「疲れた…」
残業を終えた皆本は、椅子から立ち上がり伸びをした。
特務エスパーであるチルドレンとは違い、彼は運用主任。
書類作成や雑務のために、遅くまで残ってデスクワークに勤しむことも時としてあるのだ。
部屋の暖房を切り、時計を見る。
時刻は午後9時23分、大分働いていたと皆本は溜め息をついた。
一応戸締まりも確認しようと窓の傍へ歩み寄る。
すると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「失礼しま…あら、光一くん。」
「ッなまえ!」
部屋に入ってきたのはバベルの研究員であり、皆本の彼女であるなまえだった。
「残業?」
「ああ。君は?」
「私もよ。資料作成してたら遅くなっちゃって。」
集中し出すと時間を忘れるわ、と笑う彼女に皆本も笑みを返す。
「僕もだよ。最後までやりきらないと気が済まない。」
「変わってないわね。」
付き合い出したのは今年に入ってからだったが、彼女は皆本が研究員だった頃から知っている。
月日が流れても変わっていない彼に、なまえは少し安堵した。
彼女の穏やかな表情を見て、皆本もまた変わっていないと安心する。
最近は話す機械もなく会えない日々が続いたし、色々と心配していた。
今日は一緒にいられるだろうか。
「なまえ、今日はもう終わりかい?」
「この資料を向こうの部屋に届けたら、ね。」
そう言って彼女は手に持っている紙の束を軽く上げて見せる。
偶然ではあるが、仕事もほぼ同じ時間に終わった。
それならば…
「その…このあともし予定がなければ、一緒に出掛けないか?」
それならば、何処かへ行って一緒に過ごそうと皆本はなまえを誘った。
「え…」
「あ、いや、予定があるならいいんだ!」
「嬉しい!すぐにこれ届けてくるから、ちょっと待っててくれる?」
拒絶されたのかと思い無理ならばいいと言ったが、なまえは喜んで誘いに乗ってくれた。
「あぁ。何処へ迎えにいけばいい?」
「ロビーで待ってて。すぐに向かうわ。」
またあとでねと言いながら、彼女は走って行ってしまった。
その姿を見つめ、皆本は目を細める。
「走ると危ないぞ…」
小さく溜め息をつき呆れたように呟くが、彼は頬が緩むのを抑えられなかった。
「光一くん!」
皆本がロビーに来て数分後、なまえも走ってやって来た。
ヒールが床に当たる音が大きく響く。
「ヒールなんだから走ると危ないだろ!?」
「だってあんまり待たせちゃ悪いもの。」
笑いながら言う彼女に皆本は小さく息をつく。
「…それじゃあ行こうか。」
「えぇ。」
そして2人はバベルをあとにした。
少し皆本が前を歩き、その斜め後ろをなまえが歩く。
「ねぇ、今日は車?」
「いや。朝からチルドレンと一緒に瞬間移動できたから歩きだよ。」
「そう。じゃあ移動時間の長さだけ光一くんを独占できる時間が増えたのね。」
返ってきた答えに喜んだ彼女は、そう言って皆本の隣を歩くため少しだけ歩く速度を上げた。
並んで歩く2人。
「光一くん、行く場所の予定はある?」
「特にはないんだけど、夕飯を食べてないから何か買っていってもいいかい?」
「私も食べてないから丁度いいわ。」
お互いがまだだという事実を知り、2人は顔を見合わせ微笑んだ。
「ここでいいかい?」
皆本は通りがかったカフェテリアを指差す。
「えぇ。あらここ、昨日同じ研究員の子がよかったって言ってたところだわ。」
「本当に!?適当に選んだんだけど、いい店でよかったよ。」
皆本は微笑み、店のドアに手をかけた。
そしてなまえが先に入るまで待つ。
「ありがとう。でも光一くんに合うかどうかはわからないけどね。」
彼女は肩を竦めて笑い、店へと入った。
「わぁ…」
店内には、遅い時刻にも関わらずたくさんの客がいた。
あとから入ってきた皆本を確認し、なまえはカウンターへと歩を進める。
そのすぐ後ろを皆本もついていった。
「何にする?」
「そうだな…、僕はエスプレッソとそのベーグルサンドにしようかな。」
数種類あるベーグルサンドのうち、トマトとレタス、ベーコンが挟まれたものを指差して皆本は答える。
「なまえは?」
「私はキャラメルマキアートと、光一くんと同じベーグルサンドかな。」
聞き返されたなまえは、皆本が指し示したものと同じものを指差して返した。
「わかった。じゃあ注文してくるから君は先に座ってて。」
皆本はそれだけ言うとレジへと向かった。
なまえは慌てて制止の声をかける。
「え…ちょっと、光一くん!」
「すみません、エスプレッソとキャラメルマキアート、それからこのベーグルサンドを2つください。」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
だがそれも虚しく、彼は注文を済ませてしまった。
数分後皆本は代金を支払い出来上がったものを受けとる。
「先に座っててよかったのに。」
品物が乗せられたトレイを持って、彼はすぐ近くにいたなまえのもとへと歩いてきた。
「ッ、光一くん!」
「…君の言いたいことはわかるけど、久々のデートなんだからこのくらい僕に持たせてくれもいいだろ?」
そう言って空いている席を探し、皆本は歩き出す。
奥に2人用の空席を見つけ、彼はそこへ移動した。
なまえもそのあとを追う。
「…じゃあ、ご馳走になります。」
「どうぞ。」
そして彼らは席につき、注文したものを食べ始めた。
「あ、美味しい。」
「本当。あの子の言ってた通りね。」
2人は互いに微笑み合った。
「10時前でもこんなにお客さんがいるしね。」
皆本がふとそう言うと、なまえは少し可笑しそうに返す。
「クリスマス前だからでしょ。だから路上にもあんなに。」
そしてすぐ近くのガラスから外を見遣った。
確かにたくさんのカップルが楽しそうに歩いている。
皆本は同じように外を見たが、その途端になまえは彼の姿を少し不安げな表情で見つめた。
食事を済ませた2人は店を出て再び街中を歩き出す。
「多いなぁ…、中から見てたのよりずっと多く感じるよ。」
苦笑し、皆本はなまえに話しかけた。
「そんなに賑わってる場所でもないのにね。」
彼女もまた彼に笑って返す。
しかしその笑顔には少し寂しさが感じられた。
そんななまえを見て、皆本は少し顔をしかめる。
「あの、さ…」
そして彼は真剣な表情をして彼女に切り出した。
「どうかした?」
「その、今年のクリスマスは空いてるかい…?」
「え…」
「…一緒に、過ごせないかな……?」
皆本の突然の誘いに、なまえは驚き目を丸くしている。
「駄目かい?」
「ッ、そうじゃなくて…」
もう一度聞くと、彼女は気まずそうに俯いてしまった。
「…光一くんには、チルドレンがいるもの……」
ポツリと呟かれた言葉。
それと同時になまえは足を止めてしまった。
「あいつらだってなまえのことは知ってる。だからなまえが断る理由には…!」
勇気を出してした誘いを断られ、皆本は少し声を荒らげる。
「知ってたとしても、あまり良く思わないわ…」
そんな彼に、なまえは静かな口調で返した。
「先に知り合ったのは私の方だけど、一緒にいる時間が長いのはあの子たちよ。」
彼女の言葉に皆本は押し黙る。
「毎年一緒に過ごしてるんだもの。それを何処の女とも知らない奴に取られれば怒るでしょう?」
自嘲気味に笑ったなまえは酷く寂しげな空気を醸し出していた。
だがそれでも皆本に向き合い、しっかりとした口調で説得した。
「だから、今年もあの子たちと過ごしてあげて。」
そう言って彼女はまた歩き出す。
「僕の………」
「え……、わっ!」
だが皆本に腕を掴まれたせいで前に進むことは叶わなかった。
そのまま腕を強引に引かれ、なまえは正面から抱き込まれる。
「…僕の、君と過ごしたいという意思は、尊重してくれないのか…?」
「…っ……」
「あいつらだってもう中学生だ。人の気持ちくらい考えられるよ…」
そこまで言って、皆本は詰まっていた息を少し吐いた。
「君が嫌なじゃないなら、僕は君と過ごしたい。何処の女とも知らない奴じゃない、君は僕の彼女なんだ……」
彼の声が震えている。
その事に、なまえは今初めて気が付いた。
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