始め
始め。つまりクラルがマリアからその愚痴を聞いたのは旅行に誘われたのと同じ日。まるでリンが酔い潰れて眠ってしまうのを待っていたみたいに、マリアはぽつん。と話始めた。
『…サニーね。修行続きで全然会ってくれないの』
『会っても上の空で話を聞いてくれないのよ』
それから直ぐ『でも、それは良いのよ』とちっとも良さそうじゃない顔でマリアは前置きをししてそれから、『何より嫌なのがあいつの体中に傷跡が目立つ様になった』事。グルメ細胞を保有しているサニーは素晴らしい食事をすれば綺麗に成る筈なのに『最近はそれでも残ってる』らしい事(……どうしてサニーさんとマリアは進展が早いのかしら?と、クラルは心の中で、自分の立場と照らし合わせ首を傾げた。ココとクラルはお互いの体を見合う関係に進展する迄少なくとも半年以上かかった)けれど極めつけは、
『あいつったら勝手にグルメ界に行ってて……』
この時、クラルは眼を見開いた。クラルの膝に向かって、トリコ〜と擦り寄り口をむにゃつかせて眠るリンの短い髪を弄くっていた指先もつい止まった。
『生きて返って来てくれたから良いけどでも、』
グルメ界の逸話を知らない人なんていない。子供の頃から二人は散々それに脅かされている。例えば、
――良いですか、食材を粗末にするとグルメ界から猛獣がやって来て寝ている間に悪い子の目を潰しちゃいますよ。
子供向けらしく説得力に欠ける怪談めいた物だし子供心に二人は、ありえない。なんて思ったけれど、何処かで大人が言う事だから本当なのかもしれない。と、怖い思いはした。
『あいつ、グルメ界なんて俺には大した事なかったし。とか言ってるけどリンに聞いたらなんか、ライフの人が助けに向かってくれなきゃ死んでたかも…って……』
今迄幾人もの美食屋が時代に相応しい"新たな味"を求めて旅立ちしかし、帰って来たのはあるジャーナリスト一人だけ。しかも、満身創痍。
『なのにまたチャレンジするとか言ってんのよ……!』
それ迄"食の楽園"と言われ、彼等が帰ってこないのはそこが魅力に溢れた桃源郷だと噂されオープンだったグルメ界が一変、世界規模で入界を制限する最も危険な区域に成っている。
『馬っ鹿じゃないのあいつ!四天王がどうこう言ってたけどそんなの関係ないわ!』
クラルは、ふと思った。もしかしてこの話、他人事じゃないのかしら……。脳裏にココの姿が浮かぶ。
ココもサニーと同じく四天王だ。
今の所ココの口からグルメ界への話を聞いた事は無い。でもトリコと小松のハントに同行してから、急に今迄休業していた美食屋業を再開したり再開と同時に修行を始めたり、『ほら、今迄占い一辺倒だったろ。勘を取り戻さないと危ないからね』そう言って基礎体力作りを始めたりしているから口にしないだけで、視野には入れているのかもしれない。
実際クラルはココの行動の裏に、意図的に隠されている情報の存在を感じていた。恐らくそうせざる得ない何かをココは知っている。
ただ、感じていてもココは以前と変わらず愛してくれているし、寧ろ以前よりずっとクラルを大切にもしてくれてるからクラルは追及しなかった。そもそもココの隠し事が自分、あるいは自分達にとってマイナスになった事は無い。
人間30年近く生きれば秘密の一つや二つ位はあるもの。それかただ単に話すタイミングを失っているだけかもしれない。そう言う類いの秘密ならクラルにもあった。
自分だって言いあぐねている事があるのにそれを棚上げしてココだけに明け透けを求めるなんて正直、気が咎める。
けれどもし、グルメ界への入界がその中心なら状況は変わる。危ないからね。どころの話じゃない。
――行かないでほしい。行って、欲しくない。
『てゆーか…なんで私に黙ってるの……』
悲痛に顔を歪めた親友にクラルはやおら、マリアが腹立たしく感じたのはきっとここなのね。と気付いた。
マリアの横顔に何処と無く影が射す。
『……マリア』
男は女、特に惚れた女には頼って欲しいあまり弱みあるいは弱った姿は格好悪いから絶対に見せたがらない。とは良く聞く話の一つで。
その定説を鑑みれば外見はさておき内面は男性より男らしいサニーは、そのタイプに見える。
サニーも、クラルには"紳士的で優しい頼りになる男"と思われ続けたいココの様に、マリアには"女に余計な心配はかけさせない華麗に美しい俺"と思われたいのだ。
女性からすればそんな態度にはどことなくよそよそしさを感じてしまうし、そんなカッコ付けず全部晒してくれれば良いのに。とも思うけれど、そうはしない。よりも出来ないのが結局男なのだ。惚れているからこそ絶対に不様は見せたくない。
外見や物腰からトリコに"優男"と皮肉られるココでも、そう言う所は確り男性(つまり絶対に紳士然としながらも強い男の姿勢を崩さない。常に弱肉強食、熾烈な環境で四天王と成る様受け続けていた教育の影響も有るのだろうけど。お陰で、……弱みを見せられても獲って食べたりしませんのに。と、クラルは時々思う。もっと私を頼ってくださらないかしら、とも思う)だから、マリアの不満も分かる。
男からすれば、その意地の張りこそ自身を律する為にも必要なのだろうけど女からすれば寂しさを感じたり不安にもなる。
言い方は悪いがそれこそ、男って馬鹿ね。と思える所。
実際その話を聞いたクラルはその時、失礼ながらサニーを、……お馬鹿さん。と思った。
心配かけるかけたくないは憶測だからさておくとしても、彼の行動の裏にマリアへの気遣いがあるなら結果として、それで喧嘩を勃発させたら意味ない。本末転倒だ。
それにしても……。
記憶の中からグルメ馬車の為に特別に誂えられた人工芝のテラスの上へ。意識を戻したクラルはふと、気付く。
あの話を聞いてから確か一ヶ月経っている、気がする。一ヶ月…。考えて、空を仰ぐ。直ぐ真横にある壁のお陰でクラル達が居る場所には影がかかっていた。すっと伸びた客馬の壁。その奥には綿菓子雲(確か、時折上昇気流に乗って浮かび上がるエアリーシュガーがその時の回転力と太陽熱、上空の冷気で綿菓子になってそのまま空を漂うとか言う…本当に綿菓子の雲)がふわふわと風にのって流れて、更に奥には抜ける様な紺碧が上空に白い月を浮かばせている。
一ヶ月。
過ぎてしまえばあっという間だしサニーやマリアが感じる時間の尺度がどれ程の物なのか見当はつかないが、少なくともクラルからすれば一ヶ月をココと関わり無く過ごすのは苦痛を感じる時間だ。
マリアはいつの間にかクラルの横に移動して、クラルとは正反対に前のめりで柵に寄りかかっていた。頬杖を突いて眉間に皺を寄せている。
クラルは重心を右に預けて直ぐ隣、手摺が埋まっている壁に背中は柵に預けたまま寄りかかった。マリアが何を考えそして、サニーを今どう思っているのか、クラルにはちょっと見当がつかない。ただ脳裏にココの姿を思い出して掌中のモバイルを握る。
さわさわと、風が二人の間を流れて行く。さわさわさわ。綿菓子雲を見てしまったからだろうか。焦がし砂糖の言い匂いがする。
「決めたわ」
不意に、マリアが声を上げた。
「何を?」
クラルは聞き返しながら体制をマリアと同じようにした。
柵を抱え込む形で重心を預ける。マリアに顔を向ける。と、ちらりとクラルに眼を向けたマリアが少し言いにくそうにでも、言った。
「ココに、連絡して……いいわよ」
反射的に気持ちが華やいだ。
「マリア、」
「だって、あんた達の事だものね。私がどうこう言ったって結局、夜には連絡し合っちゃうんでしょ」
「マリア…」
一度目は声を弾ませて、でも二度目は肩を落としてクラルはマリアを呼んだ。
嫌味は無意識に口にしたものだったのか、マリアは急にはっとして体を起こし、少し焦った様子で捲し立てる。
「と、とにかく!あれよ!私がとやかく言っていい事じゃないって気付いたの!クラルがココに隠し事出来ないのは分かってるしお互い、ベタ惚れな癖に恋愛不器用だものね」
言って、マリアは思った。だからって私とサニーもそんなに器用じゃないわ…。クラルに気付かれて指摘される前に
「大体、」繋げる「旅先が重なるなんてきっとあんたの大好きな神様からの計らいなのよ。もっと仲良くしなさい。とか」
「マリア……」
もし、その啓示が真実ならマリア達は仲直りしなさい。との暗喩もあるのかも。と、クラルは思った。けれどマリアはまるでクラルに口を挟まれるのを拒むみたいに喋り続ける。
「折角の旅行を邪魔されるのは嫌だけど。私としては、あんたがそのままずうっとココのキャビンに寝泊まりするとか不埒な事をし続けなきゃいいわ」
「ふ、不埒って……」
「なによ」
「……せめて、不健全、って…」
しどろもどろに呟くクラルにマリアは、なにそれ。と溜息をこぼす。
「あんまり変わらないじゃない」
「……………」
言ったクラル自身、…その通りかも。と、思ってクラルは何も言えなくなった。と言うかこれはその、婉曲されているとしても暗に行為を示しているようで…昼の話題としては余り相応しくない。少し居たたまれない。
「でも、……本当に、いいの?」
おずおずと言った様子でクラルは聞いた。マリアの目の前で彼女は畏まっているけれど、その瞳を縁取る輪郭の端は僅かに紅潮している。
「良いわよ。愛する二人を引き裂くなんてそんな、非道な趣味は持っていないの」
「そうは言ってませんけど……」
「なによ。連絡したいんじゃなかったの?考え変えちゃうわよ」
「それはいやです」
きっぱりと返された言葉にマリアはつい、くすっと笑う。
「なら私の気が変わる前にさっさと連絡しなさいよ。どのみちグルメ馬車なんて社交三昧なんだから。そう言う場は、相手持ちならカップルが基本だものね。パートナーがいるなら一緒に過ごした方が、ウェルダンだわ」
クラルは暫くマリアを見つめていた。その時マリアは自身の失言に気付く。
――ちょっと待って私。じゃあマリアはサニーさんと仲直りなさるのね。って言われちゃうわ。て、別にいがみ合いたい訳じゃないけどなんか、なんか……
「マリア」
「な、なに?」
けれどクラルは、やおら柔らかく相好を崩し、
「ありがとう。だから私は、貴女が大好きよ」
そうして。嬉々とモバイルを操作し始めた。ココを想うその頬を、少女のようにあかく染めて。
「……私も、あんたくらい、素直になったら……可愛いげが有るのかしら」
呟きはでも小さすぎてクラルには届かなかった。
「え?」
「…何でもないわ」
マリアはただ複雑な心境のまま、海を眺めた。