自分の顔に落ちる影と、僅かに触れた吐息で、撫子は浅い眠りから目を覚ました。

「…?」

焦点の合わない目を擦る彼女は、まだ現状を把握していない様子。
しかし次の瞬間、薄く開いたままだったそれにやわらかな違和感を感じて、意識は一気に覚醒した。
目の前に見えるのは、紛れもなく幼馴染みの彼で。

軽く触れた唇が離れると、理一郎の瞳はやけに熱を帯びていることに気が付く。

突然の事態についていけない撫子は、目を見開いたまま動けずにいた。
ただし、顔を林檎のように真っ赤に染めながら。

やっとのことで状況を飲み込めた彼女は、当然のこと文句を言い募ろうとする。

「ちょ、ちょっと理一郎!突然こんなこと、」
「遠慮しないって、前に言っただろ。忘れたのか」

それにな…と理一郎は分かりやすく大きな溜め息を零した。

「男の部屋で無防備に寝るおまえが全面的に悪い」
「そんなの今更でしょ。昔はこんなことよくあったじゃない」
「小さい頃の話だろ。今は状況も…オレの気持ちも、違う」

また、琥珀色の瞳に熱が灯る。
その瞳に魅入っているうちに、ぐっと腰を引かれ抱きすくめられ。
衣服越しに触れた部分から熱くなっていくのが分かった。

恋人関係になった今、別段珍しい状況というわけではないのに何故だか無性に恥ずかしくて
逃れようと身体を動かしてみるも、それはいとも簡単に阻止される。

軽い抵抗は試みた撫子だったが、勿論嫌なわけではない。
先程まで放置されていた分、触れてほしいと寧ろ望んでいたことだった。
ただ、突然強引になった理一郎に少し驚いただけで。

「もう離さないから、な」

耳元で囁かれた熱っぽい呟きに、更に耳までかっと熱くなる。いちいち心臓に悪い。



もう理一郎の前で無防備に寝ないようにと、心に誓った撫子だった。



.


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -