「先ずはメールで。電話はお返事を頂いてから」
「ふーん……」
マリアはぼんやりと生返事をしてそれからさっき自分が言った言葉を心の中で反芻させた。
――そうよ。女二人は確かに身軽だけど社交の場で最も声が掛かり易いのも女二人のコンビだわ。パートナーが同じ所に居るなら一緒に居た方が良いに決まっているの。
そもそもパーティーとなれば働く必要の無い暇なシングルが期間限定のお遊び相手や、事業を跡に任せた還暦の道楽家が息子や孫に引き合わせる女性を探すにうってつけの場所だ。その中に年頃が二人で居れば……間違いなく良い的になる。
それがきちんと乗客の管理がされている客馬内であれば尚の事。ブロンドを好む紳士のエンターテイメントではないけれど、きっと晩餐会では出席者の名簿が全員に配られる。だってパーティで交遊を広げるのは、来慣れた人からすればごく普通の習わし。めんどくさいわ。と、マリアが疎んじる慣例だけど、そこではそれが自然で日常なのだから仕方ない。
――て言うか、名簿配られたら直ぐバレるじゃない。
マリアははっと気付き、その場で項垂れた。
豪華客馬の定員数は決まっている。階層毎に管理が分かれているためその全てが公表される訳じゃないが、マリア達が利用しているようなパーティーや晩餐会への出入り日常的に可能なクラスはその出席の時、席が公表された。それを足掛かりに交遊を増やしてくれとでも言う様によりは身元をはっきりとさせる為かもしれない。何番テーブルは、誰それ。今来たのは某家の誰々と言う伝統に則って。
そんなはた面倒くさい習わしの場所、ココ一人だったらルームサーヴィスか階下の屋台村で済ませそうなものだがサニーが一緒なら間違いなく赴くだろう。絢爛な装飾の場で食材が美しく提供される晩餐会は彼の目を輝かせるのに相応しい。
勿論彼一人で行ってもマナー違反には成らないからココにも断る権利が有る。嫌ならノーと言って自由に自分の時間を使っても良いが、どちらにせよ友人が一緒に居るのにひとりだと言うよりは連れ立って行った方が一般的だ。ココがそれを知らないとは思えない。そうなると間違いなく、そう言う場に二人は行く。
そうすれば自分達の存在も向こうへ伝わる。
産まれが絶対視される社交となると辟易するが、そう言った華やかで美しい場所はマリアも好きだから。
やっぱりこれ以上、先延ばしには出来ないかもしれない。これ以上は気不味くなるだけ。
――どの道、良い機会だわ。
マリアは嬉しそうに鼻歌を刻み始めたクラルの横でぼんやりと思った。
謝る気があるかと言えば、ないけれど。(だってマリアは今回、自分を悪いなんて思えない。悪いのはサニーだわ。と、今も思う。どうして心配かけさせる事ばかりするのよ。思えば唇が尖って来る)でもこのままは駄目とも理解している。今のまま距離をおいたって増々気不味くなるだけ。こればかりは時間が解決してくれる物じゃない。
それに、危険な所へ行く度いつもいつも事後報告なのは腹が立つけれど、マリアもサニーの気遣いを分かっている。ただ、分かっているからこそこっちの気持ちを分かってくれないサニーの立腹してしまうのだ。
――サニーが心配なのよ!どうして分かってくれないの!?四天王なんて肩書きも、あんたが死んじゃったら意味ないのよ!……もう知らない!勝手にしたら!
「――ああもう!」
マリアは荒々しく叫んだあの時を思い出して、今も叫んだ。利き手で乱雑に腰、ちょうどポケットが作られる位置を探る。けれど今日の為にマリアがチョイスしたワンピースにはそんな野暮ったい物はついていなくて、
――そうだわ。モバイル。テーブルに置いたんだわ。
目的の物が望み通りない苛立ちを感じたそのままの声量で、室内に控えているバトラーの名前を呼んだ。
「テーブルの上のモバイルを持って来て、」
「嘘っ!」
テラスへ姿を現した紳士にお願いを、言い終えるその手前で、珍しくクラルが大声で叫んだ。
「……クラル?」
バトラーが何事かとテラスへ降りて来る。その姿を無視して横を向いたマリアの視界に、手摺から上半身を乗り出して下を見つめる、クラルの姿が映った。
その両手は確りと手摺を掴んで、その横顔は血の気が失せている。戦慄く唇が小さくもう一度、嘘、と呟いた。
∵
あ。と、思った時には手遅れだった。
最上階に位置するキャビンのテラス下は当然、今にも引き込まれそうな高さだった。クラルはつい、その距離に呆気に取られる。
壁に触れる位置だからか真下は海ではなく、何処かの階のデッキのようだ。下の階のテラスの端が見えが繋がる隙間から時折小さくなった人の頭が通り過ぎて行く。ごま粒より小さな点が。勿論その上には上階の人の落とし物が万一人に当たるのを防ぐ為だろう、ネットらしきものが張られているが、それさえもぼんやりとしている。
思わずモバイルを強く握る。
タッチパネル式のモバイルは従来の折りたたみ式に比べて手から落とし易い。万一の衝撃緩和にきちんとカバー(ココに薦められた彼とお揃いのもの)を被せてはいるけれど、転落防止に少し前から市場に出回り始めたキーリングは未だ付けていなかった。と言うか、渋っていた。便利そうだけれど付ければ幅が生まれる。
――落とさない様にしないと…。
クラルは少し手摺か身を引いた。くう、と、手に力を込める。
こんな高い所から落としたら絶対にお釈迦になる。
――やっぱり、多少幅が増えるのは仕方無いとしても、手からの滑り落ちを防ぐあのリングを購入した方がよかったかしら。
後悔先に立たずと言うには妙だがその代わり、クラルは一層気を引き締め注意深さを保ちながら画面の英字をタップした。横からマリアに「電話じゃないの?」と訊かれて「先ずはメールで。電話はお返事を頂いてからです」自分でもなんて弾んだ声かしらと発見に驚きながらもでも、緩む口元を堪えきれずに本文を打ち込む。
電話を受け取れなかった謝罪に始まり『今、何処に居ると思いますか?』ちょっとした遊び心、そして種明かし。『実はこの子達の近くに居ます』つい先程撮ったギガホースの写真を添付した。勿論、ココの都合さえ良かったらどこかの日で夕食を一緒に摂りたいとも付け加えて、軽快に指をくるくる踊らせる。
その作業の片隅では、マリアはどうなさるのかしら。と、気にしながら。
やっぱり、了解を得られたと言っても気にしてしまう。
しかもマリアと言えば最後に「ふーん」と相槌を打ったきり柵に肘を当てた頬杖の姿勢で何かを考えている。クラルの横で、オーシャンビューの景色を何処か険しい横顔で見つめている。
それをクラルは、良い兆しの前兆でありますように。と心秘かに願い、ざっと打ち終えた文章へと目を通した。送信を決意する。その時だった。
「ああ!もう!」
マリアの突然の咆哮に心臓が跳ねた。ついでに肩もそして、掌も跳ね上がり、その中のモバイルもぽんっと、跳ねた。
跳ねて、取りこぼして、落ちた。
「テーブルの上のモバイル持って、」
「嘘っ!」
クラルの手からモバイルが真っ逆さまに落ちた。しかも、柵の向こう側。つまり真下に。
柵を両手で握り身を乗り出したクラルの目の前で見る見るうちにモバイルが風を押して小さくなって行く。真っ直ぐに、それは真下から伸びた糸に絡めとられ、もの凄い力で引き寄せられる様に。
クラルの顔からさあっと、血の気が引く。なのに容赦無く引力は彼女の端末を引き寄せる。真下に、真下の、デッキへ向かって小さく小さくなる。
嘘…。
今度は唇からか細くその言葉が漏れた。嘘……。
「え?え…?クラル……?」
クラルと、クラルが覗き込んでいる下とをマリアは交互に見つめた。
ひょお、と。風が髪や衣服をはためかす。
クラルはずるずると、膝からその場に崩れ落ちた。
「クラル……」
「マリア、」
蒼白の顔のまま、ぽつんと口を開く。マリアを仰ぎ見て、今にも泣きそうな顔で。
「モバイル、落としちゃった……」
「うそ………」
落下衝撃の音さえ、しなかった。代わりに全てのスピーカーがこう告げた。『人間界一周グルメ馬車の旅、間もなく出発します』体を芯から震わす程の汽笛が響き、何処からと無く人々の歓声が沸いている。