居残りの特権



「じゃあ2ヶ月後に出すworker holidayのガールズ、一ノ瀬お前がやってみるかァ?」
「はいっ!やります!やらせてください!!!」

文京区に聳え立つ自社ビル、株式会社CLOVER出版は国内でも指折り数える大手出版社だ。東京を拠点に構え、雑誌、コミック、文庫、その他デジタルコンテンツ等々…時代に沿いつつも尚、実績を上げている出版社であった。
月刊雑誌の中でも、「worker holiday」という、働く人達向けの雑誌があり、近場のイベントだったり格安旅行であったり、各地の名所、名産物など、色んな物、場所を掲載している編集部に配属になった私、一ノ瀬ゆき乃は、入社3年目で漸くworkerの中の「girls holiday」というレディースメインのコーナーを受け持つことになった。
先月から編集部の主任が、不死川実弥という超強面の男性に変わり、最初はその強烈な舌打ちと絶対元ヤンですよね!?って程の口の悪さと、目から絶対トリカブト出てますよね!?ってくらいの眼力で睨まれて、命が削られているんじゃないかと疑ったものの、前の上司とは違い、やる気のある奴は若手でもこうして一人前の仕事を任せてくれる人だと分かってからは、この人に着いていこう!とまで思わせるそんな人だった。

月初にあるworker編集部の会議で、夏先取りで「girls」と「BOYS」と「lovers」に分けて特集されるその一つを担当させて貰える事になり、毎日定時を過ぎてもひたすら色んなイベントを探し、今の流行りをリサーチし、それを纏めて不死川主任に見せては直され…を繰り返していた。


「一ノ瀬まだ残ってたのかァ」

ポカッと肩を叩かれて声のする方を見ると不死川主任。周りを見るともう誰も残っていないからか、首元のネクタイを外した不死川主任は、私の隣の席の椅子を引くと、大股開いてドカッとそこに座った。後ろの席にあった貝殻の灰皿を手で引き寄せると、ポケットから煙草を取り出してライターで火をつける。今どき社内禁煙じゃない所も珍しい。比較的新しい別館の方は喫煙室があるようだけれど、古いこの本館は昔からの馴染みもあり、まだ社内は禁煙にはなっていなかった。
そしてこの人は煙草がめちゃくちゃ似合う。

「不死川主任…私お腹空きました」
「あァ俺も腹減ったなァ」
「下にできたたこ焼き屋さん食べました?」
「食ってねぇよ」
「私買ってきます」

会社の前の道の脇に屋台のたこ焼き屋ができてから何度か行った。それを思い出して不死川主任の前にスッと手の平を出した。勿論奢ってもらう気満々で。そんな私の意図が分かっている不死川主任は、思いっきり眉を曲げて私を見る…いや睨む。

「なんだァこの手は」

パシンと空中で止まっていた私の手を遠慮なく叩き落とす彼に息を吐き出して睨み、いや見つめ返す。

「主任の分も買ってきます。ね?ね?ダメですか?」

お願いと、素直に顔の前で両手を合わせて懇願する私に、不死川主任は小さく息を吐き出すと煙草を咥えてポケットから財布を取り出した。
よっし!内心ガッツポーズをすると、手の平には500円玉が一つ。

「え、これじゃ1個分」
「充分だァ、2個も食わねぇだろ」
「私の分は?」
「てめぇなめてんのか?」
「大真面目です」

じーっと不死川主任を見つめる私に、ふっと息を吐いて「仕方ねぇなァ」煙草を灰皿に置くと、五千円札を私に渡した。なんだかんだでこの人は優しい。

「釣りは返せよ」
「もっちろんです!では行ってきます」

敬礼のポーズをして五千円札を握りしめると、私は不死川主任の後ろを通って階段を駆け下りた。
社員証が首にかかっているかをしっかりと確認して私はパンプスを鳴らして外に出る。

「ついでにお茶もいるよね」

なんて独り言をぶつぶつ言いながらも、コンビニに入ってお茶2本と自分用にビターチョコを1つを買う。そのまま横断歩道を渡ってたこ焼き屋さんの前で止まる。そろそろ閉店準備をしようとしていたようで慌ててたこ焼き2つを買ってまた横断歩道を渡った。
春の風が心地よく吹いていてまだ夜は肌寒いものの、だいぶ暖かくなってきたんだと顔を緩めた。

2021.5.31 written by みるく