ラララ | ナノ

コネクト・トゥ・ユー-1


 間接照明だけになったエントランスのソファでクラルは一人、落ち着き無く座って居た。

 手の中のモバイルを膝に乗せて、指先でひっくり返し、拾いあげて、タップでメールを広げて時間を確認する指先のその軽やかさはすっかり自身の気持ちが反映されている。
 体の内側からそわそわとむずむずが沸き上がって来るのが分かる。心臓が忙しなくなっている。ちょっとした苦さを感じるのにストレスは感じない。それ所か楽しみで仕方なくて――ふと、ブラウスの襟を引き寄せて匂いを確かめた。

 ボトムスは仕方なかったけれどトップスはロッカーに替えが有った。黒いスキニーに、一見するとストールを肩にかけている様に見える柔らかい素材の3WAYブラウス。履き潰しそうなパンプス。アニヤのショルダーバッグ。それが今のクラルの服装。

 リンの傍でココにメールを送った後直ぐ、どんな答えが返って来ても良い様にクラルはロッカーへ向かった。
 シャワーブースで手早く汗を流して着替え、タオルドライした髪にドライヤーをあてながら受け取ったココからの、最高に嬉しいメールに思わず声を上げて喜び(丁度観光課の人達の退勤時間と重なっていたから他のドレッサー使用者に何事かと注目を浴びてしまったけど)鏡の前ですっかり整えた自分の耳の後ろに、先日、リンとショッピングに行った際に買ったフルールシェリーのオードオワレをロールオンしようと――留まり、手首に塗った。

 耳の後ろを含めたクラルの首筋はココがいつでも一番鼻先や唇を擦り付けてくる領域だから。何も塗らない方が良い。
 手首もたまに食んでくるけれどそれはほとんど、シャワーを浴びた後のベッドの中だった。

 それなのに首から薬品の匂いが漂っていない事を願ってしまうのは、女心と恋心からの祈りだ。
 グルメ細胞の影響で発達したココの特質は嗅覚でなく視覚らしいけれど、折角会えた恋人に化学薬品の刺激臭は頂けない。幸いクラルの鼻先が感じ取ったのは卸したてのブラウスの繊維臭と体温で温まったソープと瑞々しいフルールシェリーとが混ざった、柔らかそうな香り。そして、『サニーに押し付けられて』使っていると言う柔軟剤の香りに頬を緩ませて胸を撫で下ろし、改めて辺りを見回す。

 一般来客専用のエントランスは本来の業務時間を終わらせて居るせいか、クラル以外の人の気配を感じさせない。
 いつもは一流ホテルさながらの制服を着込んだ職員が凛としたしとやかさで迎える受付も今は無人となって灯りを落とし、物音一つしない。天井に備わっている防犯カメラや足元から照らされる淡い間接照明だけが機能しているけれど、しんとした空間はソファ横に置かれた観葉植物が空調に揺れる音さえ拾える程に静かだった。

 静か過ぎて、思わず、不安に成る。


 ――本当に此処で合っているのかしら……。 


 その時。
 視界が一瞬にして真っ暗になった。


「……え?」


 何が起こったのか直ぐには理解出来なかった。ただ停電、が起こったと言う風ではない。だって目の前が真っ暗になったのは灯りが落とされたと言うよりも、寧ろ視界を何かに覆われた、と、言った方が感覚的に正しい。温かくて大きな何か。――あ、。クラルはふと気付いてそして、


「だーれだ」


 その声に、思わずくすくすと笑った。


「、もう」


 顔を上げても温かい暗闇は晴れることなく付いて来た。正体に手を伸ばせば一瞬反応を示したけど、


「駄目だよクラル。ちゃんと答えてくれないと」


 低く熱っぽい囁きが、どこか甘く、そして悪戯に耳に触れた。
 視覚が遮断させているからだろうか。声が上から落ちて来たのが分かって今、後ろに居る彼がどう言った風に自分を目隠ししているのか容易く想像も出来た。想像がまた、忍び笑いを産む。
 目元を覆う広い掌の、片方の手首にクラルはそっと握った。
 力強い鼓動が血潮の熱さを感じさせながら指先に触れる。どくどくどく。僅かに跳ねる血管さえ愛しくて忍び笑いがもっともっと濃くなって行く。くすぐったくてどうしようもない。


「……誰ですか?」


 クラルはゆっくりと後ろに頭を倒した。後頭部が直ぐ厚い筋肉の、恐らく肩の関節部に触れた。
 ゆったりと息を吸えば男性的な甘い臭いと、首元から伝って来るじんわりと温かい熱に、堪らない愛しさを覚える。ふふ、と笑えば、くくっと、笑う吐息が真上から降って来る。


「わざと言っているだろ」
「さあ。どうでしょう」
「当ててくれるまでずっとこのままだよ」


 だったらもう、一生当てたく無い。

 クラルは殆ど無意識そう思って、自然と微笑んだ。
 彼の声が吐息遣いと一緒に直ぐ傍から聞こえる。低くて甘い声がひっそりとした悪戯心を秘めている。
 姿が見えないのはちょっと悲しいけれど、温かい掌の暗闇は心地良くて、何も見えないのに彼が誰か分かってしまう程嗅ぎ慣れた微熱や鼓動のあつさは切ないほど胸が鳴る。何も見えないのに、より、見えないからこそ、純粋に彼そのものが愛しい。


「……クラル、」
「はい、」


 胸を引っ掻くくすぐったさに従順に、ころころ笑って答えたその唇に、柔らかい感触が恭し気に触れた。
 感触は温かくて、乾いているかと言えばでも少し湿っていて、ひんやりと甘い、匂いがした。すとん、と思考が停まる。


「本当に、危なっかしい子だ。誰か分からないのに、そんな顔するなんてね」


 声は喉元で笑いを潜ませて、唇に吐息をかける。そのままもう一度触れて、離れる。


「無防備過ぎ」


 かっと、クラルの顔に熱が籠った。


「こ、ココさん!」
「おっと」


 ココの反射神経は素晴らしい。それはクラルが半ば叫ぶ様に身を起こしても、その勢いに互いの衝突をスマートに避けてしまえる程に。ついでにぱっと手を離し、クラルの視界を取り戻しさえ出来る。


「あ、いま、今……!」


 クラルは勢い良く上体を捻った。背後に立つ彼、もといココを茹で鮹状態のまま見上げた。声は裏返って、耳迄熱くなっている。咄嗟に辺りを見渡してそして、クラルはココを見上げた。


「……いま、」


 オレンジの間接照明に足元から照らされたココは飄々と、でも幸せそうに目を細めて笑う。


「うん。キスした」


 くつくつ喉を鳴らす。
 そうして、狼狽しているクラルを、可愛い。と言って、やっと会えた。会いたかった。と感深く呟いて、ココは掬い上げるみたいにクラルの半身を抱き竦めた。クラルが本当に恥ずかしそうな声で、だからと言って…!とか、こんな所で、もし誰かが通りかかったら…。との呟きに、そんな事よりも君が誰かも分っていない男に簡単に寄りかかってあんな顔を見せてしまう方が僕にとっては心配だよ。と、ココ以外にするなんて有り得ないと一笑に伏せられる心配事を言って、


「それに確認したけど今、この場所には僕等しか居ないよ」


 ココは、クラルの頬から顎にかけての輪郭を指先でなぞった。鼻先が触れ合う距離でうっとりと微笑む。


「だからクラル。次は、ちゃんとさせて欲しいな」


 どちらかと言えば尋ねる風だったのに、ココは、クラルの返事を待たなかった。





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