愛の終着



 彼と、映画を見た。

 ある一組の男女の出会いから別れまでを描いたそれは、切っ掛けはありきたりだったのに関係は、かなり濃密なラブロマンスから始まった。
 何が彼等の琴線に触れたのか分からないまま、二人はキスをして、性急に体を確め合う。

 多くのロマンスムービーがそうであるように。
 やっぱり、愛の告白は蔑ろにされていた。

(彼いわくそれは、『そこを入れたら物語は一度終わらせなきゃいけなくなるだろ』そして『勿論、約束されたハッピーエンドでね……見たいかい?』私はその時、それは退屈です。と、首を振った。めでたしめでたし。のエンディングが約束されているお話はそれだけで安心出来るけど、その先の苦労を知った今の私は、素直に感動出来ない。本当の恋愛は物語の中のように、巧くはいかないし大変なのはその後なのだ。どんなに運命的でも。どんなに、奇跡的でも。)

 当然内容は、中盤までかなりアダルティックだった。

 二人は会う度会う度、何度も何度も体を重ねた。お陰で、二人とは関係の無い筈の私達まで互いの肉体を意識せざる得なくなった。(そんなのは、とても今更な関係なのに。他人の行為から誘発される情欲はどうしてこうも、気恥ずかしい気持ちを思い出させるのかしら)目が合えば私達は少し、頬を染めて暫く後に苦笑した。

 きっと、『映画の時間は映画を見ましょう』と言ったいつかの私からのお願いや『明日に備えて今日は、大人しくしよう』と言った彼からの決意なれければ、私と彼はこのお話の終わりも見落としたかもしれない。(それでも唇を合わせるだけの、軽い、キスだけはしたけれど。)

 けれど、物語と言うものはいつも、ハッピーエンドへの期待と同じくらい、視聴者を裏切ってくれる。

 つまり。美しい囁きのような母国語で愛を、二人に例えて睦合っていた彼等は、些細な擦れ違いであっさりと喧嘩を初めて激昂し合い、罵り、離ればなれになってしまった。
 ドン・キ・ホーテのオマージュでも無い限り、幸福から始まったロマンスなのだから、当然、悲劇のスパイスが含まれる。その事実を裏付けるように。

 二人が愛し合った部屋に、レコードや本、クッションから飛び出した羽根、ビリビリのアルバムが、そこらかしこに散らばっていた。

 夜。独りになった女はダイニングでアルコール片手に目を泣き腫らし、母親に肩を抱かれ、また泣いた。
 朝。独りになった男は頭を丸めて、ジープに乗りこんだ。双頭の鷲を、襟につけて。手に、幸せそうに笑う女の写真を持って、悲しげに顔を歪ませた。


「…ココさん?」


 その時。私の腰を抱いていた彼の手に、少し、力が籠った。
 私はすっかり馴染み深くなったソファーの上で、横に座る彼を見上げる。


「ん……」


 美しく整ったラインの横顔に、テレビから溢れる色彩を纏わせた彼は、私を見ないまま、真面目な顔でそれだけを口にした。


「…………」


 私は、どう言う訳か分からないまま、でも、嬉しくなって、彼の身体にもたれ掛かり、頭を預けた。
 腰を抱いていた手が私の頭を包み込むように登って、髪を少し撫でる。旋毛辺りに、彼の唇が押し当てられる。
 テレビを見たままだったから、感触で知ったにすぎないけれど。私はそっと、彼の脚に手を添えた。


「……これ、ハッピーエンドかい?」


 爆風に飛ばされた男を見送って、彼が訊く。
 私は少し、唸って答える。


「どうだったかしら……粗筋にはこの辺りまでしかありませんでしたから…なんとも」


 レンタルの映画はお店を出たら最後、手元に情報が残らない。


「そうか」
「でも……フランスの映画は、中々に意地悪ですから」
「ああ……確かに」


 次のチャプターで、泣いていた女が笑っていた。満面の笑みで、代わる代わる友人達と抱き合い、頬を寄せる。
 場所は緑が美しい草原の中で、薔薇のアーチと十字架の祭壇が組まれていた。女は白いドレスを着ていたから、一目で彼女の結婚式なのだと分かった。

 でも女の横に居たのは、初めて見る役者だった。


「かなり、強かな女性だな」


 その唸り声が可笑しくて、私はくすくすと笑う。


「女は概ね、強かですよ」


 彼の胸に頬をくっつけたまま、彼を見上げた。
 私をちらりと見下ろした、彼の綺麗な瞳と、目が合う。


「……例外が、居ることを願うよ」


 大きな掌が私の髪をくしゃくしゃにした。
 私はわざと、もう、と言って笑い、額や唇に降りてきた彼の唇を素直に受け止めた。



 そんな風に、時折じゃれ合ったりしたけれど、私達はきちんと最後までテレビの中の二人を見送った。


「…………」


 ふたりの人間の半生がたったの2時間で事足りるなんて、なんて不思議なのかしら。
 エンドロールの前で彼と寄り添い、流れるキャストをただ、ぼんやりと眺めて、思う。

 座り心地の良いソファ。
 右側にじんわりと感じる、彼の逞しさや体温。肩に回った腕。頭を包み込んでくれている掌。
 私達の人生も、客観視されたら(或いは物語調に構成されたなら)僅か数時間の枠に収まってしまうのかしら。

 白い字が上に向かって流れていく。
 黒い画面に、ふたりの男女が互いに寄り添っているのが映っている。
 私が少し、みじろぐと、女も、少し動いた。彼の手に微かに力が籠ると、男の腕が少し、女を抱き込んだ。

 私達は暫くそうして、お互いなにも話さずにいた。


 映画の中。
 婚礼を迎えた女はいつしか白い髪や孫を持ち、貴婦人となったけれど、余り幸福そうじゃなかった。表舞台では笑い、けれど影では、かつて愛した男が襟につけていた鷲のバッジの、煤けたのを握り、時折泣いた。
 爆風に飛ばされた男は、九死に一生を得て戦場近くの村で懐抱された。左の足と記憶を無くした彼は、その村で恋に落ちて、家庭を持った。家族に囲まれ日に焼けた顔に皺を刻み幸せそうにしていたけれど時折、自分の内側の欠損に苛まれては夜中に飛び起きた。

 結局、二人が再び出会えたのはそれぞれがそれぞれの伴侶を亡くした後。女が、家庭を持った子供に連れられて、男が居る島へバカンスに出掛けた時。男が、ガイドとして現れた、その日。

 総て覚えている女と、総て忘れてしまった男。

 けれど横たわる時間の膨大さに、老いに、かつて愛した人だと気付かないまま、女は(それでも僅かな間を置いていたからもしかしたら彼女は、気付いたのかもしれない)彼と握手を交わした。
 そして、二人は友人として親交を深め、蒼く澄んだ空と海の間で、静かに短く、過去を語る。

――この島で昔、とても大切なものを無くしましたの。

――そうでしたか………実は僕もここで、大切なものを無くしました。奇遇ですね。



「なまえ」


 不意に、彼に名前を呼ばれた。
 いつの間にかエンドロールは終わり、選択画面に変わっていた。スピーカーからはチェロのコンチェルトが流れている。甘く、優しく、悲しい旋律。


「はい。なんですか?」
「僕は、必ず戻ってくるから」


 顔を上げて直ぐ、間髪入れず、彼が言った。とても真剣な瞳で私を真っ直ぐに見詰めて、


「必ず、戻ってくる。だから……」


 言い淀んだ彼の頬が、少し紅潮した。


「はい。ココさん」


 私は堪らなく嬉しくなって、彼と同じ様に真っ直ぐに見詰めたまま言った。


「お待ちしています」


 だからきっと、帰ってきてくださいね。滑らかにそう、続かせたかったけれど、待つと言った私に向かい、美しい顔で嬉しそうに微笑んだ彼を見たらそんな念押しなんて、不必要だと気付いた。

 弦楽器が奏でるメロディの中。
 その瞳や唇に、乞われるまま、キスをする。

 やがて音楽が止み、選択画面がまた切り替わり、再び一組の男女の物語が始まった。
 いつもならモードを切り替えて、お昼過ぎのメロドラマか、あるいは情報番組を映すのにそうしないのは、そうしたくないから。
 だって数日前、IGOからラジオやテレビやあらゆる媒体へと流された『国家非常体制』の物々しい『警報』のお陰で、どのメディアもずっと、同じニュースしか流さない。

 連日連夜。どのチャンネルも、外の世界からやってくる、人を食う獣の話題ばかりを上げて、中心部への避難勧告を出している。


 唇を合わせたまま、大好きな彼の、ここ数ヶ月で更にがっしりと逞しくなった首に腕を回した。
 私達は息がまともに出来なくなるくらい、食み合い、舌を絡ませる。唇から、お互いの意思を流し合う。


「好きだよ」


 息継ぎに、彼が言う。


「はい」


 私は、くすりと笑う。


「知ってます」


 キスをして、彼が笑う。


「……なまえは?」


 彼と視線を絡ませて、私はふふっと囁く。


「……愛してます。とても、とても」
「ああ……」


 同意とも感嘆とも取れる彼の吐息ごと、その唇を唇で塞ぐ。


「僕も、知ってる」
「もう……真似をなさらないで」
「良いだろ」
「だーめ。いけません、」


 キスをする。

 私の腰を抱く彼の力強い腕にされるがまま、膝の上に乗り上げる。品の無さやはしたなさを忘れて私は彼の引き締まった腰を脚で挟み、もどかしい熱を持った体を、ぴったりと寄せ合う。
 私の柔らかいところ総てで、彼の逞しいところの総てを受け止めるみたいに。


「良いだろ…本当の事なんだから。なまえ……」


 やがて、吐息が唇に触れる距離で、彼が微笑む。腰へ降りた両手の平の親指がくるくると、私の体に円を描く。


「愛してるよ」


 私は擽ったさや幸福に、ふふっと笑いこぼして、嬉しくなる。


「はい…私も」


 テレビジョンから若い男女の笑い声が聞こえた。
 やがて戦場と化すその島の波打ち際で、白い飛沫の音と重なるそれはどこまでも明るく、清潔で瑞々しい。

 永遠の愛を信じる、幸福に溢れていた。






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本誌の展開反映させてしまいました。決戦前みたいな感じのお話。

何も特別な事はしない。何時もと化わりない日常を過ごすつもりだったのに、どこか感傷的になって結局いつものデートと違っちゃう。そんなしんみりとして、甘いお話になっていたら良いなと思います。

作中の映画は毎度ながら捏造です。戦争によって引き裂かれた恋人が、長い時間が経ってから再会する。んだけど時が経ちすぎてお互い以上に大切な物が出来てる。そんな話。
仏映画に有りがちな『世知辛い現実』が好きです。愛を語る上で常に付きまとう題材だなあ、と。思ってる。うまくいかないからこそ、面白い。

そんな妄言を垂れ流しつつ、最後までありがとうございました。



(2012,09,22/掲載)
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