「今年のバースデーには、何が欲しい?」

 一ヶ月前の朝。キッチンに立つクラルに聞いたら、彼女はぱちくりとした目で振り向いたまま僕と、僕の後ろにあるカレンダーとを見比べて口を開いた。

「もう、一年経ちました?」
「うん。一年経ったんだよ」

 僕がそう答えると、あらま。と、言わん顔で笑う。

「年々、時が経つのが早くなっていく気がします」
「ジャネーの法則だね」
「、何ですか?それ」
「そう言う感覚を心理学的に説明した法則でフランスの…止めよう。今は講釈の時間じゃない」
「あら。お聞きしたのに」
「後でね。で、何が良い?」

 クラルは「…そうですね」なんて考えながら、身に付けていたエプロンを外してシンク脇のフックに掛けた。
 裾に付いた水玉模様が可愛いAラインのエプロンは、去年のバースデイプレゼントだ。強請られた訳では無い。彼女が雑誌を捲っていた時、素敵。と、手を止めて呟いたのを覚えていて、それを贈った。僕も着て欲しかったし、何より良く似合うだろうなと思った。
 こんな愛らしいエプロンを身に着けて、僕の為に腕を振るって欲しいと言った願望も切っ掛けでは有ったが…実際、良く似合っている。初めて身に着けて料理をしてくれた日には僕はきっと一生仙人には成れないなと、成る気なんて更々無かった就職先を諦めた。

 それにしたってクラルは物持ちの良い女性だから、それは一年経つと言うのに全く時間を感じさせない。使い馴染んだ趣きはあるが、定期的に手洗いされ清潔さを保っているエプロンは、僕の気持ち毎大切にされている様な気がした。

「何でも良いよ。」

 僕は読んでいた新聞を下げてクラルの姿を追う。

「グルメ界の食材が食べたいとかでも」
「、それは、流石に…」
「興味ない?」
「無い事もありません。けど、お強請りする程魅力的でもありません」

 クラルは苦笑して、出来立てのスパニッシュオムレツを乗せたワンプレートを両手にそれぞれ一枚ずつ、持って来た。僕は広げていた新聞を畳んで席を立ちそのひとつをお礼とともに受け取った。プレートにはオムレツの他に、ほうれん草のココットと、フレンチトーストが乗っていた。昨日、僕が常連のお客さんから山程頂いた卵で作られた朝ご飯。彼女は、暫く卵料理ばかりになりますね。なんて笑った。その言葉通りだった。

「そうか…」

 僕は彼女の言葉に相槌を打って畳んだ新聞の横にプレートを置く。

「困ったな。僕は君に何かしてあげたいのに」

 クラルが席に着いたのを確認し、冷蔵庫からミルクセーキの入った硝子ポットを取り出す。

「君の我が儘が聞きたい」

 コップに注いでコースターの上にそれを置いたら、クラルは嬉しそうな困り顔で、僕への礼とくすくす笑いを零してそれから僕を真っ直ぐに見て言った。

「では…当日は一日、頂けますか?」
「僕の、一日?」
「はい。勿論」

 席に着いた僕を見て、クラルは力強く頷く。

「ココさんと二人で、一日をのんびり過ごしたいです」

 それが、私の我が儘…です。と、彼女は肩を一瞬だけ竦ませて、照れくさそうに笑った。
僕は、去年とそっくりそのまま同じ言葉に、苦笑した。

「分かった。それならクラルも、当日は有給入れておいてくれよ?仕えるべきお姫様の不在は嫌だからね」

 クラルはyesと頷いてくれた声でくすくすと、笑いながら言った。

「ココさんも、去年と同じお言葉」

 僕はその清潔な声と、朝の陽気に相応しい健康的な笑顔を見て、決心を固めた。やっぱり僕は、この子とずっと、一緒に居たい。



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