ラララ | ナノ

コールミー・コールミー-1


『へえ、そんな事が有ったんだ』
「はい。もう、驚きました」
『だろうね。僕もその場に居たら驚くかも』


 その場合だと驚きのし合に成るかも。と、クラルは思った。きっとその時に冷静で居られるのはココくらいだろう。お互い驚きを隠せないで居る三人を眼下に、一人だけ飄々としているのだ。軽い調子で挨拶だってするかもしれない。あの、好感触の笑顔で、やあ、初めまして。こんばんは。とにっこり笑うのだ。考えたら、クラルは容易く想像出来てしまった。


『クラル?』
「、はい。何でしょう?」
『何を想像したんだい?』


 含み笑いでココが尋ねてくる。驚いて聞き返すと、『今、笑ってた』少し楽しそうな声で指摘された。クラルにその自覚はなかったから少し気恥ずかしさを感じる。つい、口を尖らせた。


「…秘密です」
『秘密?』
「はい。教えられません」


 言い切ってクラルは、忍び笑いを溢した。

 あの一件から自分はココに対して以前より強くなれた気がすると、クラルは思う。あの日、あの限りなく無菌の、暗い病室の一件から。
 思い出すと少し、感慨深くなるやら、自分の大胆さに改めて驚くやら。

 お陰で今では、クラルの方がココに惚れ込んでいる。と言われても素直に認めてしまえるかもしれない。(最も、人前には晒さないだけで、元々ココと同じくらいにクラルもココに惚れ込んではいたけれど。)

 けれど実際、クラルは強く思っていた。

 この人が好き。以前より、ずっと。もっと。
 ココの声や仕草全てに、胸が忙しなくなって、身体は火照って、幸福感にくすぐったくなってしまう。

 モバイルの向こうで少し大袈裟にココが溜息を吐いても、つい、微笑んでしまえる。


『……クラルは僕に秘密を作る気かい?酷いな。今日は涙で枕を濡らしてしまいそうだ』


 ココの言葉は調子こそ不機嫌だが、声色は楽しそうに、クラルをからかった。


『君が次に来た時はきっと寝室がじめっとしているな』
「そんな事……」
『枕には茸が生えているかも』


 思わず想像して、その有り得なさにクラルは、もう、と笑う。


『笑ったね』
「だって、」
『だって、何?』
「ココさんたら、おかしな事を仰るんですもの」
『そうかな?至極真っ当な事だと思うけど。恋人の秘密を放置する事は、存続の危機に成りかねないからね』
「そんな……」


 それは大袈裟な物言いだと、呆れて肩を落としそうになったクラルはっとした。そう。秘密が、では無いけれど、少なくとも’隠し事をしている’は、確かに存続の危機に成った。思わず血の気が引く。けれど、


『大袈裟じゃないよ。実際、僕の店にはそう言って関係の修復を願う客がかなり訪れるから』


 当の本人であった筈のココに、軽快な調子ながらもはっきりそう言い切られるともう、クラルは苦笑するしか無かった。
 どうも、ココにしては珍しく自身の失言に気付いていないらしい。


「……そうなのですね」


 穏やかに、クラルは言った。欧米人が好む、本当?も、東洋人が好む、嘘お!のどちらも、きっと今は相応しく無いと、経験から培われた直感で感じ取った。
 そうですね。とも言わないのは、ココに気付かせない為。

 ココが言っている事に、嘘は無いと思う。不特定多数と言っても占い師を恋愛の道標として頼る人のパターンは限られているから、それを鑑みれば今の統計論には偏りが有るだろうが、そんな事は万人にも言える事。
 人は幾つに成っても自分の経験以上の視野を持てなければ、それ以上の憶測も会話も出来ない。言葉が嘘でない限りそれは常に、個人の真実だ。

 そもそも気付かれて嬉しい事でもない。そうだよ。と、少し笑いを混ぜたココの声に彼の姿を想像しながらそっと、指に嵌めたリングへと視線を落とす。


「でも、私達は大丈夫でしょう?」


 シルバーの真ん中にシャンパンゴールドのラインが入ったシンプルな指輪。ラインの中に永遠を誓った言葉が刻まれているそれは、つい先日届いたばかりの、ココとペアのリングだ。
 当然ココの指にも同じデザインの同じ文字を刻んだ、色違いの物が納まっている。
 男性用はラインカラーがシャンパンゴールドでは無く、はっきりとしたブラックでは有るけれど。
 ココの瞳と同じ色をした濃い黒色は、彼が好きだと言ってくれるクラルの髪の色でもある。色違いなんて些細な事。


『……ああ。勿論だ』


 幸せを噛み締める時を置いて吐き出され頷きに、クラルは相好を崩した。たっぷりとして濃い、甘い声の囁きに胸の根っこの辺りがむずむずとして来てしまう。


「はい」


 吐息笑いを零し、親指の先でリングの色がついている部分を撫でた。


『それに、』


 不意に、勿体ぶった口調を作ってココが言った。


『クラルが秘密を公開してくれたら、それはもっと確固としたものになる』
「、ココさん」


 思わずクラルは、もう。と吹き出した。


『それ所か僕等の関係は良好にもなるよ』


 確りとした口調ながらもお遊びの様に飄々と、カジュアルさを滲ませているが、ココは中々に諦めが悪いらしい。
 クラルは、本当に大した事ではありませんよ。と言って、ココはそれに、そう。と答えたけれど、後に言葉を続かせそうで続かせない、絶妙な間を持ち始めたものだから終に、クラルは降伏してしまった。

 数時間前の出来事にココが居たらと仮定して想像した情景を。そして、ココならきっと、普段通りの態度で挨拶をしそうだと言う事を。
 ココの威圧的でない無言の力についくすくすと笑い溢しながら告げる。

 聞き終えたココが、そんな事を?と、少し肩すかしだと言わんばかりに尋ねて来たからクラルは自然に、


「だから、大した事では有りませんよ。と申し上げたでしょう?」
『大小はともかく……参ったな』


 スピーカーの向こうで、ココがははっと笑う。クラルは少し、首を傾げた。


「ココさん?」


 ココの笑う癖をクラルは大凡把握している。嬉しい時、困った時、呆れている時、幸せな時。その時々に零れる笑いの吐息を、きっとココが自覚していない癖までもう知っている。その、彼の為に作り上げたクラルの辞書からしたらココが今溢した短い笑い声は、余りの陳腐さに呆れたと言うよりは寧ろ、 


『ん?……いや、なんか、いいなあと思ってさ』


 そう、この声色は、嬉しい。と、幸せ。だ。


「何が、ですか…?」


 問い返せばココは、穏やかに言う。


『規則違反は問題だし、人に見つかるのも不味いだろうが……クラルの部屋、か。』


 クラルは、喉を詰まらせた。勿体ぶった様にココはわざと間を含ませる。それが焦れったい。


『……行ってみたいな。クラルの部屋で、クラルが淹れてくれた紅茶を飲みたい』


 そんな調子で、そんな発言は、狡い。


『その彼が羨ましいよ』
「……あの方が訪れたのは、お隣の部屋ですよ?」


 声が裏返りそうに成るのをクラルは耐えた。だって、不味い。


『そうじゃない。彼女の部屋に行ったと言うのがね。羨ましいよ。僕の恋人はその辺りは真面目な子だからさ』
「そんな、事は……」
『何?』


 不味い。クラルは思った。これ以上口を動かすのは不味い。
 でも自制心がブレーキを押す前に、女心がアクセルを踏んだ。


『クラル、』
「私だって本当はお隣さんみたいにしてみたいです」


 スピーカーの向こうでココが息を飲む気配を寄越す。


「たまにはこちらで、ご一緒したいと…思ってます」


 雰囲気任せに言ってしまったと言う思いが語尾を弱々しくさせたが、ココにはきちんと最後迄届いていた。


『クラル……』


 甘い沈黙が、スピーカーから訪れる。言ってしまった。どうしましょう。クラルは五月蝿いくらいの鼓動を掌で確かめた。服を握り込む。思うに留めるつもりだったのに、言ってしまった。どうしましょう。と、下唇を噛むクラルの周りに、例えようの無い空気が訪れた。
 円を描く様にくるくると、甘美な締め付けを持った繭を作る甘い空気。
 心臓を忙しなく、そして呼吸を不十分にさせて体温を上昇させる、繭だ。きっと、色はピンク色の繭。

 その中でクラルは、何も言えなかった。
 ただ、静かに口を瞑る。その向こう側を流れる空気の気配をも感じ取るくらいの中で、ココの出方を伺う。


『本格的に参ったな…』


 殆ど独り言の様に、ココが呟く。たっぷりとした色を含ませて。


『……本気に、する』


 あ。
 耳元で谺する低い声に、クラルは胸を詰まらせて、服の上から強く強く鼓動を握り混む。

 どうしよう。今直ぐ、彼に会いたい。






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