彼女と出会う前、新選組に身を置いていた井吹の話をしてからというもの、
千鶴の行動に明らかな変化が見られるようになった。
ふとした時に動きを止め、一点を暫しの間見つめる。
その視線の先にあるものは、井吹が寄越した一枚の錦絵だった。
白い髪と赤い瞳…俺の羅刹姿が描かれている、それ。
勿論、千鶴が称賛していたことは知っている。
この絵がその称賛に値するものだということも、俺自身感じている。
昔の俺を知っている井吹だからこそ、描けたものだ。
それは分かる… だが、
千鶴があまりにもその絵に魅入るものだから…何だか、こう、面白くない。
大事な妻を取られた気分になる。
(…俺は、自分の絵にまで妬くほど、嫉妬深かったのか…)
自分の欲深さを改めて感じ、ひとつ軽い溜め息をつく。
昔は、周りによく「欲のない奴だ」と言われたものだが。
人間、変われば変わるものだ。
その嫉妬が表情に出ていたのだろうか、
千鶴は俺の表情に気が付くと、慌てて絵に背を向けた。
「あ、すみません…また絵に魅入ってしまって…」
これが別段悪いことでないというのに、彼女はただ謝る。
俺の嫉妬深さを知った上で、謝っているのだろうか。
…いや、千鶴のことだ。多分分かっていないのだろう。
「…千鶴」
距離を縮めて、名を呼んで、俺は千鶴の小さな体をすっぽりと抱き締めた。
腕の中で千鶴は、俺の急な行動に頬を真っ赤に染める。
夫婦という関係になって暫し経つというのに、その初々しさが抜けない彼女が愛しい。
俺自身も人のことを言えた立場ではないが。
「は、はじめさん?怒ってます…?」
顔を見れずに不安がる千鶴は、恐る恐るといった風に俺の様子を窺った。
怒っていないといえば嘘になるが…それは俺の勝手な嫉妬ゆえ。
彼女が責められる謂れはない。
「…すまぬ。千鶴があまりにあの絵ばかり見ているから…
絵の俺に、その、嫉妬してしまっていた」
千鶴の背中に回した腕にぎゅっと力を込めると、
それに呼応するように彼女もまた、俺の背中に手を添える。
「……ふふ、ごめんなさい。あの絵を見てると
私の知らないはじめさんを、何だか知れるような気がして」
井吹の天分への魂と、俺の天分への魂が宿った絵。
それは千鶴の言う通り、俺の全てを表しているのかもしれない。
しかし、俺にも譲れないものがある。
「昔のことなど…お前になら、俺がいくらでも話そう。
時間はあるのだから、ゆっくり…な」
「はい」
体を離すと、花のように微笑む千鶴の顔が見えた。
彼女のこの姿をもし、井吹に描いてもらったとしたら
…俺も、千鶴のことを言えないかもしれない。
程無くして、再び井吹と連絡を取ることが出来た。
偶然会う機会があり、千鶴を妻として紹介すると
「あの斎藤が…」と驚かれるのと同時に、
「惚気は勘弁してくれ…」とげんなりされたのは、また別の話。
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