人で歩んでいきたい


 屋上に響く音に、目を開いた。どこか、懐かしい。けれど、聞きなれない音。あいつか、と上半身を起こし、下を見つめる。短い髪は、その奏でている音楽でワルツを踊るかのように揺れていた。
「かなで」
 小さな声で名前を呟き、そのまま目を閉じた。かなでの音は鳴り止まない。それが、嬉しいと思った。
 昔のかなでの音は、子守唄のようなものだった。心地が良すぎて、そのまま眠ってしまうような音だ。それを悪いと評するものは少ないだろう。けれど、つまり、眠っても構わないと思わせるような音だったことに違いは無い。そのことに、響也もかなで自身も薄々と気付いていた。けれど、変わろうとはしなかった。
「お前は、いつの間にか走っていったな」
「響也?」
 綺麗な声が、自身の名前を呼ぶ。よう、と手を振るとかなでは微笑みながら横の階段を駆け上がってくる。まだ暑いとはいえ、この学校で一番空に近い場所だ。風が吹きすさぶけれど、かなではにこにことしながら、両腕を広げていた。気持ちがいいね、とこちらを振り向く。響也は頷いた。
視界の隅に放りっぱなしにされたかなでの鞄には楽譜が何冊も入っている。
「愛のあいさつ?」
「うん、練習してみようかなって。他にも色々! 部室ね、宝箱みたいだよ。いっぱいあるのに、使われないのは勿体無いよね」
 風が容赦なく響也の体を押し潰そうとする。やっぱりな、と内心苦笑しながら響也はそのまま足に手を置きながら立ち上がった。
彼女の体は、自分よりも小さいのに。その体は、風になって勢い良く走っていく。響也を置いてだ。昔のかなでは、響也の隣にいた。ずっとだ。小さなときから、ずっと。
 走っていく、それがどこか気に食わなかった。かなでばかりが、優遇されているような、そんな気がしていて、かなでに八つ当たりをした。
「間違ってんのは、俺だったのにな」
「響也? 朝のテストの話? 間違えたの?」
「かなでじゃあるまいし……。違うっての。ったく、しっかりしろよ、部長さん」
 彼女の額を指で押すと、頬を膨らませる。それを笑いながら、響也は彼女の頭を撫でた。
 かなでがオーケストラ部の部長に選ばれた。コンクールでの活躍を見ればそれは当然だ。けれど、あの時もかなでは響也を不安そうに見上げていた。だから、響也は笑って首を振った。
 お前は、走っていいんだ。俺を気にするな。それがかなでに伝わってくれればいい。
 響也の不安も恐怖も、かなでは知っている。いつの間にか、かなでがこちらを振り向いて心配していた。昔は、それが響也の役目だった。
「かなで」
「何、響也」
「来年のコンクール。決勝戦は、ファースト、俺がやるからな。お前はセカンド」
 部長様は休んでていいんだぜ。かなでの髪の毛に、響也の指がすり抜けていく。かなでは響也を見上げて、そして大きく口を開けて笑った。
 そうだ、かなでは響也を振り向かなくていい。響也も、走り続けるのだ。立ち止まらない、時間は止まってくれないから。
 もう、かなでを心配させない。響也はかなでの頭から手を離した。かなでは、そっか、と声をあげながらも反論する。
「副部長様こそ休んでていいんだよっ! わたし、負けないもん!」
「……ふーん。いいぜ、競争な。今から」
 大きく頷いてかなでは手を伸ばしてきた。それに響也があわせるように手を伸ばし、そのままかなでの手を叩く。ハイタッチの図に、かなでは嬉しそうにしていた。
 いつか、響也が追いついたら。その時は二人で歩ける筈だ。長い間、お互いがお互いの隣にいなかった分をそこから埋め尽くしていこう。響也は目を閉じた。大丈夫だ、と心の中で呟く。きっと、かなでのように。風になれる。かなでが、先で待っているから。煌いて目印となってくれているから。
 ああ、でもと。響也は目を開けて、空を見上げた。太陽の光が、眩しい。
「かなで、俺、お前に一つだけなら絶対勝ってるぜ」
「え?」
 かなでの後ろから差す光が、彼女を照らしているように見えた。
「お前の事、好きだなっていう気持ちだよ」
 一瞬の沈黙と、ぽんっという湯気が出そうなくらいの真っ赤な顔で。そのままかなでは響也に告げた言葉をまた繰り返した。
「ま、負けないもん!」

*
「君と過ごす夏」様に提出させて頂きました。
はじめまして、こんばんは。はやしと申します。響也ルートその後のお話でした。
響也とかなではライバルのような幼馴染のような曖昧な境界線があるので、それ全部ひっくるめてお互い大好きだといいなと思います。うん、つまり言いたい事は二人で最後には歩けるように頑張れ、響也!みたいな話です。響也くんの成長を見守りたい限りです。
主催の久遠様、他の参加者様、そして読んで下さった皆様、有難う御座いました!