今日のなまえはおかしい。
何か怒らせるようなことをしたのか。
それともただ単に今日はそういう気分なのか。
はたまた、嫌われてしまったのだろうか……
それを考えて、否定するようにすぐ首を左右に振った。
だが彼女の行動はどこか、いや、全部おかしかった。
朝目が覚め、挨拶をした時に素っ気ない返事が返ってきたのがそもそもの始まりだ。
混乱する頭で、真木はそのときのことを思い出した。
「ん……なまえ…」
目が覚め、真木は隣になまえが眠っていないことに気付いた。
不安になり体を起こす。
すると、着替えを始めていた彼女を視界に捉えることができた。
「っ、おはよう……」
「あぁ、起きたのね。」
存在を確認して安心したのも束の間、返ってきたのはとても冷たい反応だった。
無感情なその声音にいくらか恐怖を覚える。
「なまえ、一体何が…」
「どうもしないわ。それより、早く起きないと。」
「…っ……」
おかしい、いつものなまえではない。
何が起きたのか全くわからない真木は、その恐怖に怯えながらもベッドから起き上がり着替えを始めた。
チラチラと彼女の方を見るも、あちらが自分を気にする様子はない。
「先に行ってるわね。」
「あ、あぁ…」
嫌だ、行ってほしくない。
いつもならば朝食の席へは一緒に向かう。
どちらかが早く用意し終えても、必ず待っていたはずだった。
真木は急いで身支度をし、彼女もいるであろうリビングルームへと走った。
「あぁ真木さん、おは…、どうかしたんスか?」
リビングに着いてすぐに声をかけてきたのは葉。
「ボタン掛け違えてるし、ネクタイもゆるゆるだし…」
彼に言われて初めて気が付いた。
ちっとも用意などできていなかったのだ。
「あ、いや…急いでいてな…」
「別にまだ遅いってわけじゃないし、そんなに慌てなくてもよかったんじゃない?」
すぐ傍を通った紅葉にも指摘されてしまった。
焦りがすべて行動に出ている。
「まぁ、ちゃんと準備できたら真木ちゃんも手伝って。」
「あ、あぁ…」
彼女に曖昧な返事をし、深呼吸してから改めて衣服を正す。
あまりにも情けなく、自分に舌打ちしたい気分になった。
食事の席で向かい側に座るなまえ。
だが話をすることもなければ、目が合うことすらない。
「そうだ、真木。」
「っ、はい。」
兵部が真木に話しかけた。
「僕は今日女王に会いに行くから、頼んだよ。」
「は、はぁ…」
いつものことではないか。
何も報告するほどのことではと真木は理解できず眉をしかめる。
だがそのあとの台詞に耳を疑った。
「じゃあ少佐、私も行っていい?」
なまえがついていくと言い出したのだ。
「別に構わないけど、キミも彼女たちに会うのかい?」
「いえ、皆本くんか賢木くんに。」
「な…!」
バベルの眼鏡かあの女たらしの医者に会いに行く。
なまえが今浮かべている表情は、今日一度も自分に向けられていない笑顔だ。
激しい苛々と不安が入り交じった感情が真木を支配し、そのあとのことは何も覚えていない。
そして真木は今自室のベッドで何をするでもなく横になっている。
ここまでどうやって帰ってきたのかもわからないくらいだ。
頭にあるのはなまえが自分に向けた冷たい声音と、自分以外の男に会いに行くという事実。
仕事など、手につくはずもない。
思い立った真木は、この不安の原因である彼女を探すべくアジトを飛び出した。
「少佐!」
外でチルドレンと話している兵部を見つけ、真木は彼と話すため地上に降りる。
「やっと来たか。」
「な…」
「なまえならここにはいないよ。随分とつらそうだったから、早く見つけてあげな。」
理解しがたい言葉を残し、彼はまたチルドレンと戯れ始めた。
もう一度話しかけてみたが、彼にはもう話す気はないようで返事は来ない。
彼らから少し離れた場所で、真木はもう一度先程の兵部の言葉を繰り返す。
気になったのは、つらそうだったという言葉だ。
一体何があったのか。
身体的につらいことがあって、あんな風に冷たい態度だったのか。
それ故に皆本や賢木といった、医療に携わる者に助けを求めにいったのか。
考えても答えが出ない。
だが、兵部は早く見つけてやれと言った。
それならば彼らのところにいるのではないのか。
わからない、わからないがなまえが心配だ。
何が起こっているのかわからないが、彼女が危険だというのは絶対に避けたい。
考え込んだ末、真木は兵部の言った通りに彼女を探しに飛び立った。
あまり高いところから探せば人の判別は難しくなる。
だが低空飛行は人々の注目の的だ。
飛んで何処かの屋上に降り立ち、そこから探すしかない。
それでもなまえが室内にいれば見つかる可能性はゼロだ。
だから彼女が屋外にいることを願うしかない。
真木はそうしてビルの屋上を転々とした。
そして少し住宅街に出たところ、何処かのマンションの上から見えた公園に誰かがいるのが見える。
遠目からだが見間違うはずがない、長年想い続けていた彼女、なまえだ。
真木はすぐさま地上に降り立ち、彼女のもとへと駆けていく。
やはり先程見たのは目当ての人物で、なまえはブランコに座って動かずにいた。
彼女を見つけたという安堵と未だにわからないあの態度に対する不安、必死で探したことからくる疲労が一度に出た何とも形容しがたい表情で彼女を見つめる真木。
物音に顔をあげたなまえは、彼のその表情を目の当たりにした。
そして彼女も驚愕と心配の入り交じった複雑な表情で彼を見つめる。
「なまえ…」
真木の唇が動き、そう言った気がする。
「…しろ……っ…」
だがなまえは呼びかけて、途中で顔を逸らしてしまった。
彼女の行動が理解できなかった真木は眉根を寄せる。
「なまえ、一体何が…」
「嫌……」
「っ、」
その瞬間、真木の表情が凍った。
拒絶された。
だがこのままでは帰れない。
平静を保つため小さく息をつき、真木は彼女の前まで歩み寄った。
「なまえ。」
静かに彼女を呼ぶ。
すると、ゆっくりと真木を見上げた。
「何があった…」
「……ちょっと、便乗してみたの…」
拙い物言いだがなまえは徐々に話し出した。
「何に…」
「ほら、今日…4月1日じゃない…?」
それがどうしたというのだ。
真木はその先の言葉を促す。
「エイプリルフールだからさ、嘘、ついてみようと思って……」
最後の方は声が小さく、聞こえるか聞こえないかという程度だった。
真木はしゃがみ、ブランコに座るなまえと目の高さを合わせる。
「嘘…?」
「うん。」
なまえは自重気味に笑った。
そしてしゃがんだ真木を見ずに空を見上げる。
そのまま彼女は事の真相をすべて話した。
自分の気持ちに嘘をつこうとしてみたこと。
だから素っ気なく接したこと。
でも苦しくなってきて逃げるように出てきたこと。
皆本や賢木に会うというのももちろん嘘だったということ。
「不思議よね。昔はあんなに自分の気持ちに嘘ついてたのに、今は苦しくて仕方なかった。」
一度目を伏せ、再度開けてなまえは真木を見た。
彼は驚き目を見開いている。
「っ、馬鹿か…!」
短く怒鳴り、真木は地面に膝をついてなまえを抱き締めた。
「そんなものに便乗する必要はない…」
怒鳴ったものの、抱き方は優しく、そのあとの言葉は弱々しい。
「ただでさえそういう年月を送ってお互い苦しんできたんだ。昔に戻る必要など…」
「…うん、ごめん。もうしないわ。」
少し無理な体勢ではあるが、なまえも真木を抱き締め返した。
触れ合う場所から伝わる相手の体温。
その温度にとても安心した。
「帰るか。」
しばらく抱き合ったあと、そこが外であることを思い出して真木は少し恥ずかしそうに言った。
そしてなまえから体を離し、立ち上がる。
膝についた土に眉根を寄せたが、それもまた思い出のひとつかと思い、払いながら微かに笑った。
「…なまえ、どうした?」
だが払い終えても立ち上がらないのを見て、真木は疑問に思い彼女を見る。
すると彼女は眉を吊り下げて情けない笑みを浮かべた。
「足に力が入らないの。」
仕掛けたのは自分だが、彼とまた触れ合えたことで安心して力が出ないのだ。
「なら瞬間移動を…」
「それもだめ。うまく力を操れない。」
そう言う割りに、なまえは嫌そうな顔をしていない。
真木はそんな彼女に溜め息をつき、少し腰を屈める。
そしてなまえの両脇に手を挟ませ、正面から抱き上げた。
「っ、ちょ……、司郎!」
「力が出なくて帰れないんだろう。大人しく首に腕をまわせ。」
照れ隠しに重い、と不機嫌な声で呟いた彼になまえは頬を膨らませる。
言われた通り首に腕をまわし、近付いた耳に小さく噛みついた。
「…っ……」
真木は顔を歪めて痛みに耐え、自身の髪を翼に変えて上空へと飛び上がる。
「でも、日付が変わるまで貫き通してみたかったわ。」
移動中、なまえはぼそりとそう言った。
「それを失敗して安心したのは何処の誰だ。」
「ここにいる、司郎に最も愛されてるなまえです。」
「な…!」
開き直ったなまえに、真木は頬を赤らめる。
これ以上そんなことを言わないよう翼になっていない髪の一部で口を塞げば、彼女は仕方なく黙った。
「…来年からは絶対にこんなことするなよ。」
返事のできないなまえは、首を縦に振って彼に返す。
ついでに視覚も奪ってやった。
突然のことに驚き、なまえは首に回した腕に力を込める。
その反応を楽しんで、彼女に見られないのをいいことに真木口元を緩めた。
END.
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