午後11時30分。
なまえは真木の部屋に来ていた。
何をするでもなく、ただ真木のベッドに腰かけて彼の姿を見ている。
だが今日の任務が随分とハードだったためか、彼女から疲れが見てとれた。
時々欠伸をし、首をカクカクと前後させている姿は本当に眠そうだ。
「…なまえ、疲れているならいい加減寝たらどうだ?」
「…もう少ししたらね。」
真木の言葉を片手をあげて制し、曖昧な返事をする。
疲れているなら早く眠ればいい。
そう思う真木は彼女を見て首を傾げた。
しかし彼女は気にする様子もなくまた彼を見つめる。
仕方なく真木はなまえをそのままにして仕事を再開した。
「……それ、何の書類?」
先程まで自分からは一言も喋らなかったなまえが突然問いかけた。
眠さを紛らわすためかストレッチのようなことをしている。
「これか?これは…」
作業を止め、なまえを見て説明しようとする。
しかし、彼女が前屈したまま眠っているのに気が付いた真木は言葉を止めた。
自分と歳も近く、もう子供だとはいえない彼女が妙な体勢で眠っている。
その無防備な姿に思わず頬が緩んだ。
「素直に眠っていればいいものを…」
真木は立ち上がり、頬を緩めたまま彼女に近付く。
そして彼女の腹に手をかけ、足の上に被さっている上体を起した。
そのままそこで寝かせてやるべく体の向きを変えようとする。
だがそれは彼女の腕に阻まれて叶わなかった。
「…起きてる、わよ……」
いくらか掠れて聞き取りづらい声で紡がれた言葉。
「…………」
信じられないようで、真木は訝しげな視線を送る。
「あぁ、まだ大丈夫。もう少しね…」
そんな真木のことは全く気にせず、なまえは時計を見ながら言った。
現在、午後11時50分。
何かあるのだろうが、真木にはそれが何かわからない。
「何かあるのか?」
彼がそう問えば、なまえは眠そうな顔に笑みを浮かべて真木を見る。
「内緒よ。あとのお楽しみ。」
「珍しいな。」
「私にも秘密くらいあるわよ。」
そう言った彼女はとても楽しそうだ。
「……そうか。」
平静を装って返事をしたが、実際は気になって仕方がない。
しかし詮索してしまえば彼女は気分を悪くするだろう。
どうしたものか。
「そんなに考え込まなくても、すぐにわかるわよ。」
「……?」
笑いながら言ったなまえに、真木は眉間の皺を深くさせた。
すぐとはどのくらい先の話なのだろうか。
わかるということは、知られてもいいことなのだろう。
「一体何の話だ?」
「だから、すぐにわかるって。」
「なら今言ってもいいだろう。」
何が起こるのか、少しずつ不安が募ってきた。
何度聞いても答えないなまえに、真木は諦めたような溜め息をつく。
途中で止まっている作業を再開する気にはなれず、彼はなまえの隣に腰かけた。
そして何が起こるのかを知るためじっと待つ。
相当眠いのであろうなまえだが、時計を見つめた途端真剣な表情になった。
「なまえ……」
呼び掛けても返事はない。
時々彼女の口元が緩むのは、内緒にしていることとやらがいいことだからだろうか。
時間が関係していることだとは思うが、全く見当がつかない。
同じように真木が時計を見遣れば、時刻は11時59分――あと1分で日付が変わるという頃だった。
1秒1秒が長く感じる。
これから起こるであろうことは、自分にとってもいいことなのだろうか。
それともなまえにとっていいことなだけであって、自分にはよくないことなのか。
真木の頭でいくつもの結果が予想される。
しかしそれは確信されず、すぐに消えてしまった。
あと20秒。
「なまえ?」
「何?」
返事が来たことにいくらか安堵する。
「一体何が…」
「待って!」
ことの内容を聞こうとすれば、彼女は少し大きな声を出して真木の言葉を遮った。
目の前に手を出して彼の動きを封じ、なまえは真剣な表情で時計を見つめる。
「9、8、7……」
カウントを始め、真木は何もできずにその様子をただ見ていた。
しかし日付が変わるまで5秒を切ったところでなまえはカウントを止め、真木に向き直る。
「……?」
静かな空間には秒針が動く音がよく響き、時計を見ずとも時間がわかる。
…1、0。
秒針が12を越えた。
「…っ……!」
その瞬間、なまえは微笑んで目の前にいる真木の唇を塞いだ。
しばらくしてなまえが離れれば、真木は彼女を軽く睨む。
「随分と積極的だな。」
何があった。
そう続けようとしたが、それは彼女に抱き締められたことによって叶わなかった。
「なまえ…、」
「お誕生日おめでとう。」
「ッ……」
静かに紡がれたその言葉は、今まで彼女がしてきたすべての行動の理由を明らかにした。
「…覚えていたのか。」
「司郎は忘れてたみたいだけどね。」
肩越しに、なまえがクスリと笑った声が聞こえる。
自分ですら忘れていた誕生日を、なまえは覚えていたようだ。
「朝になってからでもよかっただろう。」
「朝からがよかったの?」
「いや……ただ、何故この時間を選んだのかと思ってな。」
「誰よりも早くお祝いしたかったって言ったら、信じる?」
それが冗談であるかのように言うなまえ。
だがおそらく本当にそう思ってこの時間を選んだのだろう。
抱き締められているため表情は見えないが、彼女は嬉しそうな顔をしているはずだ。
「…どうだろうな。」
否定も肯定もしない返事をした真木。
だが彼もまたなまえから表情が見えないのをいいことに自身の頬を緩めた。
「なまえ……」
熱っぽさを含んだ声で名を呼ぶ。
しかし彼女からの返事はなかった。
「なまえ…?」
不審に思い、真木はもう一度彼女を呼ぶ。
それでも彼女の返事はない。
「……っ………」
静かになった部屋で、肩口から聞こえてきたのは小さな寝息。
どうやらなまえは眠ってしまったようだ。
「まったく…」
真木は喉の奥で笑った。
「無理をするからだ、馬鹿。」
限界を迎えて眠ってしまった彼女に照れ隠しから悪態をつく。
だがその存在がとてつもなくいとおしく、彼はそっとその体を抱き締めた。
目が覚めたら何と言ってやろうか。
想像するだけで緩む頬を隠すこともせず、真木はなまえを抱き締めたまま体を倒す。
そして自身の能力で2人の体に布団を被せた。
「おやすみ。」
自分の腕の中で眠るなまえの首に小さく口付ける。
朝起きたときのことを色々と考えながら、真木もまた静かに眠りについた。
END.
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