ホワイトデーには、男の方が女にお菓子を渡すらしい。

数年前バレンタインの存在を教えた兵部は、それと同じ年にホワイトデーのことも教えた。

ここにいる真木も、その頃からそれらの行事に参加している。

まだそんなにパンドラが大きな組織ではない頃で、メンバーも兵部以外は皆似たような年齢だ。

子供たちが気楽に楽しめるよう、彼は恋愛に関することは一切教えていない。

ただ「バレンタインデーには女の子が、ホワイトデーには男の子がお菓子をあげる」のだと教えられただけ。

そのため女から女、男から男に渡されることも当たり前だった。

しかし、やると決めれば徹底する真木は、教えられた行事について事細かに調べていた。


「女が、好きな人にチョコを渡す日…」


そしてバレンタインデーとはそういう日だということを知った。

ホワイトデーとはそのお返しをする日だということも。


「好きな人、か……」


なんか不公平だな、と真木は呟いた。

女は好きな人に渡すのに男はそのお返し、つまり、気持ちはないのかよ、と。






「真木ちゃん、はいこれ。」


ある年のバレンタイン、真木は紅葉からチョコレートを受け取った。


「ありがと。」


女の子はお菓子作りが楽しいからと、手作りのものを渡す。

目の前の紅葉も、例外ではないようだ。

だが気になるのはその隣にいるなまえ。


「…なまえはねぇの?」


欲しているのを悟られないようあまり関心のないようにそう聞けば、彼女は少し難しい顔をする。


「あるよ、はい。」


同じように感情の籠らない声音でそう言い、なまえは丁寧にラッピングされた包みを渡した。

わざと指先が触れるように真木はそれを受けとる。


「ありがと。」


嬉しいという感情に気付かれないよう紅葉の時よりも無愛想に礼を言い、彼はその場を去った。

彼の態度になまえが寂しそうな表情をしたのには気付かずに。




他の女の子からもチョコレートをもらった真木は、それらを持って自室に戻る。

そして絨毯の上に座り込み、なまえからもらったチョコレートの包みを開けた。


「…っ……」


中に入っていたのはハート型のカップにチョコレートを流しただけのシンプルなもの。

しかし真木を喜ばせるのには充分だった。


「ハート、型……」


彼女はこの日がどういう日なのか知っているのだろうか。

いや、おそらく兵部に言われた通りのただのお菓子交換の日だと思ってるんだろう。

5つ年下の彼女は、もしかしたら恋愛というもの自体まだ知らないかもしれない。

わかってはいたが、つまり義理チョコなんだと真木は肩を落とした。

それでもやはりハート型というのには淡い期待を持たされる。


「いつか、本命ってのをもらえる日が来んのかな…」


そのままごろんと寝転がり、天井を見つめて呟く。


「でもそれって、なまえが俺を好きじゃねーと駄目なんだよな…」


難しいな、と言いながら真木は先程のカップを指でなぞった。

食べるのがもったいない、でも食べないのももったいない。


「…カップ、洗ってとっとこうかな……」


そんな情けないことを言って、真木は苦笑した。

そしてその時ひとつの疑問が思い浮かぶ。

他の奴も、同じようにハート型なんだろうか。

だがそんなこと聞けるわけがない。

聞いたら最後、自分の気持ちを悟られて呆気なくバラされてしまう。

そのことでなまえとの関係が崩れてしまうのは嫌だった。


むちゃくちゃ仲がいいというわけではないが、それなりに仲はいい方だろう。

お互いあんまり話さないが、それは自分が話すのを避けているからだ。

今はまだしっかりと気持ちを隠して話せる自信がない。

それでも彼女は理由を聞いてこない、だから話すのが苦手な奴だと思ってくれてるだろう。


「ほんとは話したくて仕方ねぇんだけどな。」


いつかは、平気で話せるようになる。

それが彼女を好きなままの時か、既に彼女のことを諦めてしまった時かはわからないが。


ずっと持っていたせいで端が溶けてしまったなまえのチョコレートを寂しそうに見つめ、真木はそれを包みに戻した。




そして1ヶ月が経ち、ホワイトデーとなった今日、男の子達はお菓子を配っていた。

ただバレンタインとは違い、お菓子作りに興味を示さない彼らは既製品を渡す。

そんな中、真木だけは違った。

大量の板チョコを前日に調理して手作りの菓子に変えていた。

まだそこまで料理の腕は上達していなかったが、簡単そうなものならできる。

そう思って本を読み漁り、菓子作りを実行したのだ。


まだそんなに人数がいるわけではないが、年長の彼は全員から受け取ったため全員に返さなければならない。

今日中に全員に渡せるだろうか。

そんな心配をしていたが、この行事のことは知れ渡っていたため、ほとんどの者がリビングに集まっていた。

真木は大きな紙袋に、小分けした手作りの菓子が入った袋を入れてリビングへ持っていく。

そして会う者全員にそれらを1つずつ渡していった。

渡しては礼を言われ、男の子からは時々お返しを受けとる。

そんなやり取りをして数時間、残すはあとなまえだけとなった。

初めの頃はリビングにいたのに、いつの間にかいなくなってしまった彼女。

一体どこにいるのか。


「なまえ知らないか?」


近くにいた女の子に彼女の居場所を聞く。


「多分部屋に帰ったと思うよ。」

「…そうか、ありがとう。」


礼を言い、真木はリビングを出た。

なまえが帰ってしまっていたのは少し残念だったが、ありがたく思えることもあった。


「あんなに大勢いるところで渡せねぇよな…」


緊張するだろうからあまり人には見られたくない。

その点ではこの状況は好都合だ。



「……!」


そんなことを考えていると、目当ての人物がこの廊下を歩いているのを見つけた。

部屋にいるのではなかったのか。

まだあまり心の準備ができていない、だが渡さなければならない。

今廊下に他の人はいない。

やるなら今しかない、そう思った真木は大きく深呼吸する。

そして決意を固めると少し先を歩くなまえを呼び止めた。


「なまえ!」


少し大きめの声で呼ぶと、なまえはピタリと歩みを止め、数秒置いてから振り返った。


「真木、ちゃん…」


追い付き、彼女の目の前まで来た真木は、何から言えばいいのかと思考を巡らせる。


「…探したぞ。」


それだけ言うと、なまえはしょんぼりとしてしまった。


「ごめんなさい…」

「あ、いや…」


言い方がキツかったかもしれないと早速後悔する。

どんな言葉を使えば次は悲しまないだろうかと考えていると、先に彼女の方が口を開いた。


「どうしたの?」

「…………」


もう、深く考えない方がいいのではないか。

真木はなまえを一瞥してから紙袋に手を突っ込むと、中から小さな袋を取り出した。


「……お返し。」


そう言って、ぶっきらぼうにその袋を渡す。

バレンタインではないが、これは本命なのだと言ってしまいたかった。

しかしそれは許されない。

人のいるところで渡すと思って外見が他のものと変わりないものになっていることを、真木は少し恨んだ。


「…これ、手作り…?」


なまえは驚いたようにその袋を見つめ、いつまでも受け取ろうとしない。


「あぁ、せっかく手作りのやつ貰ったのに、買ったやつじゃ悪いだろ?」


本当はなまえに手作りを渡したくて全員分手作りなのだが。

それもまた、言えないでいた。


「…要らねぇならいいけど……」

「っ、ううん!ありがとう!」


素直になれない手を引っ込めようとすると、なまえは奪うようにして袋を受け取った。


「じゃあ、私行くね…」


そしてチョコレートを手にしたなまえが去っていくのを、真木は黙って見つめた。



彼女に渡したものだけ、中身が少し多い。

彼女に渡したものだけ、袋の口を留めているモールがピンク色だ。

他のものは青や黄といった色なのだが、そのため真木の部屋にはピンク色のモールがたくさん余っている。

このくらいなら、周りにも気付かれないだろう。

本人にも気付かれないかもしれないがと自嘲気味に笑った真木は、同じように自分の部屋へと戻っていった。


「どうせ、本命なんて言葉もまだ知らねーさ。」


そう呟いたが、実は彼女たちはバレンタインがどんなものかをちゃんと知っていたのだった。

女の子が恋を知らないはずがない。

部屋に帰ったなまえがバレンタインの時の真木と同様ピンクのモールに少し期待したのも、このときの彼には知られていなかった。



***



クッキーを焼きながら、真木は昔のことを思い出していた。

自分がこうしてホワイトデーに菓子を作るようになってから随分と経ったんだなと小さく笑う。

そしてその当時から何一つ変わっていない自分の気持ちに、心が暖かくなるのを感じた。


「…ただのお返しなどではない……」


そう呟き、真木は用意していた箱をそっと撫でる。

世間ではそれほど重宝されていないし、バレンタインほど盛り上がりはしない。

だが自分はそれでも構わない。

たとえバレンタインに彼女から何も貰わなくても、自分はホワイトデーに何かを渡すだろう。

たまたま、バレンタインの方が先に来るというだけなのだから。


昔から思っていたが、随分と女々しい考えだと苦笑する。


「……焼けたか。」


ちょうど、クッキーが焼けた。

これを渡したとき、彼女はどんな反応をするのだろう。

赤い毛糸の意図に気付かれてしまうのはやはり恥ずかしいが、驚いた彼女の顔を想像すると少しだけ口許が弛んだ。



END.



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