報われない努力


 新学期から二週間後に行われた実力テストの結果は散々だった。この学園には優秀な生徒が多かったが、それでもテストとなれば毎回上位三十位はキープ出来ていた。勿論それは、高校生活の全てを勉学に捧げている結果だ。私は地頭も良くないし効率も悪いから、兎に角勉強も量をこなさないと、あっという間に成績を落としてしまう。
 今回の試験も、万全の状態で臨んだ。春休みは遊び歩くこともせず、近所の図書館に篭って勉強した。だから多少なりとも自信があったし、試験当日も手応えを感じていた。
 それなのに蓋を開けてみればどうだ。上位三十位どころか百位にすら入っていない。学園ですらこの順位では、目指している大学など到底入れるわけがない。全国にはライバルとなる優秀な高校生が五万といるのだから。
 それに、自分の手応えとは裏腹に成績が振るわなかったということは、この学園の生徒達も受験を一年後に控え、めきめきと力を付けてきているということだろう。私は、胸が炙られるような焦燥を感じた。
「名前、結果どうだったー?どうせまた上位なんだろうけど」
 試験の結果が返却された昼休み、綾美ののんびりした声が聞こえて、私は咄嗟に点数表を隠す。
「そ、そんなに良くないから…」
「あ、それは成績優秀者の常套句だよね。まあ、名前は国立目指して勉強頑張ってるもんねー。それより、学食行こうよ!しのぶちゃんも一緒に」
 綾美は感心したように頷くと、急に話を転じた。私の前の席に座るしのぶちゃんも、「いいですね」と相変わらず上品な笑顔で微笑んだ。
 昼休みを十五分ほど過ぎた学食はかなり賑わっていて、私達は既に長くなっている列の最後尾に並んだ。すると綾美が、そうそうと、思い出したように口を開く。
「そういえば聞いたよ!しのぶちゃん、今回の実力テスト、学年一位だったんでしょ!しかも先生達が話してるの小耳に挟んじゃったんだけど、春休み前の全国模試も凄く成績良かったって」
「綾美さん、良くご存知ですね。でも、今回はたまたまですから」
「たまたまじゃ全国模試で良い成績なんて取れないでしょ。本当二人は頭良くて羨ましい。私なんかさ、今回の実力テストかなり良い方だったけど、それでも九十位とかだよ。まぁ、私は志望校とかあるわけじゃないし、行ける所に行くからいいんだけどねー」
 間延びした声で言った綾美の興味は、既に学食のメニューに移っているようだった。一方私は、頭を鈍器で殴られたような衝撃でお昼どころではなくなってしまった。
 綾美は、今回の実力テストは九十位だと言っていた。私は、その順位よりもさらに低い。毎日寝る間も惜しんで勉強しているはずなのに、どうして。どうして私は二人に勝てないのだろうか。
 パニックにも似た強い焦りと悔しさが込み上げて来て、目頭が熱くなってくる。しかしこんな所で泣いたら二人を困らせてしまう。ばれないように涙を拭うと、前方に並ぶ二人に無理やり作った笑顔を向けながら、咄嗟にこの場を離れるための嘘を吐く。
「しのぶちゃん、綾美、ごめん!お昼休みに先生に質問する約束してたのすっかり忘れてた」
「え、そうなの?でも今から質問じゃ、お昼食べられなくない?」
「だ、大丈夫!購買でパンでも買うから」
 顔の前で掌を合わせ、驚いたように目を丸くする二人に謝罪して足早に学食を出る。すると、我慢していた涙が一筋頬を伝った。慌ててスカートからハンカチを取り出し顔に押し当て女子トイレまでの道を急ぐ。こんな顔では教室に戻れそうもない。
 しかし、前方を確認しないまま階段を一段飛ばしで駆け上がっていた私に、強い衝撃が走る。誰かとぶつかったのだと気づいた時には、体が宙に浮くような感覚に包まれた。
 落ちる。そんなことを考える余裕もないままぎゅっと目を瞑ると、手首を強く引かれ身体が引き戻されていた。勢いあまって私は前方に倒れ込む。頬に当たる硬い感触。既視感を覚えるシチュエーション。
「おっと、大丈夫だったか?」
「煉獄…先生」
「ふっ、苗字とは新学期からよくぶつかるな」
 私を抱きとめてくれていたのは、担任の煉獄先生だった。苦笑を浮かべた先生は直ぐに私の身体を自身から離し階段の踊り場に誘導すると、頭の上から爪先まで視線を走らせる。怪我がないか確認しているようだ。
「あの…すみませんでした」
「いや、気にしなくていい。苗字に怪我がなくて良かった。しかし、前方を確認しないで階段を駆け上がるのは感心しないな」
「ごめんなさい」
 ぺこりと頭を下げ反省の言葉を口にすると、頭上から心配そうな声が降ってくる。
「何かあったか?」
「え?」
 驚いて咄嗟に顔を上げると、煉獄先生の大きな双眸が私を心配そうに見つめていた。芸能人みたいに整った顔立ちに、無意識に身体に力が入ってしまう。
「いや、俺の勘違いならいいのだが。目が赤いから少し気になってな」
 あ、と呟き私は手中のハンカチを握りしめる。ぶつかった衝撃で涙は疾うに引っ込んでいたが、赤くなった目はどうやら誤魔化せなかったようだ。
「な、なんでもないです」
「そうか。それならいいが…」
 慌てて首を横に振って本音を隠すと、煉獄先生はそれ以上追及してくることはなかった。代わりに、少し言いにくそうに口を開いた。
「…実は苗字と一度話をしなければならないと思っていたのだ。進路の件で」
「え…」
「前の担任の先生からも引継ぎは受けている。高校に入学してから、随分勉強を頑張ってきたようだな」
「…元々地頭が良くないので、勉強しないととてもじゃないけど志望大学には入れないので」
「うむ。そうやって努力が出来る所は君の素晴らしいところだな。だからこそ、俺も担任として応援したいと思うのだが」
「はい…」
 煉獄先生が一度言葉を切る。次に先生が何を言おうとしているのか大体想像はついた。
「正直に言う。今回の実力テストや模試の結果も見たが、今回の成績では苗字が目指している大学に入るのは難しいだろう。この学園の生徒は勿論、全国の高校生達も三年から本腰を入れてくる。君が頑張っているのは知っているから、もう少し勉強の仕方を工夫した方がいいのかもしれん」
 先生の言うことは尤もだ。私も今回の成績で志望校に入れるとは思わない。しかし、他人から指摘されるのは、無視できない現実を突きつけられた気がして妙に落胆してしまう。この二年間血の滲む努力をしてきたと自負しているから尚更だ。悔しくて、強く下唇を噛み爪先に視線を落とす。
 煉獄先生が熱血漢で生徒思いなのはよく分かっている。先生が私の成績を心配し、なんとかしたいと思ってくれていることも。しかし今の私は、先生の言葉を素直に受け取ることが難しかった。今年から担任になったばかりの先生に何が分かると言うのだろうか。私がどんな思いでこの二年間を勉強に捧げてきたか知りもしないくせに。
「今以上に努力します。…志望校を変えるつもりもありませんし、勉強の仕方を変えるつもりもありません。私はこのスタイルでずっとやってきて、苦手だった教科の偏差値だって三十以上上げたんです。…今年から担任になった煉獄先生に色々言われたくありません。…失礼します」
 言った後に後悔するも時は既に遅い。つい感情的になって後先考えずに発言してしまうのは私の悪い癖だ。しかし、一度口にした言葉は取り消すことは出来ない。内申点は最悪だろう。
 呆気に取られたように目を見開く煉獄先生に軽く会釈をし、私はまた階段を駆け上がる。同じ轍を踏まないように、今度は一段ずつ前を見ながら。