ラララ | ナノ

センチメンター・ガール-1


 クラルは叫び出しそうになった。
 身体が強張り、腹の奥から声が悲鳴が競り上がって来る。それが声帯を震わせる感覚が全身の産毛を逆立て、きゃ、の後に続く高音が飛び出しかけたその時、手で素早く口を塞がれた。

 この間、もしかしたら一秒も経っていないのでは無いだろうか。
 気付くと動きの俊敏さに感心してしまう。


「待って、クラル、待って!」


 けれど強引に悲鳴を押さえつけられれば、だって。と、今直ぐのその手をひっぺ剥がして口を尖らせたくなる。何なさっているのですか!?とも叫びたい。なのに塞がれてしまった口ではそう出来ない不満が、クラルの眉根に皺と成って刻まれた。

 一応、塞がれた口の中でんーんー!と言ってみる事で伝えたけど。


「ちょ!」


 したら次は両手で頭を挟む様に強く手を押し付けられた。…苦しい。


「言いたい事があるのは分かる。分かるよでも、見過ごしてよ。お願い!」


 語尾を強めながらも小さな声で、クラルにそう懇願したのはお隣の女性だった。
 彼女の後ろには気不味そうに苦笑いをする、男性が居た。









「女性寮は、男性禁制では有りませんでしたか?」


 騒がない、との約束に頷いて漸く解放されたクラルはそのまま連れ込まれた彼女の部屋で二人を言及した。
 約束した手前声を落としたが、女性と、その女性の向こうで居心地悪そうに頬を掻く人物を頭の天辺から爪先迄遠慮無く見る。

 男性だ。
 栗色の短い髪、淡いブルーの目。それと徴兵経験が有るのかもしれない。Tシャツとジーンズを身に付けた身体から伺える肩は張り、腰は締って、クラルの恋人程ではないが筋肉質で逞しい部類の、やっぱりどう見ても男性。

 異性だ。


「…どうして男の方が此処にいらっしゃるの?」


 言って、訳も無くどきどきした。

 第一ビオトープ。通称グルメ研究所、若しくはグルメガーデン。
 数多の名称が有るのはIGOが所有するグルメ研究施設の中でも随一の規模を誇る故である。当然此処が研究施設として機能している以上、円滑に運営させる為に勤務している人が居る。
 それは研究員のみならず、各国の教育機関に向けた見学ツアー用一般公開区域や富豪層限定のコロシアム観戦と言った、大衆に向けての慈善や娯楽施設のクルーに事務員、経理担当エトセトラ。その為に全8つ在るビオトープの中で最も特に多くの人員を抱えて居る。

 けれど周囲360度を海で囲まれているこの島は通いには些か不便だった。

 だから島内には、研究所以外にもう一つ、ある施設が併設された。

 つまり、所員寮。

 勿論只の寮では無い。娯楽の少ない島内でも彼等が快適に生活を送れる様、地下の共有スペースにはエリア毎に様々な施設が備わっている。

 サロンであるセントラルエリアを中心に、東に国際規模の書庫率を誇るイーストエリア、西には語学や料理に社交ダンス等のカルチャースクールが開催されるウエストエリア、巨大なコートを屋外に併設したスポーツ施設のサウスエリアにダーツやビリアードと言った大衆娯楽が集まったノースエリア。
 無いと言ったら衣服や雑貨と言ったショップくらいと言っても過言でない程に、充実した居住区だった。(クラルは寮内見学の時に映画館が無い。と、意気消沈したが、いざ割り振られた部屋へ入居すると備え付けのテレビが優秀で、全タイトルが破格の値段でネットレンタル出来る仕様に成っていて、思わず感動した。と同時に、是は…私、絶対お休みの時に引き蘢る。と、確信したクラルは映画は仕事終わりの数時間に留め、休日は定期的にジムに通う様にしていたけれど)

 しかし是だけ充実しているにも関わらず、所員達が不満を口にする事が有った。

 それは、女性寮と男性寮は明確に区別されている事と、どちらも男性禁制、女性禁制だと言う事。

 流石に恋に恋したいティーンエイジャーが揃っている訳では無いし、どちらかと言えば研究職なんて色恋には興味の無い論理的で合理主義の大人か、コミュニケーションが不得手な成人が多いけれどそれでも、人は多種多様だ。妙齢の男女が揃っていながら全く何も無い訳がない。

 それ故の不満だった。
 お陰で寮生活者は恋人が出来ても中々二人きりに成れないのだ。

 一応共用スペースに個室と成る空間が有るには有る。が、犯罪抑止の為に各部屋に防犯カメラが備わっている。二人きりでいちゃいちゃ出来ても、それ以上を望むと警備に筒抜けだ。だからと言ってお互いの部屋には規則上行けない。そう言う事に成りたいならわざわざ休みを合わせて島の外へ行かなければ成らない。不便ったら無い。
 良く、サロンのカフェで会う恋人持ちの所員が漏らしていた愚痴だけによく覚えていた。


 それなのに…これは、どう言う事かしら。クラルは改めて眉間に皺を寄せた。
 お隣さんの部屋の玄関で、目の前に立つ男女を訝しむ。

 不可解な光景だ。此処は男性禁制の女性寮で、サロンからにしても入館が難しい筈なのに今、この場に男性が居る。
 クラルに睨まれて気不味そうに半笑いの男性…何処かで見たと思ったら、同期の男性所員が。……確か彼女と同じ、生命科学の研究グループだった気がする。

 クラルはただ居ないと言うか居てはいけない筈の人が居るこの光景に困惑した。
 どうして彼がこの場に居るのか追及したいが、クラルも成人だし、恋人がいる。この独自の空気は読め無くも無い。


「お二人は、その…やっぱり……」


 寮に男性が、しかも目の前の一室から出て来たとなれば当然、理由なんて一つしかない。


「お付き合い…してらっしゃるの?」


 心臓がとてもドキドキした。

 目の前の二人はその言葉に一瞬だけ姿勢を正し互いに目配せをしてそして…はにかんだ様子で苦笑いをした。クラルは思った。…分かり易いわ。うん、そう。と頷かれるより真実味が有る。


 寮体制については不満が出ている。けれど、それは自由権の侵害だ。と、大規模なストライキへ至る理由に成らないのは、少なくとも女性側が企業としては全うな対応であると理解しているからだ。
 権利や社会的地位が確立されて居るとは言え、女性は男性に比べたら弱い。パワーハラスメントやセクシャルハラスメント。多様な人種を抱える事で起きる差別意識の確執。現代の病。
 それが島と言う隔絶された環境で起こらない様に。大企業だからこその気遣い。予め対応策を取るのは当然だ。

 それに寮体制以外はハイレベルの福利厚生が備わっているのだから、適切な処置である。
 何より企業体裁、道徳、ルール。どれも予防線が元から張られているなら、それを破った時に償うのは破った本人だ。与えられた自由以上の環境を得たいなら、その時に起こった問題を対処するのは当人だ。

 最もそんな理屈。今のクラルの頭には無い。ただクラルは混乱して、感動していた。

 お隣さんはクラルに簡単な馴れ初めを話した。何時からどう言う理由で付き合い始めたとか、どうやって連れてきたか、云々。
 向こうが照れているからだろう。何だかクラル自身も、訳も無く照れた。今迄人の恋愛事にはトンと興味を抱く事等無かったけれど、自分がその渦中に居るからか、凄く共感してしまうし、段々感情呼応だってし始める。
 特に、お互い忙しくて中々二人きりで会えないとか。

 一度、自分の部屋に彼を招いて、二人きりに成りたかった。

 とか。


「、分かります!凄く!」


 自分のパーソナルスペースは自立心を育てる為に無くては成らない空間だ。炊事洗濯掃除に、レイアウト。全てを自分で成し遂げる。それこそ自由権を存分に行使出来る。
 だからこそ、そうして誂えた其の特別な空間に特別な人を呼んでみたい。私の空間に彼が居る。とか、心理学的に何とかと名前がつい居てそれで得られる効果がどうこうとか有ったけれど、小難しい事は良い。ただ、女心だ。トレンディドラマの中で良く有る、デートの最後に交わされる台詞。

『……ちょっと、珈琲でも飲んで行かない?』

 一度は言ってみたい。その後の流れはどうでも良いし、クラルは珈琲が苦手だからそうなったら紅茶しか出せないけれどそれは些細な問題ですらないだろう。
 ちょっと珈琲。ちょっと……なんて言葉が乗っかっているけれど、この気を許した相手にこそ使えるカジュアルさ。寮生活では出来ないからこその憧れ。特に、クラルはIGOに入る迄、自分一人だけの住居を持った事が無いから。特に。


「社会に携わる者として規則を破るのは頂けませんがでも、女心ですよね!」
「そう!分かってくれる!?て、そっかクラルって確か外に彼氏居るんだっけ!」


 後はもう、女性特有の共感意識。外の彼氏じゃ島外デートしかないから大変でしょう。とか、勤務時間も変動したら数ヶ月会えないもんね。とか。男そっちのけで手と手を取り合ってクラルはお隣さんとのお喋りに花を咲かせた。
 それまでただ顔を合わせれば挨拶や世間話しかしなかったお隣さんがクラルはこの時初めて近くに感じた。流石に彼氏の帰宅の手伝い迄は出来なかったが、とてもドキドキした。







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