ラララ | ナノ

ラララ


『こんな体の自分を受け入れてくれそうだから、彼女を好きになった訳じゃない』


 クラルに初めて自分を打ち明ける決心した時、ココはサニーに、そう呟いた。





 彼女にはいつも笑っていて欲しい。幸せに、その顔を綻ばせていて欲しい。
 ココはクラルと会う度にそして、触れる度にいつもそのシンプルな願いばかりを頭に籠らせる。そうしてその願いで、ココ自身もクラルにつられて笑う。

 掌ですっぽりと包める小さな手(「ココさんの掌が大き過ぎるんですよ」)ココが手に力を込めたら簡単に折れてしまいそうに華奢な、でも柔らかい腰(「怖い事を仰らないで下さいな」)庇護欲をくすぐられる、薄い肩。抱き締めるとクラルは苦しいですよ、と忍び笑いで身を捩る。その朗らかにココもくすくす笑える。

 笑っていて欲しいと思う。
 幸せに、したいと思う。
 もう幸せ過ぎてお腹も胸も一杯ですと頬を染めて笑う程に。幸せに……を、願うならそれなら自分は離れた方が良いだろうとも、ココは思っているし、分かっている。

 愛を囁いて、キスをして、肌を合わせて抱き合い、額を擦り寄せやがて一緒に眠り、同じ梢や小鳥の声で目覚め合うその幸福。それを与える役割を自らは辞退し、及び知らない、誰か第三者に席を譲るのが良いと。


 分かっている。


 なのにココはクラルと会う度に自分に向かい嬉しそうに頬を染めて(「ココさん」)あの、すっきりとした声で名前を呼ばれる度に、(「お姿が見えたので、追い掛けてしまいました」)小さく息を切らした小走りで駆け寄られる度に。そして、一緒に料理をする時や大掃除の時、何気ない日常の手助けの時、頼りにされていると実感する度に(「ありがとうございます」)顔を綻ばせる時に、とても身勝手で都合の良い願望に取り憑かれた。

 ――この子は、僕が幸せにしたい。

 毒人間で有る事も、ともすれば取り返しのつかない傷を付けてしまう立場で有る事も十二分に理解しているのに。

 ――クラルを幸せに出来るのは、僕だけだ。他人じゃきっと、無理だ。

 クラルがココに向かって見せるその幸せそうな笑顔にそして、始まりの想いココは、本来の自分を忘れかけた。受け入れてくれそうな女性だから好きに成ったんじゃない。(それで恋に落ちていたらキリがない。ココの容姿、立ち振舞いや性格から、毒を持っていても構わない、と。言ってくれた女性は過去に幾人もいた)好きになったんだ。自分から、受け入れて欲しいと、思った。

『前が声出して笑うとこ、初めて見たし』

 昔なじみのサニーやその妹のリンに、

『ココといる時のクラル、めっちゃ幸せそうだし。いいなー』

 そう言われる度にそして、一番はクラルに、

『本当に、仕様の無い位に……愛しい方』

 微笑まれる度に、忘れてはいけない事を蔑ろにして行った。


 だから、ココは思った。罰が当たった、と。



 一般人からしたら暗い部屋で、けれどココからしたら昼間と変わり無く明るい部屋で、ココはうろんな瞳でただ思った。クラルの部屋へ行く凡そ三ヶ月前。座りの良いソファに腰を落とし膝の上で指を組んで、じっと、見慣れたグリーンのラグマットを見つめる。
 天井からぶら下がったペンダントライト、チェスト脇に置いたフロアライト、食卓に置かれたテーブルライト、スタンドライト、センサーライト。照明と呼べる物は全て、ココの手で壊されていた。一つは粉々に砕け、一つは電球の鋭い破片を月明かりにぎらつかせひとつは、まるで硫酸をぶっかけられた様に、焼け爛れ、溶けていた。全てもう、不要品だと言わんばかりに。
 事実それはその時、その通りだった。もう、要らない。必要無い。だって紫外線をも可視するココ瞳は、そもそも灯りは不要だ。元は無かった設備だ。無かったものが無くなった所で以前に戻るだけ。困らない。必要無い。もう、この家に灯りを必要とする人は、来ない。蝋燭も全部捨ててしまおう。

 そうだ、廊下に置いている、いつかに採掘して来た、あの鉱石も。

 く、くくっ…。不意に、ココの口から息の詰まった笑いが漏れた。

 く、くくっ、くくく。

 落とした肩を震わせて組んだ指を、皮膚に爪が食い込まんばかりに握る。


「罰が当たったんだ……」


 瞳孔を開かせた、瞳を歪ませたまま、ココは歪に呟く。
 罰が当たったんだ。自分の本分を忘れて人並みの幸せを手に入れようとした愚かな存在に対して、所謂神様と渾名される何かが、お前のそれは罪悪なのだと、いつかに憧れた情景を手に入れるには身分不相応だと。それを効果的に見せ付けたに過ぎない。


「……馬鹿馬鹿しい」


 生まれ出た暗鬱をけれどココは一笑に伏した。神様だって?馬鹿げている。心中で毒づく。
 神様なんてそんな、非科学的なものに左右されるよな人生観なんてココは持っていなかった。科学者でも信仰を持つクラルの手前口にはしないが、神や仏なんて非合理的な存在をココは信じた事等無い。

 からこそ、分かっていた。

 罪は恋情では無く、悋気の憤りだと。そら、そんなもの。誰でも持って、誰でも経験するものだと。つまらない感情で彼女を傷付けた、それこそが罪悪なんであって、恋そのものが罪じゃない。あの罰は、二人の関係を粛清する目的などない。
 狂いかける寸前の正気が、ココに語る。しかし、

 ――それなら尚更、悪いのは僕だ。

 ココは聞き分けない。
 それなら尚更、嫉妬なんて馬鹿な感情を抱いて、彼女を、クラルを信じきれなくて、力も体格の差も顧みずにまるでB級映画の馬鹿よろしくに彼女に当たり散らした。罰と言うならきっとこの、未だ自分自身を割り切れない未熟が招いた事だ。
 ココは思い返せば分かっていた事だった。あの時、あの状態で、クラルの傍に行ったらどうなるか。理性を見失ったらどうなるか。

 ――死なせかけた。殺しかけた。僕が、彼女を。あんな苦しそうな声初めて聞いた。辛そうな呼吸音。初めて聞いた。死の崖っぷちに追い込まれた人間の、あの、嫌な色を。あんなクラルを初めて見た。クラルの、クラルの。僕の、大切な、女性の……

 死なせかけたんだ。ココは堅く目を瞑った。
 タール色の重い感情がやがて胃からせり上がる。真実だけを炙り出して、喉を焼く。


「……殺し、かけた」


奥歯で唇を噛む。

 長い足が目の前のテーブールを荒々しく蹴り上げた。裸足の指先が木材に擦れる。血が出たかもしれない。でも、ココは気にも留めない。自重が出来なかった毒人間の足がどうなろうと構わない。オーク材の机がラグを離れて宙に浮く。空気を叩きけたたましく壁に当たり、近くにあった花瓶を床に落として割れる。コロンブスのたまごの様になった底から水が冷たい石畳の隙間に溜り、枯れかけた花が倒れた拍子に飛び出して沈む。
 荒い呼吸を口から溢してココは、ぼんやりと眺める。ふ、と音が止む。

 ――あ、ああ。やっちまった。
 テーブルは天板に亀裂が入っていた。花瓶はもう、がらくたに成っていた。

 ――掃除、面倒だな。つーかあの花瓶、クラルが綺麗って目輝かせてたやつだ。あー悲しむだろう、

 一瞬の正気が招いた思考にまたココは苛立ちを昇らせた。ばかだばかだ。下唇を噛み込んだまま今度は、こめかみから流れ出た雫で、ラグを焼いた。


 けれど一番馬鹿なのはそんなにしても、クラルの品(衣服、スキンケア用品、バブーシュ、小物、食器)一つすら壊せない自分の女々しさで、買い替えの聞く照明や机なんかで満足している自分の惨めったらしさだと理解していた。


「まあ、どの道。……もう、関係ないか………」


 関係ない。クラルの物だろうが気に入りだろうが関係ない。あれは、どうせ物だ。

 ココは嘲り笑う。僕等はもう、終わりなんだ。



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