ラララ | ナノ

ハンド・トゥ・ハンド-1


 "消命"とは当てられた字の如く。
 美食屋としてココが得意とする、スキルの一つだ。


「しょう、めい…?」


 クラルは音としては聞き慣れている言葉を、けれどきっと、自分の知っているどの単語の意味とは違うと何となく気付いて、目をぱちくりさせて反芻した。
 照明でも証明とも違う事は察したが、それ以外に適切な単語が浮かばない。浮かばない限り聞き返すしか無い。


「そう。消命。字はね、消える。に、命って書くんだ」


 ココはそう言って、指先で空中に文字を書く。消。と、命。


「消命…、消える、命……」


 素直に文字を手繰り口に出したクラルだったけれど物々しい名前には一瞬で、顔から血の気が引かせた。消える命。命を、消す……ココさん、何を言い出すのかしら。
 さっと青くなったクラルに、ああきっと、そのまんま言葉通りの想像をしているな。と気付いたココはクラルに向かってそっと苦笑する。


「勘違いさせたみたいだが…別に命をそのまま消してしまうとか、消す。とかじゃないからね?」


 え?と、声を漏らしたクラルの顔が、あからさまにほっとした表情を覗かせる。


「厳密に言えば、気配さ。"消命"とはハントの時、獲物に自分の気配を悟られない様に近付く技の事なんだ」


 何処か上機嫌で説明をしてくれたココの言葉に頷きながら、「そんな芸当があるのですね」と納得半分、頭の片隅でクラルはそっと思った。

 ――マンサム所長もそうですけど、男の方って、どうして技名を付けるのがお好きなのかしら。

 少なくともクラルは同性のリンから、技名らしい技名を聞いた事が無い。フレグランスバズーカも、バトルフレグランスもスーパーリラクゼーションも、技と言うより武器や香水そのものの名前だった。


「芸当って……」


 技、と言って欲しかったなあ。とココはクラルの発言に苦笑いをしつつ、クラルに格闘のロマンを解いても無駄なのかな。とも思いながらソファにもたれ掛かる。それからクラルを腕に抱いたまま、自身の計画を話し出した。あの電話の後から考え付いた事を。
 邂逅して凡そ2時間後の9時5分。食堂付近は勿論、フロアの何処にも人の気配は感じられなくなっていた。









「無理です」


 全てを聞き終えた途端、ココの一句一句に相槌を打っていたクラルは、しかしきっぱりと断言した。
 ココは呆気に取られてやがて、如何にも不満そうに眉間に皺を寄せる。


「…どうして?」
「どうしてって…寧ろそれで、どうしてそんなに自信がお有りなのかお聞きしたいです」
「良案だろ」


 次はココがきっぱりと言い切った。良案だろ。だって、少なくとも一般人は"消命状態"のココを認識出来ない。それを今、ココは説明した。良い案だ。怪訝な顔のまま見上げてくるクラルを見下ろす心の中で、自分の為に確認して言い直した。


「これ以上の良策はないと思うがね」


 クラルはココのあまりの自信には、目を丸くせざる得なかった。

 ココが提案した計画はシンプルなものだった。それは、

"消命"を最大限に使って気配を限り無く薄くし、クラルと一緒にクラルの部屋へ行くと言うもの。

 ただこの時決してクラルはココと会話しようとしない事、ココを呼ばない事、もし見失ったと思っても探さない事。(つまり周囲にココの気配を察する手懸かりになる事をしない事)それさえを守れば良い。との制約があるけれどそれさえすれば誰にも認識されずクラルの部屋に忍び込める。と、ココは言った。簡単だろ?君は普段通りで良いんだからとも言って、そして笑う。

 けれどそれに、クラルは納得出来なかった。

 クラルは眉を潜めてココを見上げた。ココの膝の上で、ココに体を抱え込まれたままで。


「ココさん、」


 重く、口を開く。


「認識出来ない、と仰っておりましたがココさんが説明して下さった"消命"とはそもそも、存在感を希薄にするという……技でしょう?」


 クラルは考えながら口を開く。


「それだけで寮へ…誰にも見つからずに入れるとは、ココさんには申し訳ありませんが…思えません」


 クラルはじっと、ココを見つめた。観察、している様な目に成っていると自分でも分かる。だって、そうしているから。
 遠慮の無い彼女の目線にココは些か乱暴に両手で髪を掻き上げ、口許を歪める。やっぱり、そこを突いてくるか……。髪を両手に絡ませたままソファに背を預け、真っ向からクラルの視線を受け止める。

 ココは、誰が見ても分かる程、容姿端麗な青年だ。

 先ず目に入るのは涼しげな大きな目。
 次にきりりとした眉。すらりと通った鼻筋、きめ細かい肌に適度に厚い唇。今はクラルに対して眉を上げ、さてどう説明しょうか。との、思案から口元を歪めているけれど、その表情さえ様になる程整っている。
 何よりココは、クラルが膝の上に座っていれば確かに距離は縮まるが、それでも目線を上げる必要がある長身と加えて、首周りががっしりと太くなる程、そして大胸筋が張りつめて腹筋だって理想的なシックスパックに盛り上がっているくらいに、筋骨隆々の男だ。
 立てば人の頭は易々と越えてしまうしずっしりとした重さが伺える逞しい体躯の質量や、そしてその精悍さも相俟って、ココが望まなくても人は必ず振り返る。それはクラル自身だってこの目で見ているし、実感していた。

 デートの時、買い物の時、そして、IGO迄迎えに来てくれる時。もちろんココが営んでいる占い業なんてその最もたるや。お客の大半は女性、それも凄い嗅覚を持ってココとの関係を望んでいる人達ばかりだ。
 すっかり関係を修復した2ヶ月前のココ曰く、『どこで聞いたのか、僕とクラルが別れたって情報が飛び交ったらしく…凄くてね。…暫く、店を休んでるんだ』らしい。結局クラルの傷が治癒し、またココとグルメフォーチュンの街中を歩くようになるまで大変だった。らしい。(ココの休業にはそれ以外の理由もあったけれど、ココは恥ずかしくて一生言えないと思っている。)

 小さな街でさえこれだから当然、ココが独り立ちする迄籍を置いていたIGO内にもココに想いを寄せている女性、時たま男性、がいる。常に眼を光らせてこちらを見ている人が居るのに、その注目を強いられているココがその気配を消した位で誰にも見つからないなんて有り得ない。クラルは強く思った。有り得ません。


「君はそう言うが…僕にはその考えこそ心外だな」


 ココは言い捨てる様に溜息を吐いた。
 口調こそクラルの発言に呆れては居るけれど、ソファから体を起こした反動で頭から離した両手をもう一度クラルの腰に巻き付け抱き寄せて、溜息はその額に額を擦り付けて漏らす。


「説得力無い」


 態とらしく口を尖らせてきた至近距離での非難に、今度はクラルが眉を上げた。
 無意識に唇を尖らせてココを睨み付ける。ぐいっと、額で額を押してやっぱり、擦り付けたまま。


「説得力に欠けるのはココさんの提案です。気配を消しただけでは…誰だって、貴方を見つけてしまうでしょう?――透明人間に成るわけじゃありませんし」


 言葉にしてクラルは、ジェイムズ・ホエールの映画を思い出した。『透明人間』ジャック・グリフィンと言う科学者が透明人間となって狂気に走るストーリーだ。
 ココが毒人間と成った経緯は確かに、それこそジャック・グリフィン博士に繋がる物があるのかもしれないが、ココは博士と同一の体質ではないし、彼の気は狂っていない。
 ココはその非難にくすっと笑い溢し、


「無理だね。君とSF小説を演じる気はないし、流石の僕でもモノケインは作り出せない」


 モノケインは、映画の中で博士が透明人間と成った切っ掛けとして作り出された毒薬。フィクションの産物は当然、架空の薬だ。


「でも、」


 ふとした調子でココは、クラルが言葉を返すより先に、同じ様にストーリーを思い出し呟く。


「僕等に、ドクター・グリフィンとミス・フローラは適役かもしれないね」


 彼と、彼の婚約者の名前を言葉にして、瞳に少し悲しい光を宿して薄く微笑んだ。
 クラルは思わず、息を飲む。


「…君が居たら、正気に戻る」


 止めて。


「おかしな事を、仰らないで……」 


 ジョークのつもりなのは分かっていた。笑うべき所なのも理解していた。だけれど、それを一笑に伏すにはココの目は余りにもシリアス過ぎた。
 近すぎるせいだろうか。ココでないにしろ、視えてしまう。

 やおら、ココはくすっと口角を上げて、でも一瞬だけ目を伏せて後には、何時ものように笑う。


「すまない。冗談だよ」


 誤摩化しの、キスをした。
 クラルは顔が近付いたと同時に唇に押し当てられた微熱が、暫く後に離れるのをぼんやりと見送って再び、目の前で目蓋を開いたココが、


「でも、提案は本気だ。それに、自信も有る」


 片目瞑りのその自信に、肩の力がすとんと抜けた。

 同時に空気ががらりと変わる。
 クラルはそっと、困った様に眉を顰めたがそこに、安堵混じりの微笑みを宿した。


「まだそんな事を仰って、」
「だってクラル。君は気付かなかった」


 けれど次に眼を合わせたココが悪戯っぽく笑って口にした事にクラルはもう、何も言えなくなった。


「ほら。エントランスで君に目隠しをした時。僕は、"消命"をして君に近付いてそれから暫く、傍に居たんだよ。…大体5分くらいかな」


 そうしてココはにっこりと笑う。


「肩が観葉植物に触れた時はバレるかと思ったけど、クラルは辺りを見回しただけだったね」


 嘘。クラルは目を丸くして、呟いた。




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