場違いな嫉妬

 現場に到着した私はその凄惨さに呆然として立ち尽くす。視界をもうもうと立ち上る赤い炎と黒い煙が覆い、痛いほどの熱気が頬を舐める。
 冷静さを欠いて右往左往する人々を、複数の鬼殺隊士が近くの河原へと誘導していた。周囲をざっと見回しただけでも、怪我や火傷を負った人々、家族と離れて道端で泣き喚く子供が目に入り、私は息を詰めた。
「こちらは先に到着していた部隊が、町の医者に協力を仰いで民間人の手当にあたります。苗字様は、山中の隊士の所へ」
「は、はい。わかりました」
 じっとりと汗が滲んだ手で、医療道具をぎゅっと握りしめる。地震にあったみたいに震える足を叱咤して、私は隠部隊の後に続く。
「――月島、気を抜くな!」
 ぱちぱちと町が燃えていく音に交じって、聞き知った声が鼓膜を叩いた。条件反射のように声の方に視線を向ければ、横抱きにした月島様を地面に下ろし、鬼と思しき影に刃を振るう杏寿郎さんの姿が目に入る。
「火を使う異能の鬼と聞いています。一体一体は大したことはないようですが、本体から際限なく分身するようです。元を斬らなければ鬼は無尽蔵に増え続ける。こちらは、炎柱様が指揮を執って交戦中ですので任せましょう」
 隠の女性が、思わず足を止めた私にすかさず説明をしてくれる。私は曖昧な相槌を返し、止めていた足の動きを再開したが、場違いなやっかみが胸をぎゅっと締め付けた。
 こんなに悲惨な現場を目の当たりにしているにも関わらず、そんなことを考えている自分に反吐が出そうだった。先頭に立って前線で戦う杏寿郎さん。彼が部下である月島様を援護するのは当然のことだ。私だって、今から負傷した隊士の元に行くのだ。一分一秒を争う命だってあるかもしれない。それなのに、どうしてこんなにも心臓が切なく痛むのだろう。
 華麗に刃を振るう杏寿郎さんは、私の知らない杏寿郎さんだった。鬼殺隊士でない私が一緒に任務に出向くことなどないのだから、それは当たり前のことなのだけれど、杏寿郎さんの強さを目の当たりにして、彼を物凄く遠くに感じてしまったのだ。

 山道を進み、山中の深い所へ入っていくと、耳を覆いたくなるような呻き声が耳に流れ込んできた。鉄の臭いが鋭く鼻をつく。数メートル先の開けた場所では、鬼殺隊士達による激しい戦闘が繰り広げられており、そこから死角になる少し離れた岩陰に負傷した隊士達が寝かされている。緊張に動悸が早鐘を打ち、一気に冷や汗が吹き出した。
「苗字様、私達はこちらの負傷した隊士の対応を」
 耳を隠の女性の声が掠る。声に引き戻されるように我に返った私は、こくりと頷いて隊士達に駆け寄り冷たい地面に膝をつく。
 落ち着いて。胡蝶様の教えを思い出して。
 心の中で自身を鼓舞して、一人一人隊士の容態を見極めていく。全身を観察し、呼吸と循環状態を慎重に確認すると、張り詰めていた緊張の中に、風穴のように安堵が差し込む。大丈夫。裂傷が酷い隊士はいるが、皆、命に別状はなさそうだ。
「出血が多いですね。創部より上の位置で縛って止血してください。後ほど縫合します」
「はい、かしこまりました」
「脈が少し弱い…。一度血圧を測ってみましょう。下半身を挙上してもらえますか。今から腕に輸液路を確保します」
「承知しました。苗字様、こちらの隊士は――」
 蝶屋敷で過ごした半年間は無駄ではなかった。分厚い医学書を頭の中で広げなくとも、口と手が勝手に動いてくれた。私は隠部隊の隊員と協力しながら、懸命に応急処置にあたった。
 どのくらいの時間が経過しただろうか。数分だった気もすれば、数時間も経過したような感覚もあった。今出来る処置と治療を終え、少し長めの息を吐き額にじっとりと滲む汗を手の甲で拭う。すると、背後で声が揺らいだ。
「…なんであんたがこんな所にいんだよ」
 蝶屋敷の処置室で何度も耳にした低音には、微かな驚きが滲んでいるようだった。
「不死川様。そちらは、もう」
 肩越しに振り向くと、不死川様が不可解そうな表情を浮かべて立っていた。刃に付着した液体を拭き取り日輪刀を鞘に収めた不死川様は、ふぅっと息を吐いて言葉を続けた。
「ああ、こっちは問題ねェ。鬼の分身が止まった。恐らく煉獄の所で元の首を斬ったんだろォ…それより」
「すみません、驚かせてしまって。…実は胡蝶様に頼まれたのです。被害が拡大し、負傷者が多く出ているから現場に行って欲しいと。僭越ながら依頼を受けさせていただいた次第です」
「…この隊士達は、あんたがやったのか?」
 瞠目した不死川様が、処置を施したばかりの隊士達に順番に視線を走らせた後で、再び私に視線を戻す。
「大した処置はしていないです。…全て胡蝶様に教えていただいたことばかりですけど。もともと私は、医療知識など皆無ですから」
「へぇ」
 不死川様は顎に手をおいて感心したような息を吐く。そしてふいに私の頭に大きな掌をのせた。
「…し、不死川様」
「本当にあんたは、出来た嫁だなァ。この中には俺の部下もいる。…簡単にくたばる奴らじゃねェが。助かったぜ」
「は、はい」
 まるで子供を褒める親のような対応に気恥しくなる。しかし鬼殺隊の実力者に称揚されれば悪い気はしない。安堵も相俟って、思わず頬と口元が緩む。
「よし、煉獄の方と合流して――」
「その必要はない!こちらも負傷者は多いが死者はなしだ。町の消防団が消火活動にあたっていて間もなく火も――」
 私と二人きりの時よりもずっと明朗快活な声が聞こえたかと思うと、瞬間移動のように現れた杏寿郎さんが、不死川様の前で華麗に着地した。そして、言葉の途中でふいに私に視線を移した彼の瞳は、零れ落ちてしまいそうなほど大きく見開かれた。
「…何故、貴方がここに」
「胡蝶に頼まれたんだとよォ」
 私の頭の上に乗せていた手をどけて、不死川様が「な」とでもいうように視線を投げてくる。慌てて首を縦に振ると、不死川様は相変わらず私を誉めそやす。
「大したもんだぜ。こいつらを処置をしたのは名前だ」
「不死川様…もういいですから。本当にそんなに大したことはしていないので」
「謙遜すんなよ」
 照れくさくれ、羽で耳元を撫でられたように肩を竦めて杏寿郎さんを見上げれば、神妙な顔つきで私を見ていた。そして、喉の内側を押すような低い声で独り言のように呟いた。
「…二人は…随分と親しいのだな」
「えっ?」
 私は思わず素っ頓狂な声を上げると、不死川様が横から口を挟む。
「名前には世話になってんだよ。傷を放っておくと、胡蝶がうるせェからなァ」
 杏寿郎さんが小さく息を呑む。大きな瞳が翳ったのは私の都合の良い解釈だろうか。ひょっとすると杏寿郎さんは、私と不死川様の関係に焔を燃やしてくれているのか。
「――炎柱様、風柱様。藤の花の家紋の家の手配が整いました。まずは負傷者から。続いて私達も」
 どこかすっきりとしない空気に、扇を一振りしたような凛とした声が紛れ込む。杏寿郎さんの隣にふわりと着地したのは月島様だった。私に気がついた彼女は、杏寿郎さんや不死川様と同様に大きな目を見開いてこちらを刮目する。「何故ここにいる?」という言葉が、今にも口を衝いて出てきそうな表情を浮かべている。
「月島。そうか、承知した。では重症度の高い隊士から運び込もう。…名前さん、教示願えるか」
 そう私に問いかけた杏寿郎さんの瞳は、いつもの凛々しいそれに代わっていた。無理やり中断したような、おさまりの悪い空気は一蹴される。
「は、はい!では、まずは循環が不安定なこちらの方達からお願いします」
「うむ、承知した!月島、他の隊士達にも声をかけてくれ」
「はい、炎柱様!」
 月島様は杏寿郎さんの指示を聞くが早いか、再びその姿を消した。息が合った連携は、鬼と戦う上で必要不可欠なものなのだろう。しかしまた私の胸は、場違いな嫉妬に疼く。月島様は、鬼殺隊士として、私が杏寿郎さんと居る時間よりもずっと多くの時間を彼と過ごすのだろう。
 杏寿郎さんも月島様も信念を持って命を懸けて鬼と戦っているのだ。私のような煩悩が脳裏を掠める暇さえないだろう。狭量な自分に心底嫌気が差す。
「…名前、大丈夫かァ?疲れたんじゃねェのか。あんたも早く藤の家の家紋の家に移動しろ。少し休んだほうがいい。煉獄、俺はこれから別の地区にいかなきゃならねェ。…後は頼んだぞ」
 ぼんやりと俯く私に気遣うように声をかけた後、不死川様は杏寿郎さんに後を託して姿を消した。疾風のような速さに、地面の草が揺れ土煙が舞う。ふと、不死川様を見送った私と杏寿郎さんの視線が絡み、数秒の間が挟まる。
「…名前さん。貴方は、後方支援の部隊と先に移動してくれ。俺も後を追う」
 杏寿郎さんは、私の頬に伸ばした腕を途中で止めて呟くと、ばさりと羽織を翻して駆けて行く。その大きな背中は、近いようで遠い。
 町の鎮火されていく炎に相反して、心に灯った暗い炎は、まだ、消えてくれそうもない。