「真木ちゃーん。」
なまえは真木を呼ぶ。
さっきからずっとこの調子だ。
もう何度目だろうか。
「………」
しかし返事はない。
無言だった。
というより、彼は仕事していたのだ。
この部屋には誰もいないが、もし他人が見ていればなまえが真木の邪魔をしているように見えるだろう。
「真木ちゃーん。」
もう1度呼んでみる。
「…………」
やはり返事はない。
ここ数日、このやり取りが延々と繰り返されている。
理由は単純、なまえは構ってほしいのだ。
それが迷惑だということは百も承知。
しかしこうも仕事ばかりで会話がないと不安を感じてしまう。
「真木ちゃん?」
肩を叩いてみる。
「仕事中だ。」
一瞬ピクッとしたが、振り向かずにパソコンに向かったまま返事をされた。
「…………」
ちらりと横目で真木を捉え、なまえは小さく息をつく。
確かに寂しいし、不安にもなるが、この反応も仕方のないものだ。
彼は仕事をしている、それは紛れもない事実である。
お互いもう子供ではないし、しなければならないことや我慢しなければならないこともある。
なまえとて、邪魔をしたいわけではない。
次に呼んで、返事が返されなければ諦めよう。
そう決心した彼女は、もう一度だけ彼の名を呼ぶ。
「真木、ちゃん…?」
あまりにも弱々しい声だったからか、真木はゆっくりと振り向いた。
しかし、どうした?とも、何だ?とも言わなければ、彼女の名を呼ぶこともない。
諦めよう。
そう決心してなまえは小さく息をついた。
「…私、行くわね。」
「何故だ。」
帰ると言えば、驚くほど早く返ってきた返事。
理由を聞くということは、その先も会話が続くということだ。
「何故って、真木ちゃん仕事してるし…」
「ここに居ろ。」
「……は?」
今なんと言ったか。
聞き間違えたのだろうか。
「聞こえなかったのか?出ていくな、ここに居ろ。」
間違いではなかった。
邪魔をしたくはないと、仕方なく帰ると言ったなまえに対し、相手にもしないくせにここに居ろと言う。
「っ…真木ちゃんのそれ、自分勝手だと思うわ……!」
自分だって居たいのだ。
それでも、邪魔はしたくない、仕事が終わってから話せばいいと、我慢して出した結論だったのに。
「…もう行く。」
真木を一瞥し、なまえは部屋の出口へ向かう。
「…っ………」
あんな風に言いたくはなかった。
ただ彼と共に穏やかなときを過ごしたかっただけだった。
泣き出しそうになるのを耐え、ドアノブに手をかける。
その瞬間―――
真木の炭素繊維が伸びてきて、拘束された。
「…ッ………!」
「ここに居ろと言ったはずだ。」
なまえを捕らえた炭素は、彼女をそのまま壁へと押しやる。
真木は椅子から腰をあげ、なまえとの距離を詰めた。
「ッかまって…くれないくせに…!」
今まで溜めていたものを吐き出すように、なまえは声を発する。
「話しかけても…無視、するくせに…ッ」
その間も真木はなまえとの距離を詰めていく。
しっかりと、彼女の姿を見つめながら。
「仕事の方が…大切なくせに……」
堪えていた涙がなまえの頬を伝う。
「私のことなんか…どうでもい……ッ」
そこまで言うと、言い切る前に真木が目の前まできて抱き締めた。
「…そんなことがあるわけないだろう…!」
「ッ………」
少し痛い。
なまえはそう感じた。
だが乱暴だというのではない。
優しさはあるが、少し力加減ができていないだけなのだ。
「…無視したのは悪かったと思っている。」
「真木ちゃん…」
「だが、そうでもしなければ仕事に支障が出る…」
彼の言いたいことはよくわかる。
尤もだとも思う。
「話しながら仕事ができないわけではない。他の奴となら話しながらでも仕事はできる。」
「……っ………」
「だがなまえと話しながらだと、仕事に意識が向かない…」
そこまで言って真木はなまえから離れ、炭素の拘束も解いた。
「真木ちゃ……」
「休憩として話し出したら最後、時間の感覚もなくなる。」
自嘲気味に笑い、そんなことを口にする。
「だから…我儘を言って悪いんだが、仕事が終わるまで待っていてくれないか?」
「…っ……最悪……」
彼の言葉を聞き、なまえは俯きながら小さく呟いた。
「………?」
「そんなこと言われたら、黙って待つしかないじゃない…」
自分達が遊んでいられるのは真木がその分働いてくれているからだ。
多少の文句は言うものの、彼は自由時間も削って仕事をこなしてくれている。
「なまえ…」
「私は待つことしかできないけど…お仕事、頑張って。」
少し困ったようになまえは笑った。
「……っ………」
それを見た真木は少し目を見開く。
そして小さく息をついた。
「…真木ちゃ…んむっ……」
何に対しての溜め息か。
疑問に思い呼び掛けるが、それは遮られてしまった。
真木に唇を奪われたことによって。
小さなリップノイズと共に唇が離れると、なまえは驚きで口をパクパクさせる。
真木は彼女を見て眉を吊り下げ、小さく呟いた。
「…駄目だ。」
「何が……」
「やはり、話してしまえば仕事に意識が向かない……」
その台詞に、なまえは先程彼が言っていたことを思い出す。
「でも、まだ仕事残ってるんじゃないの…?」
「だから身が入らんと言っただろう。」
「待っててくれって言ったくせに。」
呆れたように言うが、その口調にはどこか嬉しそうな様子が伺えた。
「悪いな、今日は諦めてくれ。」
そう言って真木は彼女の額に口付ける。
1日くらい欲望に負けたっていいだろう。
誰に言うでもなく心の中で呟いて、彼は優しくなまえを抱き締めた。
彼女もそれに答えるように腕を背中にまわす。
ただ抱き合っているだけだったが、それは彼らにとって至極幸せな時間だった。
END.
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