逃げ道



「いいじゃねェかよく撮れてんだし」
「むー。他人事だと思って。絶対に嫌です!てか煉獄さん不死川主任に言うなんて狡い、反則だよ」

いつもと同じ朝、いつもと同じ日常だった。逢いたいと願っていた不死川主任を前に私は腕を組んで彼をじろりと見た。
先日の煉獄さんとの撮影で星空を見上げている私の画像を使いたいと言われ、断ったら翌朝こうして不死川主任に使えと言われたのである。
よく言えばシルエット風に煉獄さんが撮ってくれたので、顔なんてほとんど分からないけれど、笑っている事は分かる程度の写真だった。それでも雑誌に載るのは勇気がいる。
ドカッと大股広げて椅子にもたれかかった不死川主任は、手持ち無沙汰に指でトントンと自分のデスクを叩いている。あれ?そういや今日は灰皿に煙草の吸殻が入っていない。いつも朝来ると既に何個か押し潰された煙草が入っているというのに。

「まぁ好きにしろォ、お前の仕事だし。ただ悪くねぇって言ってる。可愛く撮れてんじゃねぇかァ」
「えっ!?可愛い?え、ほんとですか?」

不死川主任の口から「可愛い」なんて単語は一生聞けないなんて思っていた。そうゆうの柄じゃないって。だからこれはそうゆう意味じゃないって分かってる。けれど不死川主任に恋する私としては、聞き流せないぐらい嬉しい言葉だった。
ズイッと顔を寄せて不死川主任のデスクに手を着く私を、面倒そうに手で軽く払う。
主任がそう言うなら使っちゃおうかなぁなんて現金な気持ちにすらなっていた。
このふわふわした気持ちのまま、それを愛莉に伝えたくてフォトグラファー達がいるフロアに顔を出すけれどそこに愛莉の姿はない。その代わりと言ってはなんだけど、真剣に仕事をしている煉獄さんの姿が目に入った。

あれから煉獄さんとは社内で会うと挨拶がてらよく話をする様になった。時々飲みにも誘われるようになり、それなりに仲良くさせて貰っている。でもその反面何故か愛莉と会う機会が減っているような気がして…

「もしかして、勘違いしてるのかなぁ愛莉…」
「勘違い?何の話だ?」

戻ろうとしていた私の横にふわりと風が舞って煉獄さんの声が脚を止めた。さっきまであっちに居たのに早過ぎない?なんて苦笑いを浮かべつつも「いえ、なんでもありません。愛莉は外出ですか?」ぺこりと頭を下げながらもそう言う。

「川谷なら少し前に席を外したぞ。なんだ、俺には用はないのか?」

ほんのり微笑みながらもそんな冗談じみた事を言う煉獄さんに私はつられるように笑った。
この人といると穏やかになれる、そんな気がする。

「えーっと、煉獄さんに用はあったかなぁ?」

わざとらしく腕を顎に当てて考える仕草をする私に「こらこら」ってまた煉獄さんの明るい笑顔が届いた。

「あ、ありました!煉獄さんに用事!…あの画像使ってみようかなぁって」
「おお、そうか!あれ程嫌がっていたのにどういう風の吹き回しだ?」

大きな目をギョロリとこちらに向ける煉獄さんにイシシシと笑う。そりゃあ勿論不死川主任に「可愛い」って言われたからぁ…なんて言える訳もなく、気を抜くと顔から緩みが零れ落ちそうだったので、あえてキリっと顔を閉めて続けた。

「煉獄さんが綺麗に撮ってくれたので記念にです」

嘘ではなかった。本当にそう思えるくらいのものだったから。私の言葉に煉獄さんは目を細めて笑うとポンと優しく髪を撫でた。

「一ノ瀬は素直で可愛いな」
「…へ?」

頭にあった手の甲がほんのり私の頬を掠めて肩にポンと降りた。そのまま煉獄さんは私の肩を抱いて廊下の端に寄せるように誘導した。奥にある自販機の前で煉獄さんが社員証をIC置き場に翳した。そのまま私を見て「好きな物を選べ」ポンと背中を押して漸く煉獄さんの手が私の身体から離れた。

「あの」
「1杯付き合ってくれないか?」

先に自分用のブラックコーヒーを買った煉獄さんは、再度ICを翳して私を見つめた。「次は私が奢りますからね」そう言い放った私はロイヤルミルクティーを押して煉獄さんに頭を下げた。
それを飲みながらほんの10分程度煉獄さんとその場で談笑をした。けれど忙しい煉獄さんはすぐにスマホに着信が入り、「じゃあまた」と、軽く手を挙げて戻って行った。
私も自分の仕事をしなきゃと渡り廊下にある新緑スペースを通って戻ろうと思い歩き出したところ、大好きな人の後ろ姿を発見した。腕を組んで壁に寄りかかっている不死川主任。その視線の先はーー愛莉?ベンチに座って泣いている愛莉がそこに居た。どうして愛莉がこんな所で泣いているかも分からない。けれど、私の胸はチクリと痛くて…不死川主任は私が近寄って行っても気づくことなく愛莉を見つめている。声を掛けるでもなくただ見守っているようで、暫くすると不死川主任は一つ大きく息を吐いてゆっくりと愛莉の方へと歩いて行った。
だから私は慌ててくるりと2人に背を向けて早歩きでこの場から逃げるように自分のフロアに戻った。見てはいけないものを見てしまったみたいに、心音が激しく音を立てている。泣いていた愛莉の事を思うも、そこに出て行けなかった自分が情けない。ただ、脳内で2人のことを考えるとどうにも簡単に嫌な想像へと変わってしまいそうで、頭をぶんぶんと振ると私は自分のデスクについて固まっていた画面をカチッとクリックする。あれだけ嫌がっていたこの画像を使おうと、頭を仕事モードに切り替える他なかった。

人間の集中力はどれ程持つのだろうか?…自分の集中力が2時間と持たない事に気づいた私はデスクに頭を擡げてドヨーンと雨雲を背負っていた。
2人が気になって仕方がないけど、真実を受け入れる勇気もなく、気分はまるで底なし沼に落ちてしまったかのようだった。ペンを無駄にカチカチと音を鳴らせて出し入れしていると、ペシンと後頭部を誰かにぶっ叩かれた。

「いい身分だなァ一ノ瀬。もう編集は終わったのか?」

続く声に、今はあまり逢いたくなかったと心の中で小さく呟く。それでもムクリと顔を上げて振り返った先、私を見下ろして超絶ガンつけている不死川主任の姿に、ヒイッて思いつつもトクンと胸が脈打つ。それでも残念ながら思えてしまうーーこの人が好きだと。

「不死川主任こそ、愛莉と何してたんですか?」

なんかちょっと悔しくて。自分でも馬鹿だなって思う。さっきは見ちゃいけない気がして逃げてきたというのに、わざわざ本人に聞いてもしも最悪な答えが返ってきたら逃げられるわけなどないというのに。私の質問に目を見開いた不死川主任の顔色が一瞬変わった事にすら気づいてしまう。

「見てたのか?」

そして、少しだけ動揺を含んだ声色にも。
見てたって何を?何処を?

「たまたま通りがかったんです、」
「そうか。悪りぃな変なところ見せちまって…まぁなんつーか、そーいう事だ。アイツを困らせてェわけじゃねぇが、うまくいかねェもんだな…」

ポンと、今度は不死川主任が逃げるように私の頭を撫でるとその場からいなくなった。
こんな事ならガツンと殴られる方がまだマシだ。動揺を隠したかったから?見え見えのくせに。大股広げて歩いて行く後ろ姿にすら書いてある「川谷が好き」だと。何も言わない無言の背中にでかでかと書いてある、「俺は川谷が好きだ」と。
頭の中が真っ白で、何も考えられそうもないーー

「聞かなきゃよかった。馬鹿なゆき乃…」

俯いた事で髪が顔を隠すように下がった。
愛莉の事になら、素直になるんだね。
アイツなんて呼ぶんだね、愛莉のこと。
たった一度の仕事でそんなにも愛莉の事、好きになったんだね。

ドス黒い感情が溢れて溢れて止まらなくて、時計の針が12時を回っても昼食を取る気になれなかった。






「ちょっと大丈夫!?…何があったの?」

何「か」あった…ではなく、何「が」あったの?なんて聞いてくれたハル。週の真ん中、水曜日の今日はノー残業デーで社員も定時で上がる人が多かった。
私もそれに伴って一人で飲みに来たものの、酔いが回るのが早いのかふわふわとしていた。何となく不安になってハルのスマホにお店の名前だけをポコンとLINEで伝えると、暫くしたらハルが恋人の七海さんを連れてここに現れたんだ。
泥酔気味の私を見てハルが言った言葉に涙が溢れそうになる。

「何が何だかゆき乃にも分からない。不死川主任がね、不死川主任が、」

愛莉を好きだなんて、自分の口から言いたくなかった。口に出したら本当にそうなんだと認めざるを得ない気がして言えなくて。

「ハル、うちに連れて行った方がいい」

七海さんの言葉にハルが入口の方を向くとカランと開いたドアから不死川主任らしき人と煉獄さんらしき人が入って来たのが見えた。
途端に酔いが覚めるようにサーっと意識が戻ってきた私は、ハルに「ごめん、帰るね!」そう伝えて直ぐにお会計を済ませるとお店を出た。
ジメッとした暑さがやわらいだ夜の街。急に走ったせいかクラっとしてその場にしゃがみこむ。

「一ノ瀬大丈夫か?酔ったか?」

だけど、聞こえた声に顔を上げるとそこには私を心配そうに覗き込んで見ている煉獄さん。まさか気づかれるなんて思ってもみなくて…

「一ノ瀬が出て行くのが見えて。気持ち悪いなら吐き出した方が楽になる、トイレに行くか?」

違う、そうじゃない。そんなんじゃない。私の背中に添えられた煉獄さんの手の温かさに涙が溢れそうになる。
やだこんなところで泣きたくない。そう思うのに喉の奥が痛くて感情が込み上げてくる。
煉獄さんを好きなのは私ではなく愛莉だ。
こんなとこ、もしも愛莉に見られでもしたら許されない。それなのに私の手は煉獄さんのスーツの裾をぎゅっと握りしめていて…

「好きなんです…不死川主任の事が。でも主任は他に好きな人がいて…」

想いを言葉にすると同時に堪えきれず零れた涙が頬を伝う。その涙を煉獄さんの骨ばった指がそっと拭った。目を開けるとまた涙が零れて視界がクリアになった。

「優しくしないでください」
「悪いができ兼ねる」

何を言ってるのか分からなくて。それでも煉獄さんを見つめる私の首に腕をかけると、そのまま私を抱き上げるようにぎゅっとその場で膝を着いた煉獄さんに抱きしめられた。ポスッと後頭部に手を添えられて煉獄さんの肩に顔が埋まる。高級そうなスーツがいとも簡単に私の涙で湿っていく。

「なんで」
「俺じゃだめだろうか?俺では不死川の代わりにはなれないだろうか」
「………」
「俺なら君を泣かせたりはしない。ーー一ノ瀬ゆき乃が好きだ」

耳に響く煉獄さんの声にどうしようもなく涙が溢れたーーーー

2021.6.7 written by みるく