翌日、街は久し振りに雨を退かせた。
「次の方、どうぞ」
いつもの時間、いつもの様に店を開けた僕はいつもの様に人を視て、いつもの様に外に向かって声をかけた。口コミで広まった僕の噂は、少しずつ僕の占い師としての人気をあげてくれていた。
入り口を覆う重いカーテンの切れ間から除く空は鈍色だった。それなのに、灰色というよりは白に近かったその色に目を細めてしまう程澄みきった青を思い出したことを、良く、覚えている。それは別に、
「失礼します」
それは別に、次に表れた人物に驚いてではないと思う。
「――クラル、ちゃん……」
左サイドに纏められた、黒い髪。くたびれかけのシューズ、足の形に沿ったジーンズ、Tシャツの襟刳りから覗く若々しい肌、瞳、笑顔。ふふふ、と。健康そうな声が笑う。
「はい。ココさん。お久しぶりです」
僕を見て、軽く、頭を下げる。
「やあ……これは、」
僕は何度か瞬きをしたのだろう。クラルはおかしそうにあらあらと笑った。
「そんなに、驚かなくてもよろしいじゃありませんか?」
「そうは言ってもまさか、君が来るとは思っていなかったんだ」
僕は正直に胸の内を明かした。
「占いを必要視するようなタイプには見えなかった」
「まあ」
快活屋が本当に、楽しそうに笑う。そして、口を開く。
「でも確かに、私の目的は占って頂く事ではありません」続けて「早速、見抜かれてしまいましたね」
僕は、白状しよう僕は、嬉しかった。
「取り敢えず座ってくれ。目的はどうあれ、立ち話もなんだろ?」
笑いっぱなしのクラルは素直に頷いて、席に腰掛けた。
僕はつい、お茶を入れよう。と、言いかけてでも、口を噤んだ。親しみを与え過ぎないが信条の僕の館には、ティーセット等おいていなかったんだ。少し、後悔した。
クラルはそんな僕に少しだけ首を傾げてみせたが、直ぐに「そうです。こちら、有り難う御座いました」本来の目的なのだろう、僕がいつかに貸した本をテーブルに置いた。感謝の言葉を添えて、そっと僕に向かって押す。僕は、クラルに訊いた。
「まさか、これを渡す為にわざわざ並んだのかい?」
クラルの返答は、イエスだった。
「だってココさん、最近バルにいらっしゃらなかったでしょう?」
肩を竦ませて、非難の真似事をした。
「お加減でも崩されてしまったのかしらと、心配いたしました」
僕は、苦笑しかえす事しか出来なかった。クラルは、そんな僕を追撃した。
「でも――……お元気そうで、安心しました」
柔らかい声で、安堵の顔で、微笑った。僕は感情が表に出ない様必死で取り繕った。
「ありがとう」
くすぐったくて、照れ臭かった。
その日、僕等は久々に会話に花を咲かせた。
あんなに顔を合わせ辛いと思っていたのに、いざ対面するとそんな気持ちはどこへやら。僕等はただ笑い合っていた。クラルは、実は昨夜僕を見かけた事、追い掛けようとしたけど直ぐに見失ってしまった事を皮切りに、僕が足を運ばなかった日のバルの様子、貸し与えた書物の感想、そして僕の店の盛況さに驚いていた。待ち時間大変だったろう?その問いにはしかし、彼女は首を横に振った。貸し付けた本のお陰で退屈は無かったと言った。
時折、あの優しい笑いを差し込せて、空気を温かく震わせた。
不思議で、健やかな時間だった。
僕の言葉でクラルが笑う。クラルの言葉で僕も、声を出して笑う。会話を重ねる度張りつめていた緊張が解けて行く様だった。僕が今日迄感じていた暗鬱等じつは些事だったのではないかとすら思うくらいに、自然と、力が抜けた。
だからだと思う。
「でも、今日きちんとお渡し出来て良かった」
「何故だい?」
「私は明日、こちらを立ちます」
「ああ――……」
僕はすんなりと、この言葉を受け止めた。
「早いな。もう、一ヶ月か」
「はい。もう、一ヶ月経ってしまいました」
クラルは困った様に笑い、
「月日が経つのは、早いものです」
「……十代の若者の言葉とは思えないな」
「あら、そうでしたか?」
「ああ。その言葉は酸いも甘いも味わった、老人にこそ相応しいよ」
「老人、ですか」
「老人。だね。まだ学校と言う定められた世界しか経験のない、ティーンの君には不釣り合いだな」
「……ココさんは時々、」
「ん?」
じっと、真っ直ぐに、僕を見て言った。
「毒を吐かれますね」
僕は、少し考えて、
「当然さ。僕は実は――」
答えた。
「……毒人間、なんだ」
「はい?」
クラルは突拍子も無い事を言われたとばかりに聞き返して来た。
僕は、口元だけで、薄く笑った。