遭遇のち遭遇




 銀座の老舗デパートの最上階。街が一望できる少しお高めな喫茶店の窓際席で、私と煉獄さん、そして倫子は、机を挟んで向かい合って座っていた。銀座の街でばったり遭遇した私達は、一杯お茶でも、という彼女の誘いを受けてここに居る。
 先ほど煉獄さんとお芋スイーツを鱈腹食べたばかりで、正直腹が減っていないどころか水一杯飲むことも難しそうだ。そうかと言って喫茶店で注文しない訳にはいかず、私は致し方なしに頼んだ一杯八百円の珈琲に口をつける。インスタントとは違う贅沢で芳醇な香りが口の中に広がる。
「それにしてもこんな所で会うなんて本当に偶然。突然誘っちゃってごめんね。予定大丈夫だった?」
 自分の珈琲フロートをストローで吸ったあと、倫子は少し心苦しそうに言った。
「あ、ううん。私達は大丈夫。私の方こそ、この間連絡するって言ったきり、全然連絡出来てなくてごめんね」
「ううん、いいのいいの。名前も仕事とか忙しいだろうし。それより…煉獄さんと名前って確か従兄弟だったよね。従兄弟同士で銀座に遊びに来るなんて、なんか珍しいね」
「え、えっと、そうかな?そんなこともないと思うけどな。兄弟や姉妹みたいに仲が良い従兄弟も沢山いると思うけど。ねぇ…煉獄さん」
「…ん、ああ。そうだな」
 同意を求めるように煉獄さんをちらりと見れば、彼も少し遅れて話を合わせてくれる。
「ふーん、世間はそんなもんなのか。私はあんまり従兄弟と交流がないからさ。いいね、羨ましい!あ、そうそう。実は煉獄さんに聞きたいことがあったんです」
 倫子が納得してくれたことに安堵していると、彼女はこれが本題ですと言わんばかりに直ぐに話を転じて、テーブルに伏せていた自身のスマートフォンを操作し、ずいと画面を見せてくる。
「この道場で師範されてるって本当ですか?あと、最近では居合術も始められたって聞きました」
 彼女が差し出したスマートフォンの画面には、初枝さんの道場のホームページが表示されていた。
「えっ…何で」
「どうして君がそれを?」
 私と煉獄さんは二人で目を丸くして顔を見合わせてから、嬉しさに揺れるような微笑みを浮かべる倫子に視線を戻す。
「あ、ってことはやっぱり本当なんですね。ふふ。実は、剣道女子達のネットワークがあるんです。最近凄く評判の良い指導者がこの道場に現れたって専らの噂で。個人情報なので名前は聞けなかったんですけど、特徴とか聞くと煉獄さんっぽいなぁと思ったんです。と言っても、私も煉獄さんに一度しか会ったことがなかったから、確証はなかったんですけど。でも剣をやられるって言ってたし、もしかしてと思ってたらビンゴでした」
 倫子は声を弾ませ一息に言った。まさかそんなネットワークがあって、煉獄さんの噂が立ってしまっているとは。昨日の、心臓をきゅっと掴まれたような遣る瀬無い気持ちが舞い戻ってくる。
「よもや、そんな噂が…」
 私の隣で、腕組をした煉獄さんは驚いたように呟いた。
「それで、私もこの道場にお世話になろうかなって。早速見学を申し込んじゃいました。こっちに戻ってきてから、どこの道場で稽古つけてもらおうかなって考えてたところで」
「えっ!」
 倫子の言葉に思わず大きな声が出て、店員と周囲の客が私達のテーブルに視線を向けてくる。咄嗟に両手で口を覆って「ごめん」と蚊の鳴くように呟けば、彼女が少し不可解そうな声音で私に問う。
「どうしたの名前。何か気になることでもあった?」
 気になることなどありまくりだし、気が気でなかった。確かに倫子が学生時代から剣道を習っていたことは知っているし、それを止める権利が私に無いことは分かるのだけれど。でも、なにも初枝さんの道場じゃなくてもいいのではないか。倫子は煉獄さんに気があるのではないかと変に勘繰ってしまう。
 また昨晩のように、おもちゃを取られたくない子供のように、我儘な自分が鎌首をもたげる。しかし、煉獄さんは私の所有物ではない。やはり私が倫子にとやかく言う権利はない。
「う、ううん。何でもない。良いと思う!私ね、ここの道場の奥さんとご近所だから知り合いなんだけど、煉獄さん、今は怪我で療養中の師範の代わりに稽古をつけてくれてるの。お弟子さんや生徒さん達に人気だって聞いてるし。…先日見せてもらった居合術?抜刀術?も本当に凄かったし…」
「そう言ってもらえるのは有難いことだが、そんな大層なものではない」
 煉獄さんはいつもの謙虚な姿勢を崩さない。そして倫子は、さらにぱっと顔を輝かせる。
「そんなに凄い人に教えて貰えるなんて楽しみ!居合術も習いたい場合は、煉獄さんが教えてくれるんですか」
「そうだな!まぁ、あまり居合術を習いたいという者は多くないが」
「私は是非とも煉獄さんに居合術の指南を仰ぎたいです!」
 二人の会話に胸が掻き毟られるような気持ちになって、私は口を閉ざす。剣道や居合の話にはついていけない。時折、煉獄さんがこちらを気に掛けるような視線を寄越したが、気づかない振りをした。
 私は目の前の珈琲に逃げることしか出来ず、腹は膨れていたはずなのに、あっという間に一杯八百円の珈琲のカップは空になってしまった。

 倫子と別れて建物を出る時には、辺りは暗くなり始めていた。銀座の街が煌びやかな光に彩られ始め、すっかり夜の闇に包まれた空には、無論星の輝きは存在しない。こう街が明るくては星の光も霞んでしまう。
「すっかり暗くなってしまったな」
「そうですね。大分陽も短くなりました。…すみません、つき合わせちゃって」
「いや、構わない。それより俺の方こそすまなかった。刀をやらない名前には、あまり面白い話ではなかっただろう」
 煉獄さんが申し訳なさそうに言うものだから、私は首がもげそうなほど勢いよく首を左右に振る。
「そんなことないです。煉獄さんの功績で初枝さんの道場に新しい生徒さんが増えるのは嬉しいですし…それに、やっぱり剣について話す煉獄さんは凄く楽しそうで…なんだか私まで嬉しい気持ちになりましたよ」
 その言葉に嘘はなかった。ただそれ以上に、悶々とした気持ちが胸中を支配しているのだけれど。当然それを煉獄さんに言うことは出来ない。
「――あら、名前じゃない。珍しいわね、こんな所で」
 昼間よりも一層賑わいを見せる夜の銀座の街にも埋もれない、よく通る声が響く。釣られるように振り返れば、そこには切れ長の目を丸くして私達を見つめる絢斗の姿があった。
「絢斗!どうしたのこんな所で」
 今日は知り合いによく遭遇する日だ。予想外の友人の登場に思わず声を張る。すると、ゆっくりとした動作で私達に近づいてきた絢斗は、拳でコツンと私の頭を小突いた。
「それはこっちの台詞よ。こっちは異業種交流会が終わったところ」
「異業種…ああ、合コンか。絢斗は相変わらずだなぁ」
「まあ、今日ははずれだったわね。いい男も女も居なかったし。…それよりこの人…あの夜の…」
 絢斗は、突然の彼の登場に呆気にとられた様子の煉獄さんを頭頂から爪先まで値踏みするように眺めて言う。私は、そういえば二人が顔を合わせるのは初めて――正確には二回目なのだが、初回は煉獄さんが気を失っていたためノーカウントだ――であることを思い出し、慌てて二人をそれぞれに紹介する。
「君が俺の怪我を処置してくれたという名前の友人か。医者をしていると聞いた。本当にその節はどうもありがとう」
 煉獄さんは綺麗な所作でお辞儀をする。その様子に、今度は絢斗が面食らったような表情を浮かべる。
「…悪くないわね。顔もいいし、体格も私好み。…でも、何か話し方が独特っていうか…古風ね」
「いや、それ絢斗に言われたくないと思うんだけど」
 思わず突っ込むと、絢斗はそれもそうねと小さく笑い、私の目の前に何かを差し出してくる。
「絢斗、これは?」
「プラネタリウムのチケットよ。今、期間限定で流星群の上映をしてるのよ。今日いい子がいたら誘おうかと思ってたんだけど無駄になっちゃったから、あんたにあげる」
「え…いいの?」
 おずおずとチケットを受け取りながら、確認するように絢斗を見る。
「どうせ捨てようと思ってたから、丁度良かったわ」
「ありがとう絢斗!煉獄さん、この後もう少しだけ付き合ってくれますか?」
「それは構わないが…ぷらねた…?」
「あ、えっと、それは後で説明します」
 現代の若者でプラネタリウムを知らぬ者など少数派だろう。眉根を寄せた煉獄さんを探るように見ていた絢斗だったが、数秒後には踵を返し、ひらひらと手を振り去っていく。
「上映まであと三十分もないから急ぎなさいよ。カップルシートだけど、まぁ、別に従兄弟同士で見ても問題ないでしょ」
 一瞬足を止めて私達を振り返り、絢斗は口角をニンマリと持ち上げた。「従兄弟」がやけに強調されていたのは気のせいだろうか。いや、やっぱり絢斗には、もう煉獄さんとの関係が従兄弟ではないことなど、疾うにお見通しなのかもしれない