Nineteen

「珍しいし」

 リンの声に、顔を上げる。

「え?」
「ココが、自分からクラルを一人にするなんて、珍しいし」

 非難とも聞こえる声色にココは、

「……連れて行けないからね。昨日伝えた件、裏が取れたんだろ?」
「……」
「犯人はクラルに対して殺意があった。でなきゃあんなものを飲ませようと思わない。本人の特定がまだ未確定である以上、連れていくのは危険だよ。猛獣の巣穴より厄介な場所だ。鉢合わせでもしたら、子供である以上……何をされるか分からない」
「でも、」
「ん?」
「うちのSP、男だし。ココがクラルの側に進んで男つけるなんて、初めてだし。大抵、いやだなー。僕以外と仲良くして欲しくないなー。って空気出してたし」
「……え。そう?」
「そーだし。クラルだってそれ察してて、自分から異性と関わるの必要最低限にしてたしー」
「……」
「ねえ、」

 今のクラルって、ココにとってどんな存在?

 リンの問い掛けに、ココは一瞬言葉を失った。
 どんな存在? そんなの、今に固執しなければ、クラルと言う女性はココにとって最上で最愛だ。
 想うだけで口元は緩み、想い出すだけで心は温もる。逢いたい、抱きしめたい、話がしたい、一緒に食事がしたい、声が聞きたい、笑顔が見たい、名前を呼んで欲しい、名前を呼んだら応えてほしいあの、すっきりとした澄んだ声、ココさん。と、あなた。と、歓びを含み呼び習わされる事への想い。

「大切な存在だよ」

 視線をリンから窓の外へ流す。
 低空を飛ぶIGOの最新ヘリコプターから伺う景色は、どこか懐かしい。地面にくっきりと映る雲の影、梢にみえる風の気配、緑が波打つ牧草地。小さな赤い屋根の小屋はどこかジオラマめいて可愛らしい。
 美しい黒羽を広げるキッスの背の上で、目尻を染めてくすくす笑う彼女を抱えていたあの時代が鮮明に蘇る。
 あの時の二人は恋人だった。近付きあった顔にはお互い照れ笑った。キスをするその瞬間、まだぎこちなかった。

「今の、子供の姿で……記憶で、大人の時と同じ扱い方は、マズいだろ」
「ウチだったらトリコがどんなになっても、態度変えたりしないし」

 呟いたリンも窓に視線を注いだ。
 ノイズキャンセリング搭載機の中でその声は、真っ直ぐにココに届く。胸中でココは、そうかそれが彼女の愛情表現なのか、と受け入れた。僕とは、僕らとは違う。あれはリンちゃんの意見でありリンちゃんの意思。ぼくらに置換できる物じゃない。リンちゃんもそれを望んで口にしたわけじゃない。
 ココは分かっていた。
 分かっているのに、

「…………」

 沈黙に責められている気がした。



 到着と共に出迎えを受けた。クラルに、件の実験についてのアシストを頼んだと言う中年を過ぎた男性だ。
 彼は室長の肩書を持って、最後に会った時には不足の事態を招いたことへ頭を下げてくれた人だった。偽りのない誠意が篭った真摯な対応に好感を抱いた。何より、本件で言えば彼はココの良い協力者だった。
 ポートから棟内へ入る為のリフトへ乗り込む。小さな箱の中にはココとリン、そして室長の男性しかいない。カメラはついているけど、音声は拾わないとの事で彼は、それでもレンズを背に本題を話し始めた。
 昨日、リン所長経由で伝えられた通りに演算を行なった事。それは電子空間の中に作られたクローンに対し、皆が望んだ結果を出した事。それを元にして早急にプログラムを現状からの反作用アンチデントの生成に切り替えた事。
 ここで、リフトが目的階に停止した。会話が止まる。リンが口を開く。

「とりあえず、うちの部屋行くし。あそこなら人払いしやすいし。うちも会議までまだちょっと時間あるし」
「ああ、ありがとう」

 ココに続いて男性が、お心遣い感謝いたします、所長。と言った。着くまではリンを先頭に歩き、礼を失さない程度の会話を交わした。

 部屋について直ぐにソファへ落ち着き、先を促した。
 室長が話を続ける。彼女の体を元に戻す反作用アンチデントはほぼ完成しつつある事、ただ確実性を高める検証にあと数回演算を行う必要がある事。その結果が揺らぎないものであると言う確率をココに視て欲しいと言う事。(それに対してココは「勿論。拒む理由はない」と、二つ返事をした。)そして、男は一呼吸置いて、続けた。

 今回の事態を招いた人物の特定ができた。

 ありとあらゆる情報を入手し、防犯カメラ現場を精査し、照合を行いほぼ、間違いないと断定できる。
 ただ、当の本人は否定している。恥ずかしい事に、興奮しているのか感情的で会話さえままならない。
 想定内だ。と、ココは口に出す代わりにソファへ深く腰掛けた。体の前で腕を組む。

「その対応は全て、そちらへお任せします」

 そうして静かに続けた。

「僕が行ったらそれこそ相手の思う壺だ」

 室長は口元を結んで僅かに俯いた。搾り出すような声で、こんな事が起こるまで彼女もよく居るひとりだと思っていました……責任は必ず取らせます。そう、言った。
 顔色を伺うようにリンがこちらを向いた。彼女の視線に気付きながらもココは唇を、なるべく人当たりの良い声色が出るように、開いた。

「それよりも、妻を戻す方法について話がしたい。良いかな?」

 伺うような口調でありながらもそれは有無をいわせないものだった。
 ココは脳裏で、室長が語った反作用アンチデントについて考察をはじめる。 
 浮かんだ仮説が正しければ、彼女を元に戻す機会は彼の想定よりも早く訪れるだろう。ただひとつの懸念がある。今の、クラルの状況だ。
 戻ったと思った記憶は再び少女の意識の奥へと収まり、ココのことはおろか自身の現状さえ知らない状態になった。
 元に戻す。その目標の為に、自分達は、ただの少女である彼女を騙す必要がある。少女の意思を蔑ろにする。
 今、その罪悪に気付いているのはココだけだった。


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